難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

難聴者の聞こえと要約筆記(2) 言語学の本

2007年09月09日 17時50分08秒 | 要約筆記事業
070909_1721~001.jpg聴覚障害者のコミュニケーション支援手段として、通訳として要約筆記を機能させるために、日本語の構造や話し言葉の特徴を分析したが、これはもっと探求されるべき課題だ。

補聴器で聴取したり、手話で会話する難聴者等はコミュニケーションを音声言語で行っている。
この場合の音声言語というのは、書記言語や手話と対応している。

これらの難聴者等が要約筆記に不満を訴えるが、要約筆記を理解するためには、自分のコミュニケーションと要約筆記のモード、コードの違いは何かも理解する必要がある。

要約筆記はコミュニケーション、言語の分野に入る。

要約筆記者養成の指導者は通訳を養成する以上、言語に関わらざるを得ない。


ラビット 記
写真は、オシロイバナ。



難聴者の聞こえと要約筆記(1) 聞こえた情報の脳内処理

2007年09月09日 16時18分39秒 | 要約筆記事業

070831_0830鶏頭.jpg最近の補聴器の装用で感じたこと。

耳で聞く。聴く。言葉をオンで聞くということの経験が少ないあるいは疎遠になると、話し言葉をオンをオンのままで聞いていることに気がついた。オンの連続として聞き、それを頭の中で文字や文章に置き換えて、理解していることが多い。
言葉がオンのままで、概念になっていないからだ。

聞こえる人に聞くと、「言葉を聞く時に、オンを聞くよりも何を伝えているのかが無意識的に脳内処理されている」という。
これが出来ないと、難聴者にとってハンディが大きい。

乳幼児からの難聴者の場合、言葉を意識できるレベルでシャワーのように聞き続ける必要がある。健聴者に比べて、脳に入る言葉の量が圧倒的に少なく、言語処理に使える概念が不足するからだ。
外国語と同じように、難聴者にとっても言葉を聞くということはオンの概念化のために必要な行為かもしれない。それなら若い時、乳幼児からの方が意味がある。

40代の頃、ある所での講演で自分は人の話を聞きながら、頭の中で聞いたことを書きながら理解していると話したことがある。どうしてと理由を聞かれても説明できなかったが、言葉のオンが概念化されていなかったからだ。


070825_1146京王線.jpgそれは、10代、20代に深夜放送のラジオやEPレコードを繰り返し聞いた外国語の歌は今でも歌えるくらい頭に刷り込まれている。でもオンのつながりのままで意味は理解していない。
日本語では、オンを文字に置き換えることによって意味理解しているということか。

「カ」「ン」「ト」「オ」は「カントウ」と文字に置き換え、「関東」か「敢闘」か「巻頭」かを思い浮かべて、前後の聞こえた言葉と照らし合わせて、選択すると言うことになる。まるで、脳内でオンをワープロ処理しているようだ。

話は連続的に耳に入ってくるので、それを聞きながら先に聞こえたオンの意味を考えるので、これはストレスになる。

要約筆記でコミュニケーションするということは、話し言葉を自分の脳内処理ではなく要約筆記者が書き言葉であらわした文章で理解するということだ。
聞きながら言葉にする作業がない分、思考の余裕が生まれる。これが「思考できる要約筆記」だ。

ラビット 記

最初の写真の花はケイトウ。
下の写真は、ケイトウの色と似たボディーラインを持つ京王線


新しい公衆電話!? 聴覚障害者向け機能も

2007年09月09日 14時07分38秒 | 機器について
070908_2306~001.jpg070908_2306~002.jpgついこの間オープンしたばかりのシティホテルのロビーに、新しい公衆電話があった。

ピンクの公衆電話の半分くらいの大きさで、白いフェースになっていることとダイヤル面が傾いているのが目を引く。

音量調整ボタンもついているし、数字のボタンも大きいので見やすい。


しかし、何回も指摘しているピポパ通信や携帯電話からのダイヤル信号受信などの機能がない。
NTT東西会社に対する法規制のせいか。
携帯文化の中で、公衆電話の社会的機能があるはずだ。


ラビット 記