安倍晋三首相は色々な宗教団体との関係がうわさされています。今回の訪中に先立ち、創価学会の池田大作氏に会ったことが報道されています。
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関係者によると、公明党支持母体である創価学会の池田大作名誉会長が安倍氏と極秘に会った。日中関係も話題にのぼったとされる。その直後の9月29日、池田氏は中国の王毅(ワン・イー)大使に会った。
創価学会の機関紙「聖教新聞」によると、池田氏は王氏に対して「日中友好の誓いは断じて果たしていく」と伝えた。
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http://www.asahi.com/politics/update/1007/001.html
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安倍晋三首相が先月20日に自民党総裁に選出された後、首相就任前に公明党の支持母体・創価学会の池田大作名誉会長と極秘に会談し、来夏参院選や対中関係をめぐり意見交換していたことがわかった。
関係者によると、26日の安倍政権発足以前に、東京都内の創価学会の施設で行われた。安倍首相は総裁選直後に秋谷栄之助会長に電話で就任あいさつした際、池田氏との面会を要請したという。
席上、首相は父、安倍晋太郎元外相が生前、池田氏から厚誼(こうぎ)を受けたことに謝意を表し、参院選での公明党や創価学会の協力を要請。池田氏は「しっかり応援したい」と述べ、協力を約束したという。また、小泉純一郎前首相の靖国神社参拝で冷え切った日中関係の早期改善が重要との認識で一致。さらに池田氏は国連を中心とした平和外交の必要性にも言及した。
毎日新聞 2006年10月8日 東京朝刊
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http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/archive/news/2006/10/08/20061008ddm002010107000c.html
山岡俊介氏の「アクセスジャーナル」はすでに、安倍氏の統一教会、慧光塾(えこうじゅく)、神道政治連盟などとの関係について報道しています。
先週の『週刊朝日』(10月13日号)は「安倍晋三と新興宗教」と題する特集を行なっていました。それによりますと、安倍氏はさらに真言宗の池口恵観氏を頼りにし、また札幌市南区の霊園には、晋三氏の母洋子氏をモデルとした巨大な「洋子観音像」も建てられているとのことです。
この記事によりますと、安倍家の宗教好きは、祖父の元首相・岸信介氏の時代にさかのぼるようです。
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岸氏の故郷、山口県田布施町に「天照皇大神宮教」という新興宗教がある。岸氏はこの団体の教祖・北村サヨ(故人)という女性から、終戦直後、「総理大臣になる」と予言された逸話がある。同宗教団体はこう説明する。
45年8月、神経痛に悩んでいた岸氏は教祖と話したことによって痛みが消えた。その後、A級戦犯の逮捕命令が出た岸氏が教祖に、
「覚悟は決めています」
とうなだれると、教祖は、
「犬腹は切るな。死刑にはならない」
と励まし、岸氏のため、朝昼晩説法をした。その後、岸氏は実際に首相になり、教祖に深く感謝し、首相を辞めたあとも、お参りを続けたという。
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岸信介は終戦直後、A級戦犯容疑者として逮捕され、巣鴨拘置所に収監されましたが、冷戦の激化の中でアメリカの対日政策が変わり、有能な官僚であった岸氏は不起訴となり、東条英機ら7名の戦犯が処刑された翌日に釈放されました。
北村サヨは田舎の農婦でしたが、ある日、神憑りになり、「天照皇大神宮教」の教祖となりました。
「犬腹を切る」という表現は初めて見ましたが、北村サヨが「犬死に」と「切腹」からつくった合成語でしょう。早まって自殺などして犬死にするな、とサヨは岸信介を励ましたのです。
北村サヨと「天照皇大神宮教」について――
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教祖(大神様)・北村サヨ(1901-1968)は、農民であった浴本長蔵の四女として山口県に生まれた。幼少の頃より男まさりで、物に頓着しない性格であったという。大正9年に同県熊毛郡田布施町の北村清之進と結婚、同家が教団発祥の地となる。
姑による執拗ないじめと過酷な農作業に耐え、かなりの労苦を重ねた。昭和17年8月12日に離れ屋敷が放火に遭ったことが契機となり、祈祷師より神参りの行を進められる。行を続けるうち、昭和19年5月4日に突如として肚の中のものが自分に話しかけ命令するという不思議な現象が起こり、それから6日目にして「名妙法蓮華教」と唱えろとの命があった。昭和19年9月ごろより、肚の中の神が語る内容を人々に知らせるため、街中での辻説法が開始される。
昭和20年元旦の朝、肚の中の神より「来年は紀元元年、神の世じゃ」というお告げがあった。「満州も朝鮮も台湾も樺太も要らぬ、日本の本土さえあればいい」というお告げも継いで出た。サヨは「そんなら戦争に負けるのか」というと、肚の中の神は「いや絶対に負けはしない。世界の指導者になるのだ」と答えたという。
昭和20年7月22日より、自宅で「無我の舞」を踊りながらの歌説法が開始された。サヨの口から、意思とは関係なく肚の中の神の言葉がついて出るのである。教団ではこの日を本部道場における最初の説法の日として記念日にしている。この日の説法の中には日本の敗戦を予告する内容があったという。
そして昭和20年8月12日の説法で、宇宙絶対神である「天照皇大神」が、サヨの肚を宮として天より降り、翌昭和21年を「神の国開元の年」とすることが明らかにされた。教祖誕生の瞬間である。ちなみにこの日はポツダム宣言受諾の翌日であり終戦直前であった。教団ではこのお告げにより、昭和21年を紀元元年とする独自の年号「神の国年」を用いることになった。
昭和21年1月、教祖北村サヨ以下布教団一行は上京し東京での辻説法を開始する。最初の説法は高田馬場駅前で、その後吉祥寺駅前広場で「無我の舞」を披露したり、“生長の家”本部を訪れ谷口雅春に問答を挑んだりしたという。サヨの説法は挑発的であったが、歯に衣着せぬその説法には反感をもつ者以上に瞬時に魅せられる人も数多くいたという。
その後短期間で日本各地を回り積極的な布教が展開された。3度目の上京の時にはニュース映画の取材が終始付きまとい、「無我の舞」やサヨの型破りな説法を記録に収め、報道された。サヨは映像の効果について十分理解しており、取材には気軽に応じたという。メディアの発達していない時代にその効果を熟知しているというところが、ただの気が狂った婆さんとは思えないところである・・・
昭和27年からはハワイおよびアメリカ本土への布教を開始、昭和39年(東京オリンピック開催年)からはアジア諸国へ、さらに昭和40年からは欧州へとその布教活動を広げていった。
北村サヨは昭和43年に逝去するが、遺言として孫娘である北村清和(姫神様)を教団の後継者に指名した。教団本部は発祥地である山口県熊毛郡田布施町にあり、国内にもいくつか拠点をもっているようであるが定かではない。教団HPも存在しないようだ。
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http://park8.wakwak.com/~kasa/Religion/tenshokotaijingukyo.html
私が五井先生にお会いした昭和40年年代半ばには、北村サヨは「踊る宗教」の教祖としてまだある程度名前が知られていましたが、現在ではほとんど忘れられた存在でしょう。
五井先生は聖ヶ丘講話の中で、北村サヨについて触れたことがありました。北村サヨは、人々に対して「蛆(うじ)の乞食よ目をさませ」と呼びかけた(罵倒した?)ことで有名でしたが、五井先生は、「北村サヨには、肉体人間がウジ虫に見えたんでしょう」と言っておりました。
五井先生は、北村サヨはある程度は神のメッセージを伝えた人だと見ていたようです。北村サヨに憑依したその「神」からすると、神を忘れ、ひたすら物欲に走る戦後の日本人は、まさにウジ虫に等しい存在であったのです。北村サヨがいま生きていれば、おそらく同じ罵倒を現代人に投げつけるでしょう。
近世日本には、北村サヨと似たような女性の新興宗教教祖がかなり誕生しました。有名なのは、天理教の中山みき、大本教の出口なおです。これらの女性教祖はいずれも、特別な学問も宗教的修行もない庶民でしたが、非常に苦しい人生の中で、ある日突然神憑りになり、予言や宗教的言説を吐くようになります。それらの宗教的言説は、専門的な勉学や修行をへた宗教専門家(僧侶、神官)のそれとは違い、言語表現は稚拙ですが、ある種の迫力と魅力に満ちています。そして、その魅力に惹かれて、救済を求める人々がその周囲に集まり、新興宗教団体が形成されます。
五井先生は、中山みきも出口なおも北村サヨも、それなりに神のあり方の一面を伝えた人と見ていたように思われます。しかし、このような「神憑り」的な宗教のあり方は、それがどんなに奇跡を生み出そうと、現代人の知的教養とは相いれません。「蛆(うじ)の乞食よ目をさませ」とか「踊る宗教」では、信者はちょっと気恥ずかしくなるでしょう。霊的指導者といえども、高い知性と教養がなければなりません。
現代の宗教指導者は、「完全なる理論、完全なる慈愛、完成された霊力、神秘力」の三つの持ち主でなければならない、と五井先生は述べています。
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理論がいかに完全であっても、理論だけでは大聖ではない。霊力、神秘力がいかにすぐれていても、それだけでは大聖ではない。たとえこの二つをあわせもっていたとしても、それを仏ということはできない。完全なる慈愛を根柢にして、完成された理論と、完全なる霊力、神秘力をもっていなければ自由自在にこの世界の業を消滅させ、地上世界を救う中心者とはいい得ない。(『天と地をつなぐ者』168頁)
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今さらながら、この三つを兼ね備えていた五井先生の偉大さがしのばれます。
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関係者によると、公明党支持母体である創価学会の池田大作名誉会長が安倍氏と極秘に会った。日中関係も話題にのぼったとされる。その直後の9月29日、池田氏は中国の王毅(ワン・イー)大使に会った。
創価学会の機関紙「聖教新聞」によると、池田氏は王氏に対して「日中友好の誓いは断じて果たしていく」と伝えた。
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http://www.asahi.com/politics/update/1007/001.html
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安倍晋三首相が先月20日に自民党総裁に選出された後、首相就任前に公明党の支持母体・創価学会の池田大作名誉会長と極秘に会談し、来夏参院選や対中関係をめぐり意見交換していたことがわかった。
関係者によると、26日の安倍政権発足以前に、東京都内の創価学会の施設で行われた。安倍首相は総裁選直後に秋谷栄之助会長に電話で就任あいさつした際、池田氏との面会を要請したという。
席上、首相は父、安倍晋太郎元外相が生前、池田氏から厚誼(こうぎ)を受けたことに謝意を表し、参院選での公明党や創価学会の協力を要請。池田氏は「しっかり応援したい」と述べ、協力を約束したという。また、小泉純一郎前首相の靖国神社参拝で冷え切った日中関係の早期改善が重要との認識で一致。さらに池田氏は国連を中心とした平和外交の必要性にも言及した。
毎日新聞 2006年10月8日 東京朝刊
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http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/archive/news/2006/10/08/20061008ddm002010107000c.html
山岡俊介氏の「アクセスジャーナル」はすでに、安倍氏の統一教会、慧光塾(えこうじゅく)、神道政治連盟などとの関係について報道しています。
先週の『週刊朝日』(10月13日号)は「安倍晋三と新興宗教」と題する特集を行なっていました。それによりますと、安倍氏はさらに真言宗の池口恵観氏を頼りにし、また札幌市南区の霊園には、晋三氏の母洋子氏をモデルとした巨大な「洋子観音像」も建てられているとのことです。
この記事によりますと、安倍家の宗教好きは、祖父の元首相・岸信介氏の時代にさかのぼるようです。
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岸氏の故郷、山口県田布施町に「天照皇大神宮教」という新興宗教がある。岸氏はこの団体の教祖・北村サヨ(故人)という女性から、終戦直後、「総理大臣になる」と予言された逸話がある。同宗教団体はこう説明する。
45年8月、神経痛に悩んでいた岸氏は教祖と話したことによって痛みが消えた。その後、A級戦犯の逮捕命令が出た岸氏が教祖に、
「覚悟は決めています」
とうなだれると、教祖は、
「犬腹は切るな。死刑にはならない」
と励まし、岸氏のため、朝昼晩説法をした。その後、岸氏は実際に首相になり、教祖に深く感謝し、首相を辞めたあとも、お参りを続けたという。
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岸信介は終戦直後、A級戦犯容疑者として逮捕され、巣鴨拘置所に収監されましたが、冷戦の激化の中でアメリカの対日政策が変わり、有能な官僚であった岸氏は不起訴となり、東条英機ら7名の戦犯が処刑された翌日に釈放されました。
北村サヨは田舎の農婦でしたが、ある日、神憑りになり、「天照皇大神宮教」の教祖となりました。
「犬腹を切る」という表現は初めて見ましたが、北村サヨが「犬死に」と「切腹」からつくった合成語でしょう。早まって自殺などして犬死にするな、とサヨは岸信介を励ましたのです。
北村サヨと「天照皇大神宮教」について――
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教祖(大神様)・北村サヨ(1901-1968)は、農民であった浴本長蔵の四女として山口県に生まれた。幼少の頃より男まさりで、物に頓着しない性格であったという。大正9年に同県熊毛郡田布施町の北村清之進と結婚、同家が教団発祥の地となる。
姑による執拗ないじめと過酷な農作業に耐え、かなりの労苦を重ねた。昭和17年8月12日に離れ屋敷が放火に遭ったことが契機となり、祈祷師より神参りの行を進められる。行を続けるうち、昭和19年5月4日に突如として肚の中のものが自分に話しかけ命令するという不思議な現象が起こり、それから6日目にして「名妙法蓮華教」と唱えろとの命があった。昭和19年9月ごろより、肚の中の神が語る内容を人々に知らせるため、街中での辻説法が開始される。
昭和20年元旦の朝、肚の中の神より「来年は紀元元年、神の世じゃ」というお告げがあった。「満州も朝鮮も台湾も樺太も要らぬ、日本の本土さえあればいい」というお告げも継いで出た。サヨは「そんなら戦争に負けるのか」というと、肚の中の神は「いや絶対に負けはしない。世界の指導者になるのだ」と答えたという。
昭和20年7月22日より、自宅で「無我の舞」を踊りながらの歌説法が開始された。サヨの口から、意思とは関係なく肚の中の神の言葉がついて出るのである。教団ではこの日を本部道場における最初の説法の日として記念日にしている。この日の説法の中には日本の敗戦を予告する内容があったという。
そして昭和20年8月12日の説法で、宇宙絶対神である「天照皇大神」が、サヨの肚を宮として天より降り、翌昭和21年を「神の国開元の年」とすることが明らかにされた。教祖誕生の瞬間である。ちなみにこの日はポツダム宣言受諾の翌日であり終戦直前であった。教団ではこのお告げにより、昭和21年を紀元元年とする独自の年号「神の国年」を用いることになった。
昭和21年1月、教祖北村サヨ以下布教団一行は上京し東京での辻説法を開始する。最初の説法は高田馬場駅前で、その後吉祥寺駅前広場で「無我の舞」を披露したり、“生長の家”本部を訪れ谷口雅春に問答を挑んだりしたという。サヨの説法は挑発的であったが、歯に衣着せぬその説法には反感をもつ者以上に瞬時に魅せられる人も数多くいたという。
その後短期間で日本各地を回り積極的な布教が展開された。3度目の上京の時にはニュース映画の取材が終始付きまとい、「無我の舞」やサヨの型破りな説法を記録に収め、報道された。サヨは映像の効果について十分理解しており、取材には気軽に応じたという。メディアの発達していない時代にその効果を熟知しているというところが、ただの気が狂った婆さんとは思えないところである・・・
昭和27年からはハワイおよびアメリカ本土への布教を開始、昭和39年(東京オリンピック開催年)からはアジア諸国へ、さらに昭和40年からは欧州へとその布教活動を広げていった。
北村サヨは昭和43年に逝去するが、遺言として孫娘である北村清和(姫神様)を教団の後継者に指名した。教団本部は発祥地である山口県熊毛郡田布施町にあり、国内にもいくつか拠点をもっているようであるが定かではない。教団HPも存在しないようだ。
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http://park8.wakwak.com/~kasa/Religion/tenshokotaijingukyo.html
私が五井先生にお会いした昭和40年年代半ばには、北村サヨは「踊る宗教」の教祖としてまだある程度名前が知られていましたが、現在ではほとんど忘れられた存在でしょう。
五井先生は聖ヶ丘講話の中で、北村サヨについて触れたことがありました。北村サヨは、人々に対して「蛆(うじ)の乞食よ目をさませ」と呼びかけた(罵倒した?)ことで有名でしたが、五井先生は、「北村サヨには、肉体人間がウジ虫に見えたんでしょう」と言っておりました。
五井先生は、北村サヨはある程度は神のメッセージを伝えた人だと見ていたようです。北村サヨに憑依したその「神」からすると、神を忘れ、ひたすら物欲に走る戦後の日本人は、まさにウジ虫に等しい存在であったのです。北村サヨがいま生きていれば、おそらく同じ罵倒を現代人に投げつけるでしょう。
近世日本には、北村サヨと似たような女性の新興宗教教祖がかなり誕生しました。有名なのは、天理教の中山みき、大本教の出口なおです。これらの女性教祖はいずれも、特別な学問も宗教的修行もない庶民でしたが、非常に苦しい人生の中で、ある日突然神憑りになり、予言や宗教的言説を吐くようになります。それらの宗教的言説は、専門的な勉学や修行をへた宗教専門家(僧侶、神官)のそれとは違い、言語表現は稚拙ですが、ある種の迫力と魅力に満ちています。そして、その魅力に惹かれて、救済を求める人々がその周囲に集まり、新興宗教団体が形成されます。
五井先生は、中山みきも出口なおも北村サヨも、それなりに神のあり方の一面を伝えた人と見ていたように思われます。しかし、このような「神憑り」的な宗教のあり方は、それがどんなに奇跡を生み出そうと、現代人の知的教養とは相いれません。「蛆(うじ)の乞食よ目をさませ」とか「踊る宗教」では、信者はちょっと気恥ずかしくなるでしょう。霊的指導者といえども、高い知性と教養がなければなりません。
現代の宗教指導者は、「完全なる理論、完全なる慈愛、完成された霊力、神秘力」の三つの持ち主でなければならない、と五井先生は述べています。
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理論がいかに完全であっても、理論だけでは大聖ではない。霊力、神秘力がいかにすぐれていても、それだけでは大聖ではない。たとえこの二つをあわせもっていたとしても、それを仏ということはできない。完全なる慈愛を根柢にして、完成された理論と、完全なる霊力、神秘力をもっていなければ自由自在にこの世界の業を消滅させ、地上世界を救う中心者とはいい得ない。(『天と地をつなぐ者』168頁)
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今さらながら、この三つを兼ね備えていた五井先生の偉大さがしのばれます。