オネーギンには 詩歌のためなら命を惜しまぬ という 殊勝さはなかった。 なので、弱強・強弱格の区別もつかないまま。 挙句に、あの古代ギリシアの詩人で叙事詩「オデュッセイア」の作者、ホメロスを罵倒することもした。 その代わり、アダム・スミスは読んでいた。国の富はいかにして生まれ、なぜ国産物さえあれば 国家に貨幣が不要か 論ずることもできた。 だが、ほかに心得ているものがあった。それは物憂い日の心を捉えていたものに オヴィディウスがいた。 オヴィディウスは古代ローマの詩人で、祖国イタリアを恋の学問ゆえに追われ、モネダヴィアの野の果てに、一生を受難者として終えていたのである。
* * ) ) ) どこへ行く・・詩人には 困ったものだ -->
失敬する、オネーギン。帰らなくっちゃ 引き止めはしないが。何処で毎晩、過ごしているんだ -> ラーリン家で・・ ほう、毎晩、よく辛抱出来たものだ --> なあに、少しも わからん、見当ぐらいはつくが。・・ロシアの家庭では、もてなしは熱心だろうが、でるものは 手作りジャムと 天候の話ばかりというじゃないか。 平気さ、それでいい・・ --> 退屈しないのかね いや、社交界は性に合わないのでね、家庭的な集まりのほうが 楽しい。 ほう 牧歌調ときたか、変わってるな、なら、もういい。帰るんだね、 それはそうと、フィリスに会わせてくれないか。ウエルギリウスの詩に出てくる 羊飼いのような女性に。 きみの詩の対象になっているともいうし・・ぜひ
С. ПУШКИН
*- * - ))) ・オネーギン: 若いころは 社交界に名を馳せたが、いつしか 浮世の空騒ぎに情熱を失う。
・レンスキイ: ドイツ帰りの青年詩人。ラーリン家の妹娘のオリガを愛する。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます