北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

検証:イラク派遣と駆け付け警護【後篇】課題示す5.10サマーワ橋上オランダ軍襲撃事件発生

2016-11-27 20:44:47 | 国際・政治
■警護要請の可能性はあった
 自衛隊のイラク復興人道任務は部隊の努力により戦死者を出すことなく、この意味では予定派遣期間を満了し成功裏に撤収しました。しかし、これは努力の結果で、安定した治安状況であったとはとても言えません。

 イラク邦人人質事件、平和団体関係者3名が不用意に競合地域へ足を踏み入れ武装勢力に拘束、武装勢力が自衛隊の撤退を要求する事件が発生し、自衛隊はイラク国内の報道関係者を中心に当時の邦人保護法にあたる自衛隊法100条を適用し、クウェートへ96式装輪装甲車で護送する決定を下します、初の邦人保護任務及び在外邦人輸送任務を実施したところで一転しました。

 その後、自衛隊は警戒態勢を強化、しかし、戦闘防弾チョッキ2型を着用し、機銃を搭載した軽装甲機動車の支援下、自衛隊は給水任務や文化交流事業など復興人道支援任務を継続しました、イラク国民は日本への親近感が大きく、また、純粋な復興人道支援という好意を邪推なく受け入れたという心の対話の成果が、成し遂げた、というべきなのでしょう。

 5月10日現地時間2245時、事態は急変しました、オランダ軍がサマーワ市内にて襲撃されたのです。襲撃を受けたのはユーフラテス川橋上、メルセデスクロスカントリーヴィーグル、優秀な四輪駆動車ですが装甲はありません、遭遇戦に備え機銃を配置可能とするべく開け放たれた車体上部へ、忍び寄ったバイクから手榴弾が投擲され車内に落下、2発が爆発、戦死者が、でた。

 オランダ軍は即座にM-16小銃で反撃、宿営地から装甲車を派遣し12.7mm重機関銃による反撃を実施しました、手榴弾を投擲した武装勢力はバイクで逃走した為、重機関銃は威嚇発砲であったのでしょうが、翌日まで市街地は封鎖、イラク国内で唯一安定していたというサマーワは、日本政府の判断はさておき、オランダ軍の主観では戦闘地域となります。

 駆け付け警護任務、自衛隊はこの際に発動はしていません、戦闘とは言っても手榴弾2発が投擲され、その後の持続的な戦闘が展開された訳ではありませんでした、この際に攻撃を実施したテロリストは80km離れたナジャフからのサドル派民兵であったのか、単なる暴漢が手榴弾を投擲したのか、逃走し捕縛できなかった為、現時点でも判明していません。

 しかし、持続的な戦闘となった場合、オランダ軍は装甲車両としてフィンランド製XA-180装輪装甲車等を派遣していたようですが、数は不充分、現在でこそオランダ軍はこの種の任務に必要な、自衛隊も採用した、オーストラリア製ブッシュマスター耐爆車両等を、その後のアフガニスタン派遣任務用とも併せ配備しましたが、当時は装甲車が不足していた。

 サマーワ派遣の時点ではオランダ軍の軽装甲車は不足、対して自衛隊は50両もの軽装甲機動車や96式装輪装甲車を派遣していた訳ですから、緊急支援の要請、駆け付け警護ではなく、負傷者収容や戦闘に関係しない警戒支援任務、場合によっては、駆け付け警護を、要請していた可能性はありました、実際は起きなかった、といわれればそれまでですが、ね。

 自衛隊の警護任務に当たるオランダ軍が市内において戦闘に巻き尾まれ、この攻撃が手榴弾2発の投擲という小規模なものでは収まらなかった場合、オランダ軍が実施できる手段は限られています。勿論、近隣のイギリス軍へ支援を要請する事は出来たでしょうが、イギリス軍は同時期ナジャフに加えナシリヤ市内でも民兵が攻勢に転じ、余裕はありません。

 オランダ軍の任務が自衛隊の警護であった事から自明の通りオランダ軍管区に程近い場所に陸上自衛隊は駐屯していた訳ですので自然な流れとして要請が出ていたことは考えられます。当然第一線指揮官である派遣隊長は東京へ可否を確認するでしょうが、時間的な余裕からは確認を出しつつ事後承諾を想定した上で部隊を派遣する他なかったのではないか。

 自衛隊が駆けつけ警護の決断を第一線指揮官の判断、切迫し東京へ問い合わせられない状況は、サマーワにおいて、オランダ軍襲撃事件や、クウェートからのイラク展開時等で考えられた訳です、要請を受ければ拒否する事は簡単ですが、拒否した後に相手国と関係が良好化する事は考えられません、要請受けられぬ事を予め周知させる事も現実的ではない。

 このイラクでの事例ですが、指揮官が政治的判断を突き付けられる事は、イラクでの事例のほか、ルワンダPKOでのゴマ暴動の際、NGO組織AMDAの邦人医師団が難民に襲撃される事件が発生、当時ルワンダへは自衛隊PKO部隊を派遣中であった為、派遣部隊指揮官が超法規措置として部隊を派遣、戦闘前に解放されるも問題視される事案がありました。

 万一の際には責任を持つ、という発言で部隊を守る事は簡単ですが、現場に押し付けていることになります。軍事機構である以上は政治が責任を持つ以上、これを書面で残る命令の形としなければ、文民統制の責務を放棄していることとなります、そして法治国家である以上は超法規措置以外選択肢がない状態を放置する事は妥当ではありません、法整備は政治の派遣命令を出す以上の責任の一つ。

 自衛隊が組織として派遣される以上、受入国は日本国憲法や自衛隊法を熟知せぬ限り、軍事機構として受入れます、軍事機構には専管事項があり、救援要請や難民保護等を当然受け入れられるものとして提出する、実情は忘れてはなりません。自衛隊の能力では駆けつけ警護は可能かとの視点も必要ですが、法整備はこれに応える第一歩といえるでしょう。

北大路機関:はるな くらま
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