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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

日本防衛省誕生 防衛庁創設から半世紀余年

2007-01-09 22:53:17 | 防衛・安全保障

■防衛省発足

 2006年末の臨時国会において駆け込みというべき法案成立の後、年明けて2007年、本日、市ヶ谷の防衛庁に新しく防衛省の銘板が掲げられ、記念式典が関係者の出席の下開催、安倍首相、久間初代防衛大臣らが出席し、戦後政治の転換点の一つとして後世語られるであろう一連の省庁改編が、ここにほぼ完了するに至った。

Img_4315  1954年の自衛隊創設に際して、平和憲法との整合性の観点から国防省案を覆う形で防衛庁が設置され、幾多の改編を経て自衛隊と共に歩みを続けてきた。既に1964年に防衛庁設置法改正案として防衛省への移行、防衛大臣の設置とその権限、外局としての防衛施設庁設置、という試案が為されたものの、内閣内部の問題(首相の健康)により国会に提出されず次の機会を待つこととなた。1981年、欧米を中心に80年危機説が唱えられる新冷戦の最中にも同じく省昇格案が出されたものの成立へは至らなかった。再び1997年、橋本行政改革の一環として防衛庁の防衛省格上げが議論されたものの、大蔵省の財務省への再編、巨大官庁国土交通省の誕生、建設省の発展的解体などの隙間に抑えられる形で実現に至らず、環境庁の環境省昇格ののち、議論から十年、ようやく省昇格へ至った。

Img_4312  防衛省において最もかわるのは、防衛庁長官から防衛大臣というポストが新設されたことで、庁から省へ“THE DEFENSE AGENCY”から“THE MINISTRY of DEFENSE”に改編されるということだ。これにより、予算請求の財務省へのアクセスや、法案提出の独自性が高まると一般に説明されるものの、この点は総理府隷下にあった防衛庁時代から、いわば安全保障政策は国策として実施されていたもので、海外派遣に際しては外務省が大きな影響を行使し、防衛庁が法案を提出する際には必要性に応じた制度改正を行う場合に限られていた。従って、国民保護法などの極めて特異な(しかし基幹でもあるのだが)法律を除き、弊害は他の省庁と同規模であったのではなかろうか、OBの回顧録などを読んでもこの部分に大きな注力はないように思えた。他方で、対外任務の増加、特に国際貢献任務の本来業務化がその端的な事例であるが、いわば防衛官僚の“格”が日本以外の防衛官僚との交流において障壁をもたらすことがあったことは想像ができ、この部分の是正が昨今の大きな課題となったのだろう。

Img_4311  改編内容を概括すると、長官官房の大臣官房への改編、防衛政策局の一部改編、人事教育局への服務管理官新設、経理装備局の経理調達局への改編、防衛施設庁の解体により地方施設部を地方企画局に再編、施設庁業務を新設する地方企画局渉外部への移管と、本省経理調達局、装備調達本部(旧調達実施本部)への移行がおこなわれる。自衛隊の改編は今回全く行われない。昨年の統合幕僚長新設にともなう陸海空自衛隊統合運用体制確立が自衛隊にとり戦後最大の組織改編であったといえよう。他方、関連事項として、新しく旅団長のポストを現行の師団長と同格である将補から、新設される准将に移行し、場合によっては混成団長のポストにも充当される可能性がある。また、上級曹長制度が誕生し、場合によっては司令部付最上級曹長の制度が普遍化する可能性がある。また、将来的には三自衛軍への組織改編も今後の議題となろう。他方、海外での国際貢献には様々な法的問題や法務官の問題が山積しており、弾道ミサイル防衛、在日米軍再編という予算的問題も未決のままである。省昇格を祝うと共に、今後の展開を見守りたい。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント (2)
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