当ブログをご覧いただきありがとうございます。尾串光康です。
1つの事柄は、様々な側面があります。それは、私の臨床でも同様です。子どもの視点から。親の視点から。指導者の視点から。社会的な観点から・・・などなど。
その中で、今まではABAを用いて療育を行うことでの子どもから大人にわたっての成果、すなわち子どもの、特に私の教え子の視点から、ABAについて記載してきました。
そこで、今回は、ABAを用いて指導する、その「楽しさ」についてをメインに記載していこうと思います。というのも、中々指導者の「楽しさ」が綴られている書籍や記事がなかなかなくて・・・。
子どもが伸びるから、子どもが成長するというのは、特にABAでは当たり前であり、前提です。
子どもが伸びなければ楽しくないですし、一人ひとり成長の物差しが異なる中で、それでも子どもの成長を見逃さないためにシェイピング(目標までの道筋を細かくし、到達させやすい階段をつくるというもの)があるのです。
だから、それはある意味当たり前なのです。
ですから、今回はまた違った切り口で話していこうと思います。
私が子どもへ臨床を行うことの最大の楽しさの一つ。また、ABAを用いる理由。それは、「子どもと心を通わすことができる」ことであり、ABAはそのためのツールです。
「知らない・わからない」ということが、私が臨床を行ってからいまだかつて経験していません。「子どもがなぜ特定の行動を起こすのか」を知る、言い換えれば「子どもの学習の仕方を知る」ことができるのがABAなのです。それがわからなければ子どもに適したプログラムや環境設定ができないでしょう。
それがわかるとき、それは当然子どもの行動が変容されていきます。そして、そこに子どもが笑顔になったり、充実している表情があります。言い換えれば、子どもが元気になる兆しが見えるということです。それが、「心を通わせる」瞬間なのです。
「心を通わせる」それはすなわち「コミュニケーション」でしょう。「子どもの行動を受容すればコミュニケーションが取れる」と考えられている方もいますが、それは違います。なぜなら、コミュニケーションとは「ルール」があり、こちらの働きかけ(受動)と、子ども自身からの働きかけ(能動)によって成り立っています。「子どもの行動を 【すべて】受容」するのは本当の意味でのコミュニケーションではありません。それは、子どもが要求を成就するための道具でしかありません。
例えば、「子どもの唾吐きがすごいのよ。でも、仕方がないから受容します。それは子どもの個性ですから。」これはコミュニケーションではないですよね?しかも、それをそのままにしておけば、当然問題は深刻化し、結果子どもの選択肢は失われていきます。
ABAでの指導は「子どもの唾吐きに代わった行動を強化し、皆に認められる機会を増やそう。そして、笑顔で毎日を過ごせるように」と考えます。そして、指導を開始し、「子どもがそれを理解し、かつ問題行動とは異なった行動を起こした瞬間!そして、その行動を強化し、子どもが良い反応(笑顔や充実感、または再びその行動をとろうとした際)を示したとき!!!」ここがセラピストとしての喜びなのです。
こういったことを一人の教え子と繰り返していくことがこの分野の魅力でしょう。
だもの、幼児の専門家にはなれないですわ(笑)。そもそも、心理学とは、言い換えれば人間学ですから。年齢を超越して、指導には常にロマンがあるというものです。
しかし、ブログではなかなか伝わらないでしょうな~(苦)。基本的なことが本当に理解出るときは、色々な臨床を体験し、様々なケースを経験し、様々な臨床家の話を聴いてこそというものです。
これに共感できるセラピストがいるのなら是非お会いしたい。臨床技術の情報交換も是非ぜひというものです。
そして、そういった技術者を増やしたいがためにも、私はすくすくで顧問をやっているのです。なんて、エゴかな?(笑)
しかし、この気持ちで、今週日曜日にある、すくすくでのオリエンテーションに挑んできます。
その内容は、次の記事に。
それでは、また来週に。
1つの事柄は、様々な側面があります。それは、私の臨床でも同様です。子どもの視点から。親の視点から。指導者の視点から。社会的な観点から・・・などなど。
その中で、今まではABAを用いて療育を行うことでの子どもから大人にわたっての成果、すなわち子どもの、特に私の教え子の視点から、ABAについて記載してきました。
そこで、今回は、ABAを用いて指導する、その「楽しさ」についてをメインに記載していこうと思います。というのも、中々指導者の「楽しさ」が綴られている書籍や記事がなかなかなくて・・・。
子どもが伸びるから、子どもが成長するというのは、特にABAでは当たり前であり、前提です。
子どもが伸びなければ楽しくないですし、一人ひとり成長の物差しが異なる中で、それでも子どもの成長を見逃さないためにシェイピング(目標までの道筋を細かくし、到達させやすい階段をつくるというもの)があるのです。
だから、それはある意味当たり前なのです。
ですから、今回はまた違った切り口で話していこうと思います。
私が子どもへ臨床を行うことの最大の楽しさの一つ。また、ABAを用いる理由。それは、「子どもと心を通わすことができる」ことであり、ABAはそのためのツールです。
「知らない・わからない」ということが、私が臨床を行ってからいまだかつて経験していません。「子どもがなぜ特定の行動を起こすのか」を知る、言い換えれば「子どもの学習の仕方を知る」ことができるのがABAなのです。それがわからなければ子どもに適したプログラムや環境設定ができないでしょう。
それがわかるとき、それは当然子どもの行動が変容されていきます。そして、そこに子どもが笑顔になったり、充実している表情があります。言い換えれば、子どもが元気になる兆しが見えるということです。それが、「心を通わせる」瞬間なのです。
「心を通わせる」それはすなわち「コミュニケーション」でしょう。「子どもの行動を受容すればコミュニケーションが取れる」と考えられている方もいますが、それは違います。なぜなら、コミュニケーションとは「ルール」があり、こちらの働きかけ(受動)と、子ども自身からの働きかけ(能動)によって成り立っています。「子どもの行動を 【すべて】受容」するのは本当の意味でのコミュニケーションではありません。それは、子どもが要求を成就するための道具でしかありません。
例えば、「子どもの唾吐きがすごいのよ。でも、仕方がないから受容します。それは子どもの個性ですから。」これはコミュニケーションではないですよね?しかも、それをそのままにしておけば、当然問題は深刻化し、結果子どもの選択肢は失われていきます。
ABAでの指導は「子どもの唾吐きに代わった行動を強化し、皆に認められる機会を増やそう。そして、笑顔で毎日を過ごせるように」と考えます。そして、指導を開始し、「子どもがそれを理解し、かつ問題行動とは異なった行動を起こした瞬間!そして、その行動を強化し、子どもが良い反応(笑顔や充実感、または再びその行動をとろうとした際)を示したとき!!!」ここがセラピストとしての喜びなのです。
こういったことを一人の教え子と繰り返していくことがこの分野の魅力でしょう。
だもの、幼児の専門家にはなれないですわ(笑)。そもそも、心理学とは、言い換えれば人間学ですから。年齢を超越して、指導には常にロマンがあるというものです。
しかし、ブログではなかなか伝わらないでしょうな~(苦)。基本的なことが本当に理解出るときは、色々な臨床を体験し、様々なケースを経験し、様々な臨床家の話を聴いてこそというものです。
これに共感できるセラピストがいるのなら是非お会いしたい。臨床技術の情報交換も是非ぜひというものです。
そして、そういった技術者を増やしたいがためにも、私はすくすくで顧問をやっているのです。なんて、エゴかな?(笑)
しかし、この気持ちで、今週日曜日にある、すくすくでのオリエンテーションに挑んできます。
その内容は、次の記事に。
それでは、また来週に。