北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

ベルリンの壁崩壊から今日で20年 東西冷戦からテロとの戦いへ

2009-11-09 22:28:27 | 国際・政治

◆この20年で平和秩序はどうなったか

 日本の報道の話題にはあまりあがらないが11月9日は、ベルリンの壁が崩壊した日、1989年のその時から今日で20年が経ったということになる。

Img_7139  東西冷戦。北大西洋条約機構とワルシャワ条約機構の戦力配置を俯瞰すれば、第三次世界大戦という単語はかなり実感を以てその緊張を今日に伝える。朝鮮半島か、中東か、中央アジアか、はたまた欧州か、局地での戦闘が常に細い糸で戦略核兵器の使用を伴う熱核戦争へと繋がっていた時代だ。

Img_7250  日本は、ソ連太平洋艦隊を太平洋から隔てる位置にあったため、太平洋艦隊を抑えることができる位置にあり、日ソ関係の趨勢によっては太平洋への入り口を確保するために北海道や青函地区への限定侵攻の可能性、そして米ソ関係が悪化すれば日本周辺海域のシーレーンへ航空攻撃を加えてくる可能性も否定できなかった。

Img_8934  今日では信じがたいことではあるが、日本本土に対して本格的な戦車師団や自動車化狙撃師団の着上陸、日ソの戦闘機同士の航空戦闘や原子力潜水艦を相手とした対潜戦闘が行われる可能性が現実にあったわけで、今日、南西諸島に上陸するか否かという中国軍の脅威は些細に思えてくるほどだ。

Img_1266  その東西冷戦がマルタ会談で終結し、1991年にはソ連そのものが崩壊してしまった。1989年11月9日のベルリンの壁崩壊は、この潮流を象徴するものであるといえるが、しかしながら、はたして東西冷戦終結後、世界はどうなったのかということを考えたい。1990年に欧州通常戦力削減条約が締結されたものの、極東地域には冷戦終結の恩恵は大きくなく、逆に欧州で不要となった装備により近代化が進んだ。

Img_0601  他方、冷戦終結後、90年代にわたって変革の波は国際紛争や地域紛争の増加という方向へ進み、結果、国際平和維持活動への需要が増加、国連も国連平和維持活動の変革を行い、ある種の規範に従う形で、日本は戦後初めて、自衛隊を実任務として海外に派遣する道へと進み、今日に至る。

Img_2898  国際平和維持活動への需要は高まり、2000年代には自衛隊の本来任務へと区分されるのだが、他方で、核戦争の脅威こそ遠のいたものの、依然として日ロ関係は平和条約締結に至らず戦後の域を出ることが無く、他方で朝鮮半島情勢の不透明化や、中国の海洋政策転換が新しい日本の安全保障観を形作ることとなっている。

Img_0848  冷戦終結は、欧州での軍縮という潮流が日本にも影響を及ぼし、結果防衛大綱改訂による師団の旅団化、戦車、火砲、護衛艦、作戦機、戦闘機の削減へと冷戦時代からの構造転換を強いるようになった。その後の財政悪化も踏まえ、防衛費抑制の声は保守勢力からも強くなり、質で量を補うことを強いられたわけだ。

Img_3934  世界規模での地域紛争の増大は、90年代の末に解決への道筋を見出すことができたわけではあるが、その直後というべきか、2001年の9.11に至り、結果、世界の平和秩序への道筋は新しい方向へ、転換を強いられることになる。冷戦終結後、自衛隊のイラク派遣、ソマリア沖派遣は誰が想像できただろうか。

Img_2350  そして隣国に核保有国が増えた。弾道ミサイルへの脅威は冷戦時代よりもむしろ増し、ベルリンの壁崩壊から20年を迎えてしまった。もちろん、米ソ全面核戦争のような最悪の事態が再現される可能性は無いに等しいものの、理想とされた平和な時代とは程遠い平和秩序の枠組みが形成されている。熱核戦争の脅威が遠のいたことだけでも良しとして、新しい平和秩序の枠組みを良い方向に向けるべく、地道な努力が数十年後には実を結ぶと信じたい。

HARUNA

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