北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【G3X撮影速報】百里基地航空祭2023【5】空往く精鋭!第3飛行隊F-2戦闘機機動飛行(2022-12-04)

2024-04-13 20:00:50 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■これが第三飛行隊!
 冷戦時代に三沢基地にてソ連艦隊の北海道攻撃に備え猛訓練を積んでいたのが今回非道飛行をおこないます第三飛行隊です。

 F-2戦闘機の編隊飛行から機動飛行へ。F-2戦闘機といいますと、自衛隊を見ている最中で初飛行の話題に接し、これが日米共同開発とフライバイワイヤソースコード供与中止による開発難航とCCV実験機など独自技術開発で乗り越えた様子を報道で見ていた。

 F-2戦闘機は難産であったけれども試作機がFS-Xと呼称され、F-2支援戦闘機という名前と共に制式化に漕ぎつき、そして三沢基地へ配備開始という報道とともに旧型のF-1支援戦闘機を置き換え、支援戦闘機という呼称が戦闘機に統合される様子もみていた。

 三菱重工のF-2戦闘機というのは、そういう意味で、身近な、と言ったならば語弊があるのかもしれませんが、わたしの世代では成長する様子を見ていた機種なのですね。同じころ、川崎重工ではOH-1観測ヘリコプターの開発が進み、航空時代の到来、とも。

 GCAP将来戦闘機、現在開発が進むのですがF-2戦闘機の開発から空白期間が長すぎまして、本来はこの期間の欠缺を補うために、T-4練習機の後継機などを進めるべきだったのかもしれませんが、ミサイル防衛という巨額を要する防衛力整備がこれを阻んだ。

 BAEシステムズ主体となるのか、三菱重工が主導権を握れるのか、レオナルド社はなにも通知がないとして怒り心頭という声も伝わるのですが、延々とユーロファイター戦闘機改良を続け、そして何より曲がりなりにもスペインで完成機を組み立てていた訳で。

 GCAPを日本独自に輸出する、政府の新方針が示されたのですが、これ、日本がイギリスとイタリアに輸出する部品が輸出用に使われる事への議論かと思えば、イギリスとイタリアは独自に販路を開拓するので、日本が独自に輸出先を開拓する可否という話とか。

 オーストラリア空軍などは、なにしろ国土が広大な割にはF-35の航続距離の問題がありますので航続距離の大きなGCAPは潜在的に導入することとなるのでしょうが、AUKUS枠組の関係上、オーストラリアは必要ならばイギリスからも購入できるわけですね。

 韓国空軍への販売を考えているのだろうか、韓国はKF-21ボラメ戦闘機として第4.9世代戦闘機を独自開発、費用はインドネシアと折半、しており将来的には独自の次世代戦闘機開発を構想しているのでしょうが、独自に第六世代機開発費を捻出できねば、と。

 安全保障情勢を考慮し、独自の輸出網を、というのは政府の一貫した説明ですが、それならば日本のパワープロジェクション能力にGCAPを主柱として位置づけて、海外に販売せずとも、自衛隊が平時の演習等を通じて武力紛争を阻止できる予防外交を、とも。

 96機製造されたF-2戦闘機の後継ではあるのですが、思い切ってF-86戦闘機のように450機程度大量生産し、必要ならば海兵航空団のように陸上自衛隊へF-35を移管してしまい戦闘機はGCAP一本、これで周辺事態そのものを抑止する、ぐらいの気概は欲しい。

 ヘリコプター搭載護衛艦の将来型にGCAPを搭載できる規模のものとして海上自衛隊にも配備するとか陸上自衛隊にも思い切って配備するなどして、700機くらい製造するならば、反撃能力も核の脅威の問題などもある程度抑止できるのでは、と考えるけれども。

 防衛費の問題、防衛費を抑制するという世論の要求、それである程度国土が焦土になってもいいならば別ですが、それも困るので十分な平和的生存権を、と世論が要求するならば、どの国も負担を我慢していることと同じ覚悟を持たねば、選民思想ではいけません。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都発幕間旅情】榛名さんの総監部グルメ日誌-東京,中央線駅前遅めの昼餉は青島ビールと小皿の中華と共に

2024-04-13 14:19:57 | グルメ
榛名さんの総監部グルメ日誌
 暖冬と寒い春に上着か防寒着か薄着か迷うところが続いたものですけれどもさてさて今年のあと二か月後はどういう気候となっているのだろう。

 東京というのは何でこう大袈裟なんだろうなあ、と思いつつ、しかしせっかちさではこちらの方が急いでいるのかなあ、と思ったりもする。考えてみると一年でやる事の多さでは東京の形式ばったことよりもこちらの方が多いのかもしれない、同じ日本ということ。

 東京で所用を早めに終えました際、いや実はもう少し時間がかかると思っていたのですが、COVID-19のながい期間を経て、そうですねそれではそのまま一杯、という習慣は機雷では無かったのですけれども、その人間同士の繋がりというのもどうやら希薄になったよう。

 遅い昼食、というのでしょうか朝急いでいた関係でそれほどゆったりと食事を取れなかったものですから、そのまま水道橋駅かいわいで昼食を頂くこととしました。実のところ神保町で目当てのお昼ご飯を考えていたのですが、ちょっとランチタイムを外していたゆえ。

 タイ料理か中華料理か。こういう並びが東京というのでしょうかね、ランチタイム無関係にいただけるようで。この並び、いや、今出川駅前にも中華料理とタイ料理が仲良く並んでいたなあと思いつつ、するとここが京都で云う今出川なのか、近くに大学もあるしなあ。

 中華料理にしよう、こう思いましたのは“青島ビール”という一文字の影響があるのかもしれません、そうここまで遅くなった背景には午後の予定も併せて午前中が長引いたものでして、するともう予定はありませんからビールを一杯やる事が出来るということなのだ。

 揚州商人さん、ようするにチェーン展開のお店を選んだのですけれども、トリアエズビールというのは日本の共通語となっていますので、中ジョッキでビールを頂きつつ、品書きをゆったりと眺めるのです、もっともそう望見する事も無いのですけれども、さてさて。

 棒棒鶏、パソコンでばんばんじいと書きまして棒棒鶏と一発変換する事に少々驚きつつ、先ずは直ぐに出てくるひと品をビールのお供としつつ。味噌だれの甘辛いしょっぱさと共に、しかしひんやりとした鶏にも確実に湛えられた出汁のような旨味と、そしてビールだ。

 餃子、定番すぎると思うなかれ、ビールと云えば餃子ですよ。大陸では水餃子が定番と云いますが昔満州が在った時代にせっかちな兵隊さんが焼いてほしいとお願いして出来たという話を前に聞きまして、薄皮の向こうに香味野菜と肉汁と肉の旨味がしっかり詰まる。

 青島ビール、そう揚州商人さんといいますか大陸のビールがいただけるならば是非頂こう、青島と云えば旧ドイツ植民地でわが軍が第一次世界大戦において攻略した青島要塞が有名ですが、そのドイツ人が遺した醸造施設を中華民国、中華人民共和国が引き継いでいまに。

 グラスに注ぐとともにさあ餃子も冷めないうちに。ビールは学生時代に苦手でしたが、ベルギービールを憲法の先生にお教えいただいて価値観が一変して、すると様々なビールを頂けるようになった、苦手でも先ずいろいろ試すべきだ、国産ビールも、青島ビールも。

 担担麺を、そして頂こう。〆と云いますか、呑むのが目的で寄った訳ではないものですから、昼餉を遅めに頂いたわけで、蕎麦屋の長居は不作法と江戸っ子では云うと聞きまして、中華そばでも蕎麦屋なのかと問われるとあれですが、この後も少し散策したいですし、ね。

 汁無担担麺ですが、ラーメンに詳しい東京奥地の友人曰く元々担担麺は麺の担ぎ売りで天秤棒に一式具材と麺を載せて売っていた故に汁無が本式なのだという。白髪ねぎの新鮮な辛さと香辛料の純粋な辛さに麺の食感が加わりまして、うまい、これこそ〆だ、と満足で。

 水道橋の駅ビルはなかなか凝っているなあ、そしてここは中央線と総武線、今日の仕事の詰めは明日以降、まだ新幹線は時間がありますので神保町で古書店巡りを久々に楽しむか、御徒町で舶来のチョコレートと万年筆でも探すのか、秋葉原を散策するか、考えました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【京都幕間旅情】平野神社観桜,花曇りと黄砂超え青空戻る京都の空と大鳥居に戻る扁額とさくらを見上げる

2024-04-13 07:01:15 | 写真
■満開の桜は平野神社
 この春も色々と時間を見つけましてさくらを見上げたものですがさてさてどこまで紹介できるのだろう。

 さくら満開の季節、カメラを片手に散策しました際にどうしても今年は花曇りという言葉が適合する程にどうしても空が白く曇り、若しくは大陸からの黄砂が視界を遮ってしまう事も多かったのですが、満開を少しだけ過ぎた頃にようやく青空が戻ってきた印象です。

 平野神社、初詣の定番という一つとして位置づけているのですけれども、もうひとつここは観桜という文化の始まりの神社であることも初詣などの際に示しましたとおりです。しかし、平野神社、春がきたなあという印象とともにことしはもう一つ感慨深い。

 扁額、鳥居の扁額がようやく配置されまして、考えてみると平野神社、2018年の台風被害からの復興に非常に大きな時間がかかりましたが、鳥居の扁額の復興とともにようやく、あの災害の前まで戻ってきた、という印象でしょうか、COVID-19よりも前だ。

 台風被害はおおきなもので、拝殿が倒壊しました、全壊よりも大きな倒壊で巻き上げられたことですべて破損してしまいまして、その復興に仮拝殿を構築して、そして、江戸時代の再建されたものをさらに台風被害からの再建ということになったわけですけれど。

 COVID-19の前には拝殿の復興が目処もたった、こういわれたところで喜び勇んで参拝に歩み進められたかたもおおいのでしょうけれども、拝殿の復興は破損という非常事態を背景に進められたものですから、ようするに予定されていた修復作業を棚上げしていた。

 本殿修復は拝殿復興とともに開始されましたので、もとどおりになった拝殿のまえにありました本殿は、やはり足場が組まれて少し後に覆いで覆い隠されてしまいまして、要するに台風被害前の平野神社というよりは修復中の神社というような外見となったかたち。

 桜花の季節、それは昨年の話題なのですけれども今度こそ日常の、昨年の桜花の季節にはまだCOVID-19には感染症法上の五類変更前の二類相当とされていましたけれども、まあ致死性と社会維持と秤に掛けて再起動を始めた頃に参拝しますと、今度は扁額が、と。

 しかし、これ西大路通りから平野神社の観桜を迎えた鳥居を眺めますと、そういっけんして紅白幕が鳥居の向こうに見えるのです。COVID-19の前にあって平野神社は、観桜の季節には出店が並んでいまして、非常な喧噪の先に神社がある、という印象でした。

 団子か花かなんて言葉もあるのですけれども、ここでの酔客は参拝くらいはしたのだろうかと少々場所柄を考えてしまった以前に、やっぱりうるさいのは苦手だったなあ、と思いつつCOVID-19の時代には、静かすぎるのも考え物か、と贅沢な思いをしましたが。

 コロナ前、とは今年の平野神社も行かなかったようで、出店などはなく静かに観桜をたのしむべく桜苑が有料公開されていました。ちょっと心引くのですが一歩引けば、桜苑には神社を象徴するものはほぼ無く、みれるのは桜だけ、ちょっとなあ、と思うところ。

 日常の再開、そうこの日の参拝は特別な日に歩み進むことができるようになりまして、時間を何とかあけた次第です。それにしても昨年は桜の開花が早すぎたこともありますから、ちょっと残念ではあったのですけれど、満開、という言葉が適合するような情景だ。

 NHKが空撮の準備をすすめていまして、もう散り始めなのかという理解で望んだところ、NHKさん的には見頃、であったようで、そして特別な日ではあるのですけれども思ったほどの混雑はなく、所用を早めにすませた余裕とともに、いよいよ参拝へ臨みました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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