■雨あがる
自衛隊観艦式が今年度は周辺情勢を受け中止されるという事になりましたので前回の観艦式の前段となりました舞鶴展示訓練に関する懐かしい写真を紹介しましょう。

舞鶴を撮影していたらが豪雨が襲ってきましたが藤田まこと中村玉緒共演時代劇の第一話のように雨あがるの情景を撮る事が出来ました。凄い豪雨だった、けれども通り雨でしたので太陽が覗いてきました。いやかなり迷ったのですよ、新日本海フェリーのターミナルビルではサッポロクラシックラガーが呑めるというではありませんか、北海道限定なのにどこから入手したのだというほどに貴重ですよ。

通り雨ですので太陽が濡れた護衛艦を照らし情景はなにか艶やかにさえ見える、しかし、サッポロクラシックラガーは惜しかった、呑まなかったのか真面目だなあ、と思われる方は誤解しています、ここ夕方開くのが遅いのです、しかもジンギスカンもメニューに並ぶ。

夕陽に照らされる護衛艦の舞鶴基地、それでもフェリーターミナルは惜しかったですねえ、1800時から2100時まで営業しているといいますから、今度はここでビールを呑みながらジンギスカンをつつきつつ夜景撮影まで時間を楽しく過ごすというのも良いかもしれない。

新日本海フェリーの舞鶴ターミナルは、帯広ホエー豚丼とほっけフライ、ざんぎ焼きたんてのもあるのですけれども、ざんぎ焼きってなんだろう。サッポロクラシックラガーはのど越しが個人的にすごく合うのですよね、スポーツドリンクのようにながれこんでゆく。

五老岳を背景に、ひゅうが、くにさき、あたご、ふゆづき。舞鶴散策には特に護衛艦を眺められる場所というのがいくつかあるのですが、この前島埠頭は夜景も出航も入港も撮影できるという好立地です、市内からも橋が新しく架かりましたので移動が楽になりました。

ひゅうが、この情景を見るたびに時代も変わったなあ、と思うところです、最初舞鶴を探訪した頃には舞鶴基地最大の護衛艦は護衛艦はるな、当時は護衛艦きくづき現役の時代でしたし、初めての体験航海は護衛艦きくづき、いまはなき護衛艦たかつき型の時代という。

はるな時代、ヘリコプター搭載護衛艦はわたしが初めて佐世保に行きました時代にまだ母港佐世保となっていまして、しかし、護衛艦ひゅうが竣工とともに護衛艦はるな除籍となりました。ただ、その後任に舞鶴配備となりましたのは護衛艦しらね、だったのですね。

しらね、横須賀時代には海上自衛隊の象徴的存在ではありましたが、その分重圧があったのか、乗員はかなり厳しい状況にあったと、艦上では聞きませんが居酒屋では聞かされました。ただ、乗員を総入れ替えした舞鶴では、良い護衛艦、という話題を焼き鳥屋で聞く。

横須賀と舞鶴、なのですが中の人たち大勢に交じって晩酌していますと、これはコロナ前の話なのですが、佐世保と横須賀よりも、舞鶴の方が落ち着いて、しかし愉しい雰囲気なのですよね。呉は、観光地然としている印象、大湊は行った事が無いのでわかりません。

舞鶴は飲み会好き、という話も聞くのですが。COVID-19の時代になりますとみなさん大変だと思う。そしてもう一つ、舞鶴は焼肉の街なのですよね、〇時過ぎまでやっている焼肉屋さんまである。佐世保には24時間営業のブラックなカレー屋さんがあるのですけれど。

コロナ前ならば夜景撮影か晩酌かを真剣に考えていたところなのですけれども、今の時代は2mの離隔を採れないお店と換気が悪そうなお店にはなかなか行けないのですよね、そして昔の様に無防備に酔えないという、なんとも息苦しい時代だと改めておもうものですよ。

雨は上がって、舞鶴にはなにしろ京都市内は祇園祭で物凄い混雑でしたし、二日ほど滞在してして羽を伸ばす予定でしたので、この日の夜間撮影は切り上げて、まあ人のいないお店で晩酌をしよう、と考えつつ転進しました。この日を境にCOVID-19第七波が激化した。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
自衛隊観艦式が今年度は周辺情勢を受け中止されるという事になりましたので前回の観艦式の前段となりました舞鶴展示訓練に関する懐かしい写真を紹介しましょう。

舞鶴を撮影していたらが豪雨が襲ってきましたが藤田まこと中村玉緒共演時代劇の第一話のように雨あがるの情景を撮る事が出来ました。凄い豪雨だった、けれども通り雨でしたので太陽が覗いてきました。いやかなり迷ったのですよ、新日本海フェリーのターミナルビルではサッポロクラシックラガーが呑めるというではありませんか、北海道限定なのにどこから入手したのだというほどに貴重ですよ。

通り雨ですので太陽が濡れた護衛艦を照らし情景はなにか艶やかにさえ見える、しかし、サッポロクラシックラガーは惜しかった、呑まなかったのか真面目だなあ、と思われる方は誤解しています、ここ夕方開くのが遅いのです、しかもジンギスカンもメニューに並ぶ。

夕陽に照らされる護衛艦の舞鶴基地、それでもフェリーターミナルは惜しかったですねえ、1800時から2100時まで営業しているといいますから、今度はここでビールを呑みながらジンギスカンをつつきつつ夜景撮影まで時間を楽しく過ごすというのも良いかもしれない。

新日本海フェリーの舞鶴ターミナルは、帯広ホエー豚丼とほっけフライ、ざんぎ焼きたんてのもあるのですけれども、ざんぎ焼きってなんだろう。サッポロクラシックラガーはのど越しが個人的にすごく合うのですよね、スポーツドリンクのようにながれこんでゆく。

五老岳を背景に、ひゅうが、くにさき、あたご、ふゆづき。舞鶴散策には特に護衛艦を眺められる場所というのがいくつかあるのですが、この前島埠頭は夜景も出航も入港も撮影できるという好立地です、市内からも橋が新しく架かりましたので移動が楽になりました。

ひゅうが、この情景を見るたびに時代も変わったなあ、と思うところです、最初舞鶴を探訪した頃には舞鶴基地最大の護衛艦は護衛艦はるな、当時は護衛艦きくづき現役の時代でしたし、初めての体験航海は護衛艦きくづき、いまはなき護衛艦たかつき型の時代という。

はるな時代、ヘリコプター搭載護衛艦はわたしが初めて佐世保に行きました時代にまだ母港佐世保となっていまして、しかし、護衛艦ひゅうが竣工とともに護衛艦はるな除籍となりました。ただ、その後任に舞鶴配備となりましたのは護衛艦しらね、だったのですね。

しらね、横須賀時代には海上自衛隊の象徴的存在ではありましたが、その分重圧があったのか、乗員はかなり厳しい状況にあったと、艦上では聞きませんが居酒屋では聞かされました。ただ、乗員を総入れ替えした舞鶴では、良い護衛艦、という話題を焼き鳥屋で聞く。

横須賀と舞鶴、なのですが中の人たち大勢に交じって晩酌していますと、これはコロナ前の話なのですが、佐世保と横須賀よりも、舞鶴の方が落ち着いて、しかし愉しい雰囲気なのですよね。呉は、観光地然としている印象、大湊は行った事が無いのでわかりません。

舞鶴は飲み会好き、という話も聞くのですが。COVID-19の時代になりますとみなさん大変だと思う。そしてもう一つ、舞鶴は焼肉の街なのですよね、〇時過ぎまでやっている焼肉屋さんまである。佐世保には24時間営業のブラックなカレー屋さんがあるのですけれど。

コロナ前ならば夜景撮影か晩酌かを真剣に考えていたところなのですけれども、今の時代は2mの離隔を採れないお店と換気が悪そうなお店にはなかなか行けないのですよね、そして昔の様に無防備に酔えないという、なんとも息苦しい時代だと改めておもうものですよ。

雨は上がって、舞鶴にはなにしろ京都市内は祇園祭で物凄い混雑でしたし、二日ほど滞在してして羽を伸ばす予定でしたので、この日の夜間撮影は切り上げて、まあ人のいないお店で晩酌をしよう、と考えつつ転進しました。この日を境にCOVID-19第七波が激化した。
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