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文在寅政権の経済学――「所得主導成長」とは何か

2019-10-10 18:19:44 | 日記

文在寅政権の経済学――「所得主導成長」とは何か

2019年2月        

  一部省略                  

韓国の文在寅(ムンジェイン)政権は発足当初から、「所得主導成長」、「公正経済」、「革新成長」を経済政策の3つの柱として、最近ではこれらを合わせて「人間中心の経済」あるいは「(革新的)包容国家」と称している。

3つのうち、公正経済とは従来、「経済民主化」と呼ばれてきた、財閥・大企業への経済力集中の抑制、濫用の防止、さらにそのオーナー家族による専横の防止を指す。

また革新成長は技術革新の促進を通じて成長を実現しようとするもので、前政権が掲げた「創造経済」に近い概念といってよいだろう。

これらふたつとは異なり、所得主導成長は文在寅政権が新たに打ち出した経済政策である。

本稿は、政策主導者が政権発足前に所得主導成長をどのようなものとして構想していたのかを紹介するとともに、それが発足後に具体的な政策として導入された際にどのような展開をみせたのかを明らかにする。        

写真:文在寅大統領

            文在寅大統領        
起源としての2014年国会セミナー        

文在寅大統領と所得主導成長を結びつけたのは、2014年7月10日に、当時国会議員であった文在寅の主催により開催されたセミナー「所得主導成長の意味と課題:中産層を育てる進歩の成長戦略」であったとされる。

同セミナーで報告をおこなったのは、イサンヒョン国際労働機関(ILO)研究調整官(当時、以下同じ)と洪長杓(ホンジャンピョ)釜慶大教授、それに文在寅とともに同セミナーを主催した殷秀美(ウンスミ)議員であった。        

イサンヒョンは、所得主導成長の考え方を最初に提唱したとされるILOのレポートGlobal Wage Report 2012/2013: Wages and equitable growthの執筆者のひとりであった。

セミナーでのイサンヒョンの報告「所得主導成長論の意義と国際社会の対応戦略」1によれば、先進国や韓国においてはいずれも所得分配が悪化している。

特に顕著であるのは「労働所得分配率」、すなわち全体の所得のなかで労働所得が占める比率の低下である。

この下落の原因は、賃金の上昇が労働生産性の上昇に満たないことにある。

労働所得分配率の低下に伴う個人消費の減少は顕著であるのに対して、資本分配率の上昇に伴う投資増加の効果は微々たるものである。

そのために、先進国や韓国では経済成長率も低下してしまっている。        

 成長か分配か、の二分法はもはや無意味であり、労働所得の引き上げを通じた成長、すなわち所得主導成長が必要だとイサンヒョンは主張する。

労働所得の具体的な改善策として提示されているのが、最低賃金や生活賃金制度の活用である。

ただしイサンヒョンは、実際には世界的に需要不足を低賃金・低金利を通じた純輸出の上昇によって解決しようとする国が多いことから、所得主導成長を実現するためには国際的な協調が必要であるとしている。          

イサンヒョンの報告が、先進国全体の低成長問題への解決策として所得主導成長を提唱したのに対して、洪長杓の報告「韓国経済の対案的成長モデルの模索」は、所得主導成長のモデル化を試みるとともに韓国に適用する際の政策提言もおこなっている。

洪長杓もまず、イサンヒョンと同様に、実質賃金の上昇による消費支出の増加、という需要面での経済成長の経路を提示している。

さらに、総需要の増加にともなう規模の経済や新たな設備投資の増加によって、あるいは実質賃金の上昇が労働節約的技術進歩を誘発することによって、それぞれ労働生産性を上昇させて供給面でも経済を成長させることが可能になるとした。        

その上で洪長杓は、賃金上昇によって輸出競争力が低下し、また雇用が減少してしまうといった懸念に対して、労働生産性の上昇によって輸出競争力は強化され、また総需要の増加によって雇用はむしろ増加すると主張した。

実質賃金の上昇による成長は「賃金主導成長」だが、韓国などでは労働に占める自営業者の比率が高い。

そこで洪長杓は、自営業者の所得安定策も含めた「所得主導成長」が必要であるとした。

具体的な政策として提唱したのが、最低賃金の適正化、賃金と生産性上昇のリンク、そして自営業者の保護である。洪長杓は文在寅政権の発足と同時に、大統領府の経済主席秘書官に就任した。        

           
『なぜ怒らなければならないのか』        

文在寅政権発足時に、大統領秘書室において経済社会政策を統括する政策室長に就任したのが高麗大教授であった張夏成(チャンハソン)である。政策室長は、洪長杓が就任した経済主席秘書官の直属の上司にあたる。

張夏成は進歩派の学者のなかでも代表的な財閥改革論者であり、それまで文在寅とは直接の接点はなかったものの、2015年の著書『なぜ怒らなければならないのか』(ヘイブックス刊)において、政権の経済政策を前もって示すような議論を展開している。          

張夏成は成長よりも、深刻な所得不平等の解消を最大の政策課題にあげている。

彼によれば、韓国はOECD諸国のなかで所得不平等がもっとも深刻な国のひとつである。

家計所得のジニ係数はOECD諸国の平均に近いが、これは家計所得の測定に問題があるために低めに出ている結果であるとする。

張夏成は労働所得分配率の低下も問題としているが、それ以上に問題視しているのが労働者間の所得不平等である。

常用勤労者賃金所得の下位10%に対する上位10%の賃金の比率は2013年に4.7倍とOECDで4番目に高い。

最も高い国はアメリカで5.1倍だが、韓国は賃金の低い臨時職労働者が非常に多いことを考えると、勤労者全体の賃金格差はアメリカレベルに達していると推察される2

労働者間の賃金格差を生んでいる要因のひとつは、正規労働者と非正規労働者のあいだの格差である。

非正規労働者の賃金は正規労働者の50-55%水準にすぎない。もうひとつの要因は大企業と中小企業のあいだの格差である。中小企業労働者の賃金は大企業の60%にとどまっている。        

 張夏成はここで、企業が所得の一次的な分配をおこなう存在であることを強調する。

韓国の財閥・大企業は利潤の最大化=分配の最小化に専心し、労働者、株主、債権者、サプライヤーである中小企業に分配せず、内部留保を積み上げている。

その結果生じている分配の不平等を、二次的分配、つまり政府による社会福祉などを通じた再分配のみで改善することは、病気の原因をそのままに症状のみ緩和しようとするようなものであり、そもそも財政的にも難しい。

一次的分配の改革、つまり財閥・大企業の分配構造の改革をおこなわなければならない。

具体的におこなうべき政策として張夏成は、賃金分配の規制、つまり賃金の引き上げと、中小企業が賃金を引き上げることができるように、下請けに対する単価の切り下げなど経済力濫用への規制をあげている。        

 最低賃金の大幅引き上げと主導者の退陣        

 張夏成政策室長、洪長杓経済主席秘書官という二人の学者出身者の主導のもとで、所得主導成長の政策が実行に移された。

その中心的な政策となったのが、最低賃金の引き上げである。文在寅は大統領選挙において、時給6,470ウォン(約630円)であった最低賃金を、任期末の2022年までに10,000ウォンに引き上げることを公約に掲げていた。

政権発足後、最低賃金委員会は、2018年の最低賃金を前年比16.4%増の時給7,530ウォンに決定した。

過去数年間は6-8%程度の引き上げであったことを考えると、引き上げ幅は際立って大きかった。

さらに、文在寅大統領は公正取引委員会の委員長に、張夏成と並ぶ代表的な財閥改革論者である、漢城大教授の金尚祖(キムサンジョ)を任命した。

金尚祖委員長は「公正経済」の看板のもと、フランチャイズ制度における取引慣行の改善や下請け取引における単価適正化など、大企業による中小・零細企業に対する経済力濫用の抑制策を矢継ぎ早に打ち出した。          

しかし、最低賃金の大幅引き上げに対しては、本来は政権が保護する対象と考えていた零細企業・自営業者から、労働コストが大幅に上昇して経営に深刻な影響を及ぼすとして激しい反発が起こった。

それでも政府は、事業主からの申請があれば実質的に賃金の補填をおこなう「イルチャリ(働き口)安定基金」を設けた上で、2018年1月から最低賃金の引き上げを強行した。          

 引き上げから間もなく、憂慮が現実のものとなった。2018年に入って就業者数の前年比増加数が大幅に縮小していった(図参照)。特に零細・自営業者の多い飲食・宿泊業などは前年同期比で大幅なマイナスとなった。最低賃金の大幅な引き上げを受けて雇用者数を減らしたり、廃業に追い込まれた零細企業・自営業者が多かったことが原因のひとつとみられた。このことは、雇用拡大も同時に図るとしていた政府にとって痛手であった。        

            

さらに政府にとって衝撃的であったのが、2018年5月24日に発表された2018年第1四半期の家計動向調査の結果であった。

所得増加や格差の縮小どころか、下位階層の所得は減って格差が拡大してしまったのである。

にもかかわらず、文在寅大統領はその直後の5月31日に開いた国家財政戦略会議において、「最低賃金引き上げの肯定的評価が90%」と発言した。

この発言の根拠をめぐって批判が高まると、根拠の資料を提供した洪長杓経済主席秘書官が6月3日に記者向けブリーフィングをおこなったが、これは火に油を注ぐこととなった3

結局、洪長杓は同月26日に事実上更迭され、新たな経済主席秘書官には経済官僚出身である尹琮源(ユンジョンウォン)OECD大使が任命された4。          

その後も就業者の伸びの鈍化は続き、前年比割れも現実味を帯びてきた。政府は2019年の最低賃金を前年比10.9%増の8,350ウォンにすることを決定して所得主導成長の路線は維持する一方、2018年の第4四半期になって急遽公共部門での短期雇用を拡大するなど、雇用対策に追われるようになった。

 所得主導成長の看板は維持できるか        

張夏成に代わる新たな政策室長には、社会主席秘書官であった金秀顕(キムスヒョン)が就任した。

金秀顕は進歩色の強い土地・住宅問題の専門家であるが、経済政策にどのような考え方を持っているかは明らかでない。

文在寅大統領自身は、2019年の年頭記者会見で「韓国は世界で最も不平等な国の一つ」と述べて、所得主導成長路線の維持を明確にしている。

2018年のGDP成長率は2.7%と前年よりも0.4ポイント下落したが、個人消費の伸びは2.8%と前年比0.2ポイント上昇するなど、政府内では政策の効果が出始めているとの評価もある。

他方で、設備投資の低迷は続き、これまで韓国経済を支えてきた半導体輸出も2018年末から大きく落ち込むなかで、投資促進策などのより強力な政策出動を求める声が日増しに強まっている。

所得主導成長をリードしてきた二人の学者が去ってしまったなかで、果たして文在寅政権はいつまで所得主導成長の看板を掲げ続けることができるだろうか。        

 著者プロフィール        

安倍誠(あべまこと)。アジア経済研究所地域研究センター東アジア研究グループ長。専門は韓国企業・産業論。主な編著に『低成長時代を迎えた韓国』アジア経済研究所、2017年。


2019年の韓国経済…進退窮まる

2019-10-10 18:07:44 | 日記

ファイナンシャルニュースジャパン

2019年の韓国経済…進退窮まる

2018年初めに大きな希望を抱いて始まった韓国経済だが、下半期に入り景気後退が本格化している。

第一四半期には前期比1.0%成長と期待が高まったが、第二四半期と第三四半期はともに0.6%の成長にとどまり、韓国銀行は2018年の成長率を2.7%と予測した。

これは2012以来の最低値である。

これすらもサムスン電子をはじめ半導体への需要の高さの恩恵であり、金属機械や石油化学などの基幹産業は低迷を続けている。

2019年には半導体輸出も伸び悩むと見られており、前年より好転するとの予測は見当たらない。

資本主義市場の経済体制は成長と後退を周囲的に繰り返す性格を持っているため、景気循環的な後退ならば大きく心配する必要はない。

総需要管理を通して後退の振幅を下げて下降周期をできる限り短くすればいいのだが、それ以上の構造的問題を抱えているのが現状だ。

中国の製造2025 戦略は、韓国経済を大きく揺るがす可能性が高い。

中国が韓国の中間財を輸入して、米国およびヨーロッパなどへ輸出する中で、韓国をパッシングし中間財まで直接生産する構造が完成すれば大打撃は避けられない。

インドやアセアン諸国など新しい市場を積極的に開拓していけばよいのだが人工知能(AI)、半導体、二次電池などの先端産業における中国の技術発展速度を考慮すれば、韓国経済の未来は確証できないだろう。

自国優先主義政策を展開している米国のトランプ政府はもちろん、中国、日本、ドイツなどは世界で優位を占めるためありとあらゆる努力を行っており、その中軸は法人税の引き下げをはじめ企業経営環境の改善にある。

韓国政府も経済成長や雇用創出の努力を行っており、所得主導成長戦略はムン・ジェイン政権式の成長戦略だ。

しかし政策20カ月目となる現在、成長は鈍化し失業率は増えている。雇用も政府の予算で創出したものを除けばむしろ減少傾向で、所得の両極化はさらに悪化した。

政府が心血を注ぐ南北関係の改善だが、その効果が韓国経済に影響を及ぼすのは早くても現政権の任期が終了後だろう。

大企業だけでなく中小企業においても投資意欲は減退しており、零細自営業者は店じまいを始めている。

韓国経済に存在する格差問題。これを是正するため企業を押し詰めれば企業の海外流出にも繋がりかねない。

金の卵を産むガチョウを殺してはいけない。

政府が先頭に立って支援することが難しければ、ノ・ムヒョン政権時のように企業に対して「NO TOUCH」を貫くことだ。

市場経済の歪曲を防ぎ、少なくとも政府による妨害は防げる。

一方で何より懸念されるのは、経済社会全般に蔓延る危機意識の低さだ。すべての責任は政府が負い国民は安心していればよい。

本当にそれが実現していればいいのだが、国民に責任意識がなければ「事なかれ主義」が幅を利かせるだけだ。

1人当たりのGDPは12年もの間2万ドル台にとどまっていたのが、ようやく3万ドルに突入しようかという状況だ。

1997年に起こったアジア通貨危機。二の舞を演じるようなことがあってはならない。