流星、夜を切り裂いて ~FLY HIGH~ ver.2

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アニメ雑記 2018/4/13 を語る

2018-04-13 22:07:37 | ■アニメレビューとか
●ダーリン・イン・ザ・フランキス 13話



母親代わり。
ゼロツーに絵本を持ってきた影って結局何者だったんでしょうね。
ここまで観念的な存在は今作だとあまり見かけない気がして気になった。
ナデシコみたいな映像オチという雰囲気でもなかったですし。



シーツ畳み。
ここのテキパキとした芝居も目を引きますが、
最後に折るところでアゴでシーツを押さえるような感じになっていて気になったな。
手前の枠で見えませんがもしかしたら口でくわえているかも?
みたいな予感もあって、
衛生的できっちりしてそうな大人たちの芝居の中では、
ちょっと人間味がある感じがしてちょっと気になったかな。
ここは演出か作画かどなたからのアイディアか気になる。





境界を越える。
ここの一連で鏡を見せているのが気になるかな。
前回ゼロツーが鏡に向かって激昂してるのを見ているので特に。

別に血の色だけではなく肌の色、頭に生えた角など、
男の子と違うところはいくつもあったはずなんですが、
ゼロツーは血の色で人との違いを実感しているんですよね。
巨竜の血しか知らなかった、という線からの理解とか、
自分の血以外知らなかった、とか色々解釈できますが、
自分自身を見たことは無いのだろうか、と思ってしまう。
自分の姿が人と違うからこそ、現在のゼロツーはそれが許せないんでしょうし。

ガラス越しに相手は見るけれども、己を見ることは無い。
己のことを知った、人と違うことを知ったっていうのは、
自分自身の弱みをよく知っているわけで、
過去の相手しか見ていない、現在の自分しか見ていない、
ということの対比としてのガラスと鏡なのかなと思えたり。
そういえば5話でも鏡は使われてましたね。
どうでもいいですが、
5話の最後のPANアップってけいおん1期2期の最後のPAN意識なんですかね。

しかし木の下でとか木の上でとか、
雪の中とかなんかkanon思い出すな。

最初の女がゼロツーであった、というのもまた気になる感じで。
ナオミがいなくなったことが、回想で子供たちがいなくなることと同じ、
と言われてしまってる気がしてやや残念だった。



絵本とかまたやめて欲しいという気も。
魔女はパパたちのことなんでしょうが、
社会を構築する人々を魔女として描くのは新鮮に感じられたな。
人の落ち先の魔、悪意の総体というのを少女に背負わす形で魔女とか、
そういう存在としての側面が強かった印象があるので、
男性側呼称のパパたちを、その総体を魔女として扱うのは新鮮かなと。
まああの博士に背負わす感じで終わるかもしれませんが、
成り行きを見守りたいですね。
悪意を影と、影に載った文章で表現されてるのも悪意の形として新鮮なのと、
どこに文章を載せるのかには明確に意図があることに触れられてる気がしたな。

また高雄さんが色々背負ってる気がしてそこがやや気にかかるかな。
ここからどう転がっていくのか、一気に先を見るのが楽しみになってくる話数でした。


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