難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

難聴者の聞こえないメカニズム

2007年08月15日 19時09分48秒 | 生活
070813_0838~001.jpg難聴の自分は人の話はいつも「聞く」のではなく、「聴く」のである。

その「聴く」ことは「集中して聞くこと」なので、疲れる。聞こえたオンを頼りに、頭の中にある言葉の抽出作業を行うためだ。頭の中がフル回転している状態だ。
これは、手話通訳、要約筆記者も聞きながら脳内で通訳作業を行なうと疲労するので15分、20分で交代するのと似ている。

このため、余程のことがないと聴くことははしない。


070813_1755~0002.jpg日頃からコミュニケーションが成立していない状態、コミュニケーション不全感が続くと、心理的にも不安定になり、緊張したりする。何ごとも消極的になるか、逆に焦燥感を感じたり、心の暴走を限界ギリギリのところまで耐えている。

今日も、仕事のやり方をグループウェア上で提案したら、こんなやり方をしたら必ず反発を食う、そういうことをする前に電話でこういうことをしたいがと言って下地を作ってからやらないと駄目だと言われた。何のためにネットワークを作っているんだと思うが、電話社会に生きている人は切り替えられない。

問い合わせの電話をすると拡声電話を使っていても、聞き取れない言葉がある。何度か聞き直している内に、他の方法で調べればいいかと聞き取ろうとする気持ちが急に萎えていくのが自分でも分かる。

聞こえないから確実にコミュニケーション出来る方法をと考えて、メールやグループウェアを利用しても否定される。


聞こうとして聞こえないことのどうしようもない挫折感、聞こうとするモチベーションを持ち続けるのは並大抵ではない。

聞くということは、難聴者の心をかくも千々に乱れさせる。

聴覚機能の問題ではない。聞こえないことの理解のなさ、社会の偏見があるがこれは聞こえないことのメカニズム、心理的、社会的メカニズムが説明されていないからだ。

ラビット 記