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【日曜特集】第14旅団創設6周年-善通寺駐屯地祭【4】偵察特科施設行進(2012-04-29)

2019-05-05 20:17:17 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■四国旅団の観閲行進
 第14旅団祭、今回は第14偵察隊と第14特科隊に第14高射特科中隊と第14施設中隊の観閲行進を紹介しましょう。

 善通寺第14旅団祭、その始まりは1981年の第2混成団新編まで遡ります。新編当時の編制は、混成団本部、団本部中隊、第15普通科連隊、第2混成団戦車隊、第2混成団特科大隊、第2混成団施設隊、第2混成団後方支援中隊、第2混成団音楽隊、という陣容です。

 第14旅団の編制と比較しますと、司令部及び同付隊、第15普通科連隊、第50普通科連隊、第14特科隊、第14戦車中隊、第14偵察隊、第14高射特科中隊、第14施設中隊、第14通信中隊、第14特化学防護隊、第14後方支援隊、第14飛行隊、第14音楽隊、という。

 第15普通科連隊は現在第15即応機動連隊というかつての第2混成団のような機動運用部隊となっていますが、第13師団より管区毎移管されました。第2混成団戦車隊も第13戦車大隊より移管され、しかし61式戦車20両を基幹の、かなり大型の編制を執っています。

 機械化混成団、実は1981年の団新編に先立って、地元で誤解されていたのが1962年師団制度創設以前の機械化混成団のような強力で日あく的大きな舞台が善通寺に創設される、という、誤解でした。機械化混成団は名古屋の第10師団も昔は第10混成団でした、ね。

 機械化混成団は、普通科連隊、特科連隊、施設大隊、偵察中隊、通信中隊、武器中隊、補給中隊衛生中隊、飛行隊、以上の編制として1950年代に創設されていました。一見第2混成団と似ている編成のようですが、定員6100名、この頃の普通科連隊は非常に大型だった。

 混成団普通科連隊は4個普通科大隊と重迫撃砲中隊に戦車中隊と衛生中隊という陣容で普通科大隊は3個普通科中隊を基幹とする現在の旅団普通科連隊に匹敵する規模、しかも普通科連隊隷下に戦車中隊が置かれ、その戦車中隊も戦車定数は22両と巨大なものでした。

 混成団特科連隊も直接支援大隊と全般支援大隊、105mm榴弾砲と155mm榴弾砲を各18門の合計36門有していまして、高射大隊は高射機関砲32門を基幹とする。悪いですが現在の千僧駐屯地第3師団が5000名台まで擦り減っていますので機械化混成団の方が巨大だ。

 善通寺もこの当初想像した混成団、勿論この混成団の前に1972年の沖縄返還と共に新編された第1混成団が1500名規模となっていましたので、大きな混成団とは幻想でもあったのかもしれませんが、自衛隊と古くから親しむ四国の土地柄、勘違いもあったのでしょう。

 第13師団は、第15普通科連隊が第2混成団として独立した事で四個普通科連隊基幹の甲師団から三個普通科連隊基幹の乙師団へと改編されました。米子駐屯地の第8普通科連隊、山口駐屯地の第17普通科連隊、そして海田市駐屯地の第46普通科連隊、という陣容へ。

 海田市駐屯地の第13旅団、現在は第13師団は旅団へ改編されています。実のところ、山陽山陰地方を防衛警備管区とする第13師団は冷戦終結と共に山陰地方へのロシア軍着上陸という蓋然性が低くなり充足率も低下、定員の低い師団を充足させる為に旅団としました。

 しかし、第13旅団へ改編した後に急浮上した脅威が北朝鮮工作船による浸透の脅威です、まともな揚陸艇さえない北朝鮮軍の大規模着陸の可能性はありませんが、武装工作員浸透の脅威が邦人拉致疑惑の明白な証拠と共に急浮上し、日本海側防備重要性が拡大してゆく。

 四国の守りは、しかし第2混成団時代とは急に別の角度から突き付けられる事となったのが禁煙その脅威が認識される事となった南海トラフ巨大地震です。紀伊水道沿岸と四国南岸が東日本大震災に匹敵する巨大津波脅威に曝されており、ここも守らなければならない。

 さて混成団改編、第2混成団は四国全域と淡路島を警備管区として受け持つようになります。淡路島に着上陸というものは平安朝末期の源平合戦以降ありませんが、防衛警備管区は災害派遣対処、という重要な任務も含まれています、淡路島は兵庫県の一部なのですが。

 淡路島が第2混成団警備管区へ含まれたのは、現在のような明石海峡大橋が建設される前において、鳴門を越えて四国側からの方が淡路島へも迅速に展開出来る為で、実際、1995年の阪神淡路大震災は震源に近い淡路島への災害派遣を第2混成団が全力で対応しました。

 混成団新編は暖簾分けに似ているといえるかもしれません、第13師団からの一部部隊を暖簾分けした、という構図ですね。戦車部隊も特科部隊も暖簾分けに近い形で分けられています。そして混成団新編に併せ1961年からの第2教育団はそのまま大津駐屯地へ移駐へ。

 第2混成団戦車隊の駐屯地は岡山県日本原駐屯地のまま、これは混成団管区内の四国には大演習場は勿論中演習場も無い為で、戦車射撃を行うためには必要な措置でした。当たり前ですが、混成団新編当時に瀬戸大橋本州四国連絡橋は建設途中で在りまだ存在しません。

 第2混成団特科大隊はやはり第13特科連隊より一個大隊を分割、もともと第13特科連隊が第15普通科連隊と共に連隊戦闘団を編成する際に担当大隊を分割したのですが、当時の行事写真を見ますと155mm榴弾砲と105mm榴弾砲が混成配備されているのが分ります。

 第15即応機動連隊、2018年に第15普通科連隊を増強改編史創設された部隊なのですが、個々の編制を視てゆきますと、勿論人員規模はコンパクト化されているのですが、思った以上に第2混成団と編成上の共通点が多い事に気付かされるのは、当方だけでしょうか。

 第15即応機動連隊は連隊本部、本部管理中隊、第1普通科中隊、第2普通科中隊、第3普通科中隊、火力支援中隊、機動戦闘車隊、というもの。3個普通科中隊は96式装輪装甲車により装甲化されていまして、機動戦闘車隊は2個機動戦闘車中隊基幹の大隊編成です。

 即応機動連隊の本部管理中隊機能は極めて充実していまして、連隊本部班、補給小隊、通信小隊、衛生小隊、情報小隊、施設作業小隊、対戦車小隊、高射小隊、といい、75式装甲ドーザに93式近距離地対空誘導弾と軽装甲機動車に中距離多目的誘導弾システムを持つ。

 第2混成団について、しかし、今回行事を紹介しています2012年の第14旅団についても大きく強化されています。大きな部分は装備の近代化というもの。本州陸上自衛隊は装備近代化の度合いが遅れているといわれていますが、長い目で見ると実は着実に進んでいる。

 1980年代と2010年代とでは装備が大きく転換しています、90mm戦車砲を備えた61式戦車は105mm戦車砲の74式戦車、原型設計が1917年という古い米軍供与M-1/155mm榴弾砲とM-1/105mm榴弾砲は洗練された半自動装填装置を備え39口径のFH-70榴弾砲へ。

1990年代に陸上自衛隊の全面的な自動車化が始まりまして、従来は地形防御を最大限活かす軽歩兵部隊の能力、あらゆる地形と悪天候を克服する徒歩機動能力を重視し、自動車化は普通科連隊本部管理中隊輸送小隊と師団輸送隊のトラック輸送支援を受けていたもの。

 1992年に導入が開始されました高機動車は毎年400両以上が取得され、一挙に普通科部隊の自動車化が進みました、これにより輸送小隊や輸送隊の73式大型トラックへ24名づつ分乗して輸送する、連隊本部と迫撃砲部隊のみ自動車化、という状況を脱却した訳ですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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