平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

臓器移植の闇

2006年10月28日 | Weblog
少し前の話ですが、愛媛県で腎臓移植の腎臓が金銭で売買されたことが発覚しました。このような臓器売買はかなり広がっているようです。

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 愛媛県宇和島市の臓器売買事件をきっかけに、厚労省は全国の医療機関に注意を呼びかけているが、一方で「売買を解禁してほしい」という声もある。
「今回の事件の背景にあるのは、深刻なドナー(臓器提供者)不足です。日本には糖尿病患者が約220万人いて、うち26万人が人工透析を受けている。これに対し、生体腎移植が行われたのは昨年834件だけ。臓器移植法やドナーを親族に限定する日本移植学会の倫理指針があるため、日本では移植手術を希望しても約30人に1人しか移植のチャンスがないのです」(移植医療関係者)
 こうした国内の“供給不足”から、移植希望者は海外へと向かう。世界の臓器ビジネスに詳しい岡山大大学院の粟屋剛教授(生命倫理)が言う。
「肝臓や腎臓の移植を受けられるのは、主にフィリピン、中国、インドです。臓器の代金はどこも移植手術代とセットで、インドが約100万円と最も安く、フィリピンと中国は1000万円前後。使われる臓器はインドとフィリピンが主に貧困層が売ったもの、中国では死刑囚のものです。これまで日本人が海外で臓器を買い移植した数は中国で数百人、フィリピンで数十人、インドは数人程度。アジアでの移植はドナーの身元が不明確な場合が多く、病気などの不安もあって、日本人には普及していません」
 そういえばプロレスラーのジャンボ鶴田も00年にフィリピンで肝臓移植したものの、手術中に亡くなっている。日本でもっと簡単に移植手術が受けられるようにはならないのか。
「医学の進歩により、人間の身体は“商品”として価値のあるものになっています。しかし日本人にはその現実を受け入れたくない感情がある。だから学術的議論が不十分なんです」(粟屋剛氏=前出)
 解決の道は遠い。
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http://gendai.net/?m=view&g=wadai&c=050&no=17324

この記事にもあるように、日本では臓器移植を希望する人に比べて、臓器の提供が少なく、そのため海外で移植を受ける人が増えています。とくに、日本では子供からの臓器提供は認められていないので、子供への臓器移植は海外で行なわれることになり、時々、アメリカで子供に移植手術を受けるために数千万円、数億円の募金を集める、という話題があたかも美談のように報道されます。

「これまで日本人が海外で臓器を買い移植した数は中国で数百人、フィリピンで数十人、インドは数人程度。〔東南〕アジアでの移植はドナーの身元が不明確な場合が多く、病気などの不安もあって、日本人には普及していません」とあるように、現在、多くの日本人が臓器移植を受けるのは中国です。

中国には「中国国際臓器移植支援センター」という、外国人に大々的に臓器移植の斡旋をする機関があります。

中国は慈善事業として外国人に臓器移植をしているのでしょうか? そんなに臓器があるのであれば、まず自国民に移植を行なうべきでしょうが、貧しい中国人は高額の手術費を払うことはできません。1000万円も払えるというのは日本人や欧米人でしょう。はっきりいえば、中国は臓器移植で金儲けをしているわけです。

中国は移植用の臓器をどのように確保しているのでしょうか? この記事にもあるように、それは「死刑囚」の臓器です。どういう死刑囚でしょうか? それは法輪功などの反体制派の死刑囚です。中国は反体制派から「臓器狩り」をしていると言われています。

日本人が中国で臓器移植を受けるということは、中国の人権無視の臓器狩りに手を貸すということを意味します。まさに殺人に協力しているわけです。

アジア・アフリカの貧困国では、移植臓器として利用するために、子供たちが誘拐されるケースがあります。子供たちの体はあらゆる「パーツ」に分解され、それらの臓器は欧米や日本などの金持ち国の子供たちにひそかに移植されるのです。「人間の身体は“商品”として価値のあるものになっています」――恐ろしいことです。

臓器移植というのはそもそも、やってはいけない禁じ手、まさに「神域を汚している」医療です。それは、他人の死を前提にして自分が生き延びる、という行為です。それは基本的には「人食い」と同じことではないでしょうか。死体からの臓器移植は許される、というのは、人間も死体ならば食べてもいい、というのと同じ発想です。「活きのいい」死体を確保するためには、脳死者も死者と認定することが必要になります。

最近増えているのが、腎臓移植の要望です。これには糖尿病患者の増大が関係しています。糖尿病は腎臓病も引き起こす場合があります。

日本では、糖尿病患者とその予備軍が計1370万人いるそうです。まさに糖尿病大国です。粗食に甘んじていた昔の日本ではこれほどの糖尿病患者はいなかったわけですから、これは食事をはじめとする最近の生活習慣に起因していることは明らかです。ぜいたくな食事で体を悪くし、他人の臓器で健康を取り戻そうというのは、許されない行為です。

腎臓は二つありますから、一つを提供してもすぐに死ぬというわけではありません。親子や親族や友人の間では許されるケースがあるのかもしれません。しかし、お金で売買することは誤っています。

私は以前、ある若い白光の会員さんから臓器移植の相談を受けたことがあります。その方は腎臓を悪くし人工透析を受け、仕事も辞めなければならなくなりました。医者からは腎臓移植手術を勧められ、ご本人にも受けたい気持ちがあり、かなり迷ったようです。私は、移植を受けることはやはり神のみ心(真理の法則)に反することであり、霊的に大きな借財(カルマ)をつくることになるので、賛成できない。祈りと印、肉体への感謝を続けていけば、必ず乗り越えることができる、と励ましました。青年は移植手術を断念し、田舎の実家に帰り、親元で静養生活に入りました。もちろんその間、私も祈りの応援をしました。

先日、その青年と再会しましたが、すっかり明るくなり、以前よりもずっと元気になっていました。資格を取り、自宅で仕事ができるので、肉体的にも楽になった、と言っていました。その青年の深い信仰心と真剣な祈りが奇跡を引き起こしたのです。