◆自主防災には限度がある
本日は天皇誕生日ですが、東日本大震災では政府の落ち度が目立ち、一方陛下の落ち着いた対応と真心に救われた印象。報道特集番組などでは東日本大震災に続く次の大規模災害への警鐘を鳴らすものが少しづつ増えています。
このあたり、非常に疑問なのですが、何故そうした報道で国や自治体の防災能力を高めるべき、という論調に持っていかず、あなたは生き残れるのか的な災害パニック映画のような論調に終始してしまうのでしょうか。警鐘を鳴らしてそれで終わり、というのでは非常に無責任に思えてなりません。
東日本大震災の津波被害を総括しますと、迅速な避難以外に打つ手なし、という究極の防災対策を示してくれましたが、結局のところ続いて生じる道路や山岳崩壊による地域孤立は、続く捜索救難活動などについて道路が復旧するまでの期間は洋上と空からの捜索救難活動、孤立地域からの救出と物資輸送に尽きると思うのですがどうでしょうか。
なるほど、警鐘される災害の規模は大きなものです。東海東南海南海地震が連続発生すれば京浜地区から九州太平洋岸にかけての広範囲が大津波に襲われます。首都直下地震では首都圏は交通途絶に火災被害と浸水被害が連動し、非常に重大な局面となるでしょう。しかし、個々人での防災には限度がある。
もちろん打つ手なしとは言えません。防災袋の常備もいいでしょう、しかし防災袋毎津波に襲われればどうなるか。消火器を一つ余分に準備し火災報知器の準備も必要でしょう、だが火災旋風を伴う大火災に太刀打ちできるのか。家族と落ち合う避難所を確認することは不可欠です、しかし避難所が完全に孤立してしまった場合何日間生き延びれるのか。
地域防災を目指しても、自治体は静岡県などは独自の防災船を準備していますが稼働率には限度があります。防災ヘリコプターを準備する自治体は多いですが、防災ヘリコプターが展開し整備し稼働する拠点の機動展開能力等皆無で無事な空港を探さねばなりません。消防や機動隊には野外自活能力がほとんどなく東京消防庁全体での野外自活能力は陸上自衛隊の一個普通科連隊の本部管理中隊を下回ります。
それに防災ヘリコプターは夜間飛行、特に全天候飛行能力があるものが限られますし、民間土木会社の建設能力はいったん稼働すればものすごいものがあるのですけれども、インフラが破壊され基盤が破綻している状況では着手するまでにどうしても時間を要します。すると、選択肢は自己完結能力を備えた軍事機構である自衛隊、ということにならないのでしょうか。
不足するものは大きく、もっと展開能力や空中機動能力の増強を考えるべきだった、と言いうことは既に幾度か記載しているのですが、それにしてもこの財政難の状況において実現するには政治決断とその背景の国民理解がどうしても必要になります。もちろん、何かほかに防災の決め手があるのならば、そちらを推してくれてもいいのですが。
問題が明確であるにもかかわらず、対処法が出てこないというのは日本の病巣なのかもしれません。例えば情報収集と統制能力、地震発生では首相が情報を接することが出来ず、危急存亡のときにもかかわらず自ら対策本部を空き部屋にしてまで自ら状況視察に向かっています。
本来ならば、首相さえも必要な情報を十分に得られないならば、航空偵察能力を近代化し、陸上からの監視能力の強化をも実施、同時に情報共有能力の強化を図り、同時に広域の情報管理と伝送能力を強化する、という選択肢が取られるべきなのでしょうけれども、そうした判断は為されていません。
もちろん、自衛隊は災害救助組織ではなく、そしてそうではないからこそ能力を発揮できる、軍隊という自己完結型の組織と、軍事行動という最大の補給を必要とする任務にあたる組織だからこそ許容されている能力を発揮できている、というところを説明しなければなりません。
例えば海上保安庁のヘリコプター巡視船と護衛艦の航空機運用力には一見類似点があるように見えますが、情報収集能力と管理能力、共有能力と支援能力で、艦船のセンサーの一部として発展した哨戒ヘリコプターと艦船に搭載されている救難ヘリコプターとは違う部分があります。
究極的には防災へ警鐘を鳴らす行為は、被害を局限化することにあるのでしょう。それならば、自主防災能力をはるかに超える巨大災害へは、どういう被害が出るのか、ということではなく如何にして被害を最小限とするか、そうした視点にこそ重点を置くべきだ、そう考えます。
もちろん、マスコミの中には自衛隊の増強に対しを異を唱えている面もあることは認識しています。だからこそ、防災に自衛隊が中枢として挙げられることに難色を示す方もいるのでしょう。スイスの民間防衛隊のような組織を立ち上げ国民負担を促す形でもいいですが、とにかく対策を立てる必要は大ありでしょう。
ただ、民間防衛としても民間規模で何十億もする全天候ヘリコプターを揃え、輸送艦を整備することは出来ませんし、国民負担ということで民間の参加、労働力を供してもらう、ということも現在の日本の社会構造ではできるのか、という問題にもなるでしょう。一億総防災要員、という可能性は、まあ、マスコミの方に検討していただいてもいいのですがね。
みんな逃げるんだ!、来年になれば春は来るだろう、しかし夏は分からんぞ、そしてその次はもっとわからない、これは日本沈没で小野寺さんの台詞として叫ばれていました。せめて脅すだけ脅すのではなく、都市から離れるべき、とかそういう選択肢を提示するくらいしてもらわなければ、余りにも無責任といわざるを得ません。
北大路機関:はるな
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