■北方脅威再興と北鎮師団
第2師団創設63周年旭川駐屯地祭は第七回の今回が最終回です、そしてこの行事は75式自走榴弾砲にとっても最終回となりました。
初夏の六月にも雪を冠する大雪山を背景に陸上自衛隊を代表する戦闘車両群が続々と機動、訓練展示終了と共に開始された撤収作業の情景ですが、土煙を巻き上げながら雄大な北海道の自然とともに進む車両、この迫力は中々、北海道以外の駐屯地ではみられません。
写真特集第二師団創設記念旭川駐屯地祭、この年の旭川駐屯地祭は75式自走榴弾砲最後の年度、という意味で貴重な行事でした。既に第7特科連隊では早々と、Weblog北大路機関運営開始翌年には75式自動榴弾砲は新型の99式自走榴弾砲へ転換を完了しています。
99式自走榴弾砲は続いて第5旅団第5特科隊へ、続いて第11旅団の第11特科隊へ2012年度に配備されまして、順次置き換えられていました第2特科連隊へ配備が進みますが、除籍よりも配備の方が時間を要し、定数割れのまま75式自走榴弾砲は除籍に至りました。
75式自走榴弾砲が完全退役となったのちにも99式自走榴弾砲の調達が細々と続いているのは、当初、陸上自衛隊特科部隊は新防衛大綱の特科部隊縮小政策に基づき削減が続いている中、調達継続は何故だろう、と思いましたが定数割れの補填の構図であった訳ですね。
除籍される装備ではありますが、興味深い部分が多いのが75式自走榴弾砲です。何より、自動装填装置を世界に先駆けて、同時期のスウェーデン製バンドカノン自走榴弾砲と共に実用化、短時間での火力投射が可能となりました、これは特科部隊近代化に欠かせない。
自動装填装置は短時間で素早い連射が可能ですが、1効力射30秒という厳しい運用要求が特科教導隊等から寄せられたものを実現したものです。大砲と云えば映画では一晩中砲撃を絶え間なく加えて相手の防衛力を瓦解させる印象がありますが、これは映画だけの話し。
砲兵戦闘は、火砲が射撃したならば地面に強烈な振動が加わり、砲弾が飛び出し目標まで弧状に飛翔します。するとこの二つの衝撃から火砲の位置は簡単に標定されてしまう訳です、標定されたならば反撃の砲弾が降り注ぎますからその前に退避しなければなりません。
対砲兵戦は、射撃の瞬間の衝撃が延々と地面を伝播し数十km先でも捕捉されます、これを複数の地中マイクロフォンにて補足し、伝播時間を電子計算機により算出すれば、地球の裏側の核実験を地震計で標定できる時代です、かなり正確に射撃位置を標定できる訳だ。
対砲レーダ装置の運用も砲兵戦闘に速度を要求する時代となりました、砲弾はレーダーに映りますので、放物線を描き飛翔する砲弾を捕捉すれば、逆計算で火砲から砲弾を発射した位置が非常に正確に把握できる訳です、音響と砲弾から火砲の位置が暴露する訳ですね。
強力なレーダー波を放つ対砲レーダ装置は、その強力な電波が逆に捕捉され無力化されますので、長時間運用を継続する事は対砲レーダ装置そのものが火砲による最優先目標として破壊されかねません、通信部隊にはこの種の標定任務も電子戦という現代戦任務の一つ。
地中マイクロフォンと対砲レーダ装置の併用が現代戦では主流となっていまして、射撃の音を捕捉すると、音響は空気中ではマッハ1しか発揮しませんが、固体の中では空気中よりも早く伝播します、この音響補足と共に瞬間的に対砲レーダ装置を起動し、標定する。
砲兵戦闘とは緻密な測量と計算作業の集大成というものを端的に示すような視点ですが、一方で対砲レーダ装置や特科情報装置として火砲と火砲と結ぶネットワーク構築には相応の予算を要しまして、それよりも一門でも多くの火砲を揃えたくなる点を克服する事が強力な砲兵部隊創設の視点の一つ。
この標定は非常に重要な要素でして、例えば大先輩に当たる帝国陸軍はノモンハン事変において砲兵陣地を固定運用する事に固執し、優勢な砲兵戦力を局地的に構築可能であっても、ソ連軍砲兵の機動運用により砲兵火力を集中され撃破されていまいました。
一方、同じ枢軸国でもフィンランド軍などは小規模な砲兵戦力でも機動運用によりソ連軍へ冬戦争と継続戦争で立ち向かいました。この点、自走榴弾砲の優位性とともに対砲兵装備を充実させる陸上自衛隊は、この教訓を正面から受け止め、防衛力に反映していますね。
利点欠点としまして、音響標定は自らは電波を出さない一方、正確性では対砲レーダ装置に劣りますし埋設するのに時間を要します。しかし対砲レーダ装置は瞬間的に展開できます、素早く正確だが電波が目立つ対砲レーダ装置と、地道な音響標定を併用する訳です。
自走榴弾砲は、掩砲所、つまり地下シェルターか、移動を繰り返す事により暴露を避け、大隊長による攻撃の決心、高付加価値目標や敵砲兵位置標定情報に基づき即座に射撃体制に移行、即座に効力射、相手が我が方を標定し反撃する前に陣地変換を、これが現代戦だ。
75式自走榴弾砲は、自己位置標定装置、つまり自分が今どのあたりを移動しているかをジャイロコンパスにより計算するカーナビ装置の原型のようなものを搭載していまして、アナログではありますが自己完結、多少ならば無理も利き第一線整備性も良いとの事でした。
99式自走榴弾砲は、コンピュータ時代の自走榴弾砲だ、という視点を75式自走榴弾砲の乗員の方から聞きまして、正確であるしあらゆる意味で優れている事は確かですが、不具合が生じた際に咄嗟の交戦や、現場での騙し騙し故障中に運用を継続する冗長性に劣る、と。
ただ、52口径155mm砲と30口径155mm砲の射程の違い、自動装填装置の能力、砲兵戦闘が従来の20km前後での戦闘から40km以遠の目標を、しかもコンピュータ技術の進展により標定に要する時間が限りなく短縮した現代では運用に限度があるのかもしれません。
装甲車両について、第2師団では冷戦時代に第3普通科連隊へ73式装甲車を集中し機械化連隊としていました、それ以前には第102装甲輸送隊が上富良野駐屯地に置かれていまして、250名規模の隊員が装甲車90両を集中運用し、各師団へ配置の方式を採っていました。
装甲輸送小隊へ各20両の装甲車を配置し、必要ならば徒歩歩兵主体の普通科連隊を中隊規模で機械化できた運用でしたが、第102装甲輸送隊の解散により各師団へ装甲車がじかに配備される事となりまして、第2師団では道北最前線第3普通科連隊を機械化した訳です。
しかし、1990年代の防衛大綱改訂により、沿岸配備師団、そして2000年代の防衛大綱改編により総合近代化師団、となり、様々な地域へ転地する運用へ転換となりますと、第3普通科連隊だけ機械化となっては、第26普通科連隊や第25普通科連隊との格差が大きい。
APC中隊というかたちで、師団全ての普通科連隊へ、一個中隊だけ装甲車を配備する運用、となったわけですね。装甲車中隊一個と高機動車主体の自動車化中隊三個に重迫撃砲中隊をおき、本部管理中隊の情報小隊等へ新たに軽装甲機動車を配備する方式となった訳です。
本土師団では、軽装甲機動車中隊を各普通科連隊に一個中隊置く方式を採っているのですが、北海道では軽装甲機動車主体の中隊という方式は採られていません、この点不思議に思ったのですが、聞いてみますと軽装甲機動車は下車戦闘に向かず中隊用ではない、と。
スカウト任務に最適といえる軽装甲機動車ですが、確かに歩兵部隊の任務は収奪された土地を小銃と銃剣で敵を陣地から引き摺りだし奪還すること、下車戦闘は必須である訳でから、軽装甲機動車では全員降りて車両に鍵掛けて放置するか、乗車したまましか出来ない。
本土師団では、下車戦闘は高機動車に依存し、軽装甲機動車は機動力を活かした火力戦闘、どちらかと云えば騎兵部隊のような運用を実施し、しかし必要であれば下車戦闘を行う、という運用です、01式軽対戦車誘導弾にMINIMI機銃に必要ならば重機関銃を搭載できる。
普通科部隊の運用に、微妙な違いを見た思いですが、しかし、高機動車主体の歩兵部隊は砲兵戦闘により無力化される危惧がありますし、機械化歩兵へ大きく転換しなければならないようにも、一方で機械化しますと車両整備の負担が大きくなってしまいまして難しい。
この頃から、フランス軍のVAB軽装甲車、四輪駆動で高機動車よりも全長1mと幅0.3m大きいが車高は2mで、装甲は軽装甲機動車並に薄く機動力も限られますが10名乗れて値段も軽装甲機動車の2倍前後、四輪駆動軽装甲車が必要なのかなと思うようになりました。
迫力の旭川駐屯地祭、観閲行進から訓練展示は勿論、その撤収風景まで中々の規模でした。近年、北方でのロシアからの軍事圧力は米ロ対立の拡大とともに再興しつつあり、北鎮師団の道北防衛の任務は冷戦時代の緊張から平和交渉の進む日ロ関係の道程がそれほど簡単ではない事を示しています、しかし、この重装備が維持されるならば、少なくとも北日本への着上陸などの脅威は当面抑止できそうだな、と感じ、帰路に就きました。
北大路機関:はるな くらま
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第2師団創設63周年旭川駐屯地祭は第七回の今回が最終回です、そしてこの行事は75式自走榴弾砲にとっても最終回となりました。
初夏の六月にも雪を冠する大雪山を背景に陸上自衛隊を代表する戦闘車両群が続々と機動、訓練展示終了と共に開始された撤収作業の情景ですが、土煙を巻き上げながら雄大な北海道の自然とともに進む車両、この迫力は中々、北海道以外の駐屯地ではみられません。
写真特集第二師団創設記念旭川駐屯地祭、この年の旭川駐屯地祭は75式自走榴弾砲最後の年度、という意味で貴重な行事でした。既に第7特科連隊では早々と、Weblog北大路機関運営開始翌年には75式自動榴弾砲は新型の99式自走榴弾砲へ転換を完了しています。
99式自走榴弾砲は続いて第5旅団第5特科隊へ、続いて第11旅団の第11特科隊へ2012年度に配備されまして、順次置き換えられていました第2特科連隊へ配備が進みますが、除籍よりも配備の方が時間を要し、定数割れのまま75式自走榴弾砲は除籍に至りました。
75式自走榴弾砲が完全退役となったのちにも99式自走榴弾砲の調達が細々と続いているのは、当初、陸上自衛隊特科部隊は新防衛大綱の特科部隊縮小政策に基づき削減が続いている中、調達継続は何故だろう、と思いましたが定数割れの補填の構図であった訳ですね。
除籍される装備ではありますが、興味深い部分が多いのが75式自走榴弾砲です。何より、自動装填装置を世界に先駆けて、同時期のスウェーデン製バンドカノン自走榴弾砲と共に実用化、短時間での火力投射が可能となりました、これは特科部隊近代化に欠かせない。
自動装填装置は短時間で素早い連射が可能ですが、1効力射30秒という厳しい運用要求が特科教導隊等から寄せられたものを実現したものです。大砲と云えば映画では一晩中砲撃を絶え間なく加えて相手の防衛力を瓦解させる印象がありますが、これは映画だけの話し。
砲兵戦闘は、火砲が射撃したならば地面に強烈な振動が加わり、砲弾が飛び出し目標まで弧状に飛翔します。するとこの二つの衝撃から火砲の位置は簡単に標定されてしまう訳です、標定されたならば反撃の砲弾が降り注ぎますからその前に退避しなければなりません。
対砲兵戦は、射撃の瞬間の衝撃が延々と地面を伝播し数十km先でも捕捉されます、これを複数の地中マイクロフォンにて補足し、伝播時間を電子計算機により算出すれば、地球の裏側の核実験を地震計で標定できる時代です、かなり正確に射撃位置を標定できる訳だ。
対砲レーダ装置の運用も砲兵戦闘に速度を要求する時代となりました、砲弾はレーダーに映りますので、放物線を描き飛翔する砲弾を捕捉すれば、逆計算で火砲から砲弾を発射した位置が非常に正確に把握できる訳です、音響と砲弾から火砲の位置が暴露する訳ですね。
強力なレーダー波を放つ対砲レーダ装置は、その強力な電波が逆に捕捉され無力化されますので、長時間運用を継続する事は対砲レーダ装置そのものが火砲による最優先目標として破壊されかねません、通信部隊にはこの種の標定任務も電子戦という現代戦任務の一つ。
地中マイクロフォンと対砲レーダ装置の併用が現代戦では主流となっていまして、射撃の音を捕捉すると、音響は空気中ではマッハ1しか発揮しませんが、固体の中では空気中よりも早く伝播します、この音響補足と共に瞬間的に対砲レーダ装置を起動し、標定する。
砲兵戦闘とは緻密な測量と計算作業の集大成というものを端的に示すような視点ですが、一方で対砲レーダ装置や特科情報装置として火砲と火砲と結ぶネットワーク構築には相応の予算を要しまして、それよりも一門でも多くの火砲を揃えたくなる点を克服する事が強力な砲兵部隊創設の視点の一つ。
この標定は非常に重要な要素でして、例えば大先輩に当たる帝国陸軍はノモンハン事変において砲兵陣地を固定運用する事に固執し、優勢な砲兵戦力を局地的に構築可能であっても、ソ連軍砲兵の機動運用により砲兵火力を集中され撃破されていまいました。
一方、同じ枢軸国でもフィンランド軍などは小規模な砲兵戦力でも機動運用によりソ連軍へ冬戦争と継続戦争で立ち向かいました。この点、自走榴弾砲の優位性とともに対砲兵装備を充実させる陸上自衛隊は、この教訓を正面から受け止め、防衛力に反映していますね。
利点欠点としまして、音響標定は自らは電波を出さない一方、正確性では対砲レーダ装置に劣りますし埋設するのに時間を要します。しかし対砲レーダ装置は瞬間的に展開できます、素早く正確だが電波が目立つ対砲レーダ装置と、地道な音響標定を併用する訳です。
自走榴弾砲は、掩砲所、つまり地下シェルターか、移動を繰り返す事により暴露を避け、大隊長による攻撃の決心、高付加価値目標や敵砲兵位置標定情報に基づき即座に射撃体制に移行、即座に効力射、相手が我が方を標定し反撃する前に陣地変換を、これが現代戦だ。
75式自走榴弾砲は、自己位置標定装置、つまり自分が今どのあたりを移動しているかをジャイロコンパスにより計算するカーナビ装置の原型のようなものを搭載していまして、アナログではありますが自己完結、多少ならば無理も利き第一線整備性も良いとの事でした。
99式自走榴弾砲は、コンピュータ時代の自走榴弾砲だ、という視点を75式自走榴弾砲の乗員の方から聞きまして、正確であるしあらゆる意味で優れている事は確かですが、不具合が生じた際に咄嗟の交戦や、現場での騙し騙し故障中に運用を継続する冗長性に劣る、と。
ただ、52口径155mm砲と30口径155mm砲の射程の違い、自動装填装置の能力、砲兵戦闘が従来の20km前後での戦闘から40km以遠の目標を、しかもコンピュータ技術の進展により標定に要する時間が限りなく短縮した現代では運用に限度があるのかもしれません。
装甲車両について、第2師団では冷戦時代に第3普通科連隊へ73式装甲車を集中し機械化連隊としていました、それ以前には第102装甲輸送隊が上富良野駐屯地に置かれていまして、250名規模の隊員が装甲車90両を集中運用し、各師団へ配置の方式を採っていました。
装甲輸送小隊へ各20両の装甲車を配置し、必要ならば徒歩歩兵主体の普通科連隊を中隊規模で機械化できた運用でしたが、第102装甲輸送隊の解散により各師団へ装甲車がじかに配備される事となりまして、第2師団では道北最前線第3普通科連隊を機械化した訳です。
しかし、1990年代の防衛大綱改訂により、沿岸配備師団、そして2000年代の防衛大綱改編により総合近代化師団、となり、様々な地域へ転地する運用へ転換となりますと、第3普通科連隊だけ機械化となっては、第26普通科連隊や第25普通科連隊との格差が大きい。
APC中隊というかたちで、師団全ての普通科連隊へ、一個中隊だけ装甲車を配備する運用、となったわけですね。装甲車中隊一個と高機動車主体の自動車化中隊三個に重迫撃砲中隊をおき、本部管理中隊の情報小隊等へ新たに軽装甲機動車を配備する方式となった訳です。
本土師団では、軽装甲機動車中隊を各普通科連隊に一個中隊置く方式を採っているのですが、北海道では軽装甲機動車主体の中隊という方式は採られていません、この点不思議に思ったのですが、聞いてみますと軽装甲機動車は下車戦闘に向かず中隊用ではない、と。
スカウト任務に最適といえる軽装甲機動車ですが、確かに歩兵部隊の任務は収奪された土地を小銃と銃剣で敵を陣地から引き摺りだし奪還すること、下車戦闘は必須である訳でから、軽装甲機動車では全員降りて車両に鍵掛けて放置するか、乗車したまましか出来ない。
本土師団では、下車戦闘は高機動車に依存し、軽装甲機動車は機動力を活かした火力戦闘、どちらかと云えば騎兵部隊のような運用を実施し、しかし必要であれば下車戦闘を行う、という運用です、01式軽対戦車誘導弾にMINIMI機銃に必要ならば重機関銃を搭載できる。
普通科部隊の運用に、微妙な違いを見た思いですが、しかし、高機動車主体の歩兵部隊は砲兵戦闘により無力化される危惧がありますし、機械化歩兵へ大きく転換しなければならないようにも、一方で機械化しますと車両整備の負担が大きくなってしまいまして難しい。
この頃から、フランス軍のVAB軽装甲車、四輪駆動で高機動車よりも全長1mと幅0.3m大きいが車高は2mで、装甲は軽装甲機動車並に薄く機動力も限られますが10名乗れて値段も軽装甲機動車の2倍前後、四輪駆動軽装甲車が必要なのかなと思うようになりました。
迫力の旭川駐屯地祭、観閲行進から訓練展示は勿論、その撤収風景まで中々の規模でした。近年、北方でのロシアからの軍事圧力は米ロ対立の拡大とともに再興しつつあり、北鎮師団の道北防衛の任務は冷戦時代の緊張から平和交渉の進む日ロ関係の道程がそれほど簡単ではない事を示しています、しかし、この重装備が維持されるならば、少なくとも北日本への着上陸などの脅威は当面抑止できそうだな、と感じ、帰路に就きました。
北大路機関:はるな くらま
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