平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

核武装論は愚論(2)

2006年10月23日 | Weblog
******************
 自民党の石破茂元防衛庁長官は22日朝のフジテレビの番組で、同党の麻生太郎外相や中川昭一政調会長が日本の核武装の議論をすべきだと発言していることに関し「きちんと議論し、なぜ核を持つことが国益にならないかを示すことが政治家の責任だ」と述べた。 (時事通信) - 10月22日13時1分更新
******************
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061022-00000034-jij-pol

石破氏はたしか2003年に敵基地先制攻撃論を唱えていましたが、今回は中川政調会長や麻生外務大臣が「核保有について議論することはかまわない」と述べていることに、ブレーキをかけているようです。

もちろん、言論は自由ですから、「世界で唯一の被爆国」である日本においても、核保有について議論すること自体は自由です。しかし、どんな議論にも時と場合というものがあります。たとえば結婚式のようなおめでたい場で、離婚だとか配偶者の死別だとかについて声高に論ずることは非礼と見なされます。

中川氏や麻生氏は、「このままだと日本でも核武装論が高まりますよ。だから中国や韓国は北朝鮮にしっかり圧力をかけなさい」という戦術で核武装論についてわざわざ触れているのかもしれませんが、日本の中には以前から核武装論や憲法改定論があるので、その発言はそのまま日本の本音と受け取られる危険性もあります。

北朝鮮の核実験を世界平和に対する脅威だとして、国際社会が非難している最中に、日本もまた核武装をする気なのだ、と思わせる(誤解させる)ような発言は、北朝鮮の核武装を正当化させる、国益に反する発言です。日本の政治家が口が軽いのは気になります。

******************
 自民党の中川昭一政調会長は20日夜、静岡県浜松市内で講演し、北朝鮮の核攻撃について「あの国の指導者(金正日総書記)はごちそうを食べ過ぎて糖尿病だから考えるかもしれない」と可能性に言及した。
 その上で、中川氏は「広島、長崎に続く第3のどこかにならないために努力する。核の議論は必要で、(北朝鮮に)どう攻められないようにするか議論するのは当然だ」と述べ、日本の核武装論議の必要性を改めて主張した。 
(時事通信) - 10月21日1時0分更新
******************
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061020-00000187-jij-pol

糖尿病と核攻撃がどういう関係にあるのかよくわかりませんが、かなり笑える発言です。というのは、中川氏がほとんどアル中であることは有名な事実だからです。どうやら、日本の核武装というのは「酒を飲み過ぎてアル中だから考えるかもしれない」ようです。

冗談はさておき、日本が北朝鮮を批判できるのも、日本が核兵器を持っていないからです。日本が核武装の意志を示すことは、日本もまた北朝鮮と同じ低レベルに落ち込むこと以外の何ものでもありません。

核実験は最大の環境破壊であり、地球に対する犯罪行為です。日本もまた北朝鮮と同じ犯罪国家になろうというのでしょうか。

そもそも日本には、核武装の前提である核実験ができる場所がありません。核実験をどこかの島や岩礁で行なえば、放射能を周囲にまき散らし、日本本土や近海を放射能で汚染します。日本や世界中の環境・平和団体の大規模な抗議行動を招きます。グリーンピースのような団体は、実験地域に船を出して、実験を妨害するでしょう。やるなら、地下でしか実験できません。

しかし、地下核実験はどこで行なうのでしょうか。日本は世界有数の地震・火山国です。地下核実験は地殻に悪影響を及ぼし、大地震の引き金を引くかもしれません。当然、放射能汚染も生じます。地下核実験を行なう予定の地方の住民は絶対反対の抗議行動を起こすでしょう。それでも核実験を行なうためには、日本を北朝鮮並みの独裁国家にしなければ不可能でしょう。

実験もできない兵器を実戦配備することはできません。日本の核武装など幻想です。

核武装ができない以上、日本は「世界で唯一の被爆国」という立場を最大限に利用して、核兵器の廃絶を訴えつづけることこそ国益につながるのです。日本が、核兵器を製造できる技術も材料(プルトニウム)も保持していながら、核兵器を持たないことが、日本の道義的立場を強めるのです。

核兵器というものは近い将来に必ず廃絶されねばならない武器です。

人類はいつまで核兵器と「共存」するつもりなのでしょう。核兵器は戦争抑止力であり、使用できない兵器だ、という議論もありますが、すでに広島・長崎で使用されているのです。今日の人類が、自分の手の中にある核兵器を絶対に使用しないほど賢明であるとはとうてい思えません。また核兵器をどんなに厳重に管理していても、事故は起こりえますし、盗難の可能性もあります。歴史の大潮流はいずれ核廃絶に向かわざるをえないのです。広島・長崎を経験した日本には、そのイニシアティブを取る歴史的使命があります。