北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【日曜特集】第2師団創設63周年旭川駐屯地祭【7】旭川の装備品展示(2013-06-09)

2017-03-12 22:54:18 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■北方脅威再興と北鎮師団
 第2師団創設63周年旭川駐屯地祭は第七回の今回が最終回です、そしてこの行事は75式自走榴弾砲にとっても最終回となりました。

 初夏の六月にも雪を冠する大雪山を背景に陸上自衛隊を代表する戦闘車両群が続々と機動、訓練展示終了と共に開始された撤収作業の情景ですが、土煙を巻き上げながら雄大な北海道の自然とともに進む車両、この迫力は中々、北海道以外の駐屯地ではみられません。

 写真特集第二師団創設記念旭川駐屯地祭、この年の旭川駐屯地祭は75式自走榴弾砲最後の年度、という意味で貴重な行事でした。既に第7特科連隊では早々と、Weblog北大路機関運営開始翌年には75式自動榴弾砲は新型の99式自走榴弾砲へ転換を完了しています。

 99式自走榴弾砲は続いて第5旅団第5特科隊へ、続いて第11旅団の第11特科隊へ2012年度に配備されまして、順次置き換えられていました第2特科連隊へ配備が進みますが、除籍よりも配備の方が時間を要し、定数割れのまま75式自走榴弾砲は除籍に至りました。

 75式自走榴弾砲が完全退役となったのちにも99式自走榴弾砲の調達が細々と続いているのは、当初、陸上自衛隊特科部隊は新防衛大綱の特科部隊縮小政策に基づき削減が続いている中、調達継続は何故だろう、と思いましたが定数割れの補填の構図であった訳ですね。

 除籍される装備ではありますが、興味深い部分が多いのが75式自走榴弾砲です。何より、自動装填装置を世界に先駆けて、同時期のスウェーデン製バンドカノン自走榴弾砲と共に実用化、短時間での火力投射が可能となりました、これは特科部隊近代化に欠かせない。

 自動装填装置は短時間で素早い連射が可能ですが、1効力射30秒という厳しい運用要求が特科教導隊等から寄せられたものを実現したものです。大砲と云えば映画では一晩中砲撃を絶え間なく加えて相手の防衛力を瓦解させる印象がありますが、これは映画だけの話し。

 砲兵戦闘は、火砲が射撃したならば地面に強烈な振動が加わり、砲弾が飛び出し目標まで弧状に飛翔します。するとこの二つの衝撃から火砲の位置は簡単に標定されてしまう訳です、標定されたならば反撃の砲弾が降り注ぎますからその前に退避しなければなりません。

 対砲兵戦は、射撃の瞬間の衝撃が延々と地面を伝播し数十km先でも捕捉されます、これを複数の地中マイクロフォンにて補足し、伝播時間を電子計算機により算出すれば、地球の裏側の核実験を地震計で標定できる時代です、かなり正確に射撃位置を標定できる訳だ。

 対砲レーダ装置の運用も砲兵戦闘に速度を要求する時代となりました、砲弾はレーダーに映りますので、放物線を描き飛翔する砲弾を捕捉すれば、逆計算で火砲から砲弾を発射した位置が非常に正確に把握できる訳です、音響と砲弾から火砲の位置が暴露する訳ですね。

 強力なレーダー波を放つ対砲レーダ装置は、その強力な電波が逆に捕捉され無力化されますので、長時間運用を継続する事は対砲レーダ装置そのものが火砲による最優先目標として破壊されかねません、通信部隊にはこの種の標定任務も電子戦という現代戦任務の一つ。

 地中マイクロフォンと対砲レーダ装置の併用が現代戦では主流となっていまして、射撃の音を捕捉すると、音響は空気中ではマッハ1しか発揮しませんが、固体の中では空気中よりも早く伝播します、この音響補足と共に瞬間的に対砲レーダ装置を起動し、標定する。

 砲兵戦闘とは緻密な測量と計算作業の集大成というものを端的に示すような視点ですが、一方で対砲レーダ装置や特科情報装置として火砲と火砲と結ぶネットワーク構築には相応の予算を要しまして、それよりも一門でも多くの火砲を揃えたくなる点を克服する事が強力な砲兵部隊創設の視点の一つ。

 この標定は非常に重要な要素でして、例えば大先輩に当たる帝国陸軍はノモンハン事変において砲兵陣地を固定運用する事に固執し、優勢な砲兵戦力を局地的に構築可能であっても、ソ連軍砲兵の機動運用により砲兵火力を集中され撃破されていまいました。

 一方、同じ枢軸国でもフィンランド軍などは小規模な砲兵戦力でも機動運用によりソ連軍へ冬戦争と継続戦争で立ち向かいました。この点、自走榴弾砲の優位性とともに対砲兵装備を充実させる陸上自衛隊は、この教訓を正面から受け止め、防衛力に反映していますね。

 利点欠点としまして、音響標定は自らは電波を出さない一方、正確性では対砲レーダ装置に劣りますし埋設するのに時間を要します。しかし対砲レーダ装置は瞬間的に展開できます、素早く正確だが電波が目立つ対砲レーダ装置と、地道な音響標定を併用する訳です。

 自走榴弾砲は、掩砲所、つまり地下シェルターか、移動を繰り返す事により暴露を避け、大隊長による攻撃の決心、高付加価値目標や敵砲兵位置標定情報に基づき即座に射撃体制に移行、即座に効力射、相手が我が方を標定し反撃する前に陣地変換を、これが現代戦だ。

 75式自走榴弾砲は、自己位置標定装置、つまり自分が今どのあたりを移動しているかをジャイロコンパスにより計算するカーナビ装置の原型のようなものを搭載していまして、アナログではありますが自己完結、多少ならば無理も利き第一線整備性も良いとの事でした。

 99式自走榴弾砲は、コンピュータ時代の自走榴弾砲だ、という視点を75式自走榴弾砲の乗員の方から聞きまして、正確であるしあらゆる意味で優れている事は確かですが、不具合が生じた際に咄嗟の交戦や、現場での騙し騙し故障中に運用を継続する冗長性に劣る、と。

 ただ、52口径155mm砲と30口径155mm砲の射程の違い、自動装填装置の能力、砲兵戦闘が従来の20km前後での戦闘から40km以遠の目標を、しかもコンピュータ技術の進展により標定に要する時間が限りなく短縮した現代では運用に限度があるのかもしれません。

 装甲車両について、第2師団では冷戦時代に第3普通科連隊へ73式装甲車を集中し機械化連隊としていました、それ以前には第102装甲輸送隊が上富良野駐屯地に置かれていまして、250名規模の隊員が装甲車90両を集中運用し、各師団へ配置の方式を採っていました。

 装甲輸送小隊へ各20両の装甲車を配置し、必要ならば徒歩歩兵主体の普通科連隊を中隊規模で機械化できた運用でしたが、第102装甲輸送隊の解散により各師団へ装甲車がじかに配備される事となりまして、第2師団では道北最前線第3普通科連隊を機械化した訳です。

 しかし、1990年代の防衛大綱改訂により、沿岸配備師団、そして2000年代の防衛大綱改編により総合近代化師団、となり、様々な地域へ転地する運用へ転換となりますと、第3普通科連隊だけ機械化となっては、第26普通科連隊や第25普通科連隊との格差が大きい。

 APC中隊というかたちで、師団全ての普通科連隊へ、一個中隊だけ装甲車を配備する運用、となったわけですね。装甲車中隊一個と高機動車主体の自動車化中隊三個に重迫撃砲中隊をおき、本部管理中隊の情報小隊等へ新たに軽装甲機動車を配備する方式となった訳です。

 本土師団では、軽装甲機動車中隊を各普通科連隊に一個中隊置く方式を採っているのですが、北海道では軽装甲機動車主体の中隊という方式は採られていません、この点不思議に思ったのですが、聞いてみますと軽装甲機動車は下車戦闘に向かず中隊用ではない、と。

 スカウト任務に最適といえる軽装甲機動車ですが、確かに歩兵部隊の任務は収奪された土地を小銃と銃剣で敵を陣地から引き摺りだし奪還すること、下車戦闘は必須である訳でから、軽装甲機動車では全員降りて車両に鍵掛けて放置するか、乗車したまましか出来ない。

 本土師団では、下車戦闘は高機動車に依存し、軽装甲機動車は機動力を活かした火力戦闘、どちらかと云えば騎兵部隊のような運用を実施し、しかし必要であれば下車戦闘を行う、という運用です、01式軽対戦車誘導弾にMINIMI機銃に必要ならば重機関銃を搭載できる。

 普通科部隊の運用に、微妙な違いを見た思いですが、しかし、高機動車主体の歩兵部隊は砲兵戦闘により無力化される危惧がありますし、機械化歩兵へ大きく転換しなければならないようにも、一方で機械化しますと車両整備の負担が大きくなってしまいまして難しい。

 この頃から、フランス軍のVAB軽装甲車、四輪駆動で高機動車よりも全長1mと幅0.3m大きいが車高は2mで、装甲は軽装甲機動車並に薄く機動力も限られますが10名乗れて値段も軽装甲機動車の2倍前後、四輪駆動軽装甲車が必要なのかなと思うようになりました。

 迫力の旭川駐屯地祭、観閲行進から訓練展示は勿論、その撤収風景まで中々の規模でした。近年、北方でのロシアからの軍事圧力は米ロ対立の拡大とともに再興しつつあり、北鎮師団の道北防衛の任務は冷戦時代の緊張から平和交渉の進む日ロ関係の道程がそれほど簡単ではない事を示しています、しかし、この重装備が維持されるならば、少なくとも北日本への着上陸などの脅威は当面抑止できそうだな、と感じ、帰路に就きました。

北大路機関:はるな くらま
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【日曜特集】第2師団創設63周年旭川駐屯地祭【6】道北旭川の守り作戦(2013-06-09)

2017-02-26 21:41:10 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■第2師団迫力訓練展示
 第2師団創設63周年旭川駐屯地祭、第六回は前回に引き続き旭川駐屯地祭訓練展示、攻撃前進の状況を紹介しましょう。

 機械化普通科部隊、第3普通科連隊の96式装輪装甲車が砂塵と共に前進する。//第2師団、旧陸軍の第7師団がこの旭川に配置された意味は地名からも視てとれます、北海道の地名はアイヌ語に由来するものが多いのですけれども、諸説はありますが、これは日に波打つ川というチゥッペ、が日を旭日と置き換え、あさひかわ、旭川となりました。

 戦車連隊の迫力、第2戦車連隊の90式戦車が普通科部隊と協同し攻撃前進を開始した。//そしてこれは旭川の地形が北海道最大の盆地である上川盆地に位置し、多くの河川が合流している地形をとなっている訳です。上川盆地の旭川市周辺で合流する河川は石狩川に牛朱別川と忠別川や美瑛川、と多く立地上はこの河川交通を利用しやすいという部分がある。

 第2戦車連隊は5個中隊の戦車を有し、各普通科連隊へ戦車中隊を配属して尚2個中隊が独立大隊として行動可能だ。//更に盆地は地形上、緊要地形をその周辺部に多く含みます、それだけではなく、道北南部にある旭川は道央とを結ぶこの回廊を構成しており、その上で北海道東部の地形は太平洋とオホーツク海に日本海に突き出す地形となっている、こうした地形の特色があるのです。

 96式装輪装甲車、通常搭載する96式自動擲弾銃に代え空包射撃可能であるMINIMI分隊機銃を搭載している。//この地形を防衛する事が北海道全域を北方からの侵攻に対して備える上で有利であるのですが、これに合わせ1891年には屯田兵、開拓へ軍が参画する明治時代独特の手法ですが、この駐屯が始まり、1898年には鉄道省が、漸くというか鉄道を旭川駅まで北上させました。

 第2飛行隊のUH-1J多用途ヘリコプター支援下で戦車連隊が前進する。//北海道防衛は今日に至るも重要度が高い我が国防衛の最前線となっていますが、これは式典の参加車両と式典の規模が何よりも物語っているものがあります。一方で、北海道の過疎化の進展を見ますと、自衛隊駐屯の経済的な意味の大きさも垣間見えるようにも思える。

 旭川の飛行場地区にて、ここまで立ち上る土煙が戦車の迫力を引き立てる。//第2師団は戦車連隊を有していますし、特科連隊は全て自走榴弾砲を装備し、普通科連隊には装甲中隊を奥、自衛隊の一つの理想的な編成となっています、訓練展示においてもその能力は如何なく発揮され、偵察部隊と拘束部隊の支援下で機動打撃により撃破しました。

 戦車に随伴する機会か普通科部隊が重迫撃砲中隊陣地を超越し戦闘加入する。//軍都、というと大時代的な響きですが、この1898年の旭川駅開業が師団の歴史と密接に繋がっています。当時の帝国陸軍は師団が隷下に2個旅団を隷下に置き、各旅団に2個歩兵連隊を配置していました、連隊の下には大隊が置かれ規模は今の普通科連隊よりも大きい。

 訓練展示の緒戦を担った74式戦車は完全に支援手に回っている、長砲身の105mm戦車砲が勇ましい。//鉄道の早い時期の整備、その上で物流が頻繁に軍需輸送という形で確立する事となり、そして師団長の地位とも無関係ではありません。師団長は大日本帝国憲法施政下において勅任官です。勅任官は天皇陛下から直接着任を命じられる官吏となります、この地位は高い。

 99式自走榴弾砲が支援を継続する、連隊は本部を旭川に置き一部大隊を道北の駐屯地へ前方展開させている。//勅任官という当時の日本の高級官僚制度上での位置づけは非常に大きな地位を占めるもので、府県知事は当時、判任官でした。判任官は官吏制度上、天皇陛下から任官を命じられますが、直接任官を宮城で陛下の御前に命じられるのではなく、大きさが分かるでしょう。

 戦車と共に特科部隊は突撃発起の最終弾射撃へと待機する。//勅任官の師団長と判任官の知事、官吏制度では憲法上、師団長の方が知事よりも上であった訳ですね。そして勅任官となると鉄道でも御客様、ではなく閣下と呼ばなければなりません。ちなみに、官吏になるには普通に旧制中学から学校を卒業して進む、実力主義です。

 普通科部隊が戦車と特科部隊の支援下、いよいよ敵前へ達した。//帝大や陸士海兵は誰でも受験でき、この部分において学力知力優秀でさえあれば、身分の格差はありませんでした。閣下、といいますと平成の日本では親しみを込めての知人や友人間の愛称で冠せられることが多いのですが、当時の閣下となりますと、やはり違う。

 第一線へ、続々と戦闘加入する普通科部隊、第2師団全ての普通科連隊には装甲車中隊が置かれており、戦車部隊と連携が可能だ。//閣下とよばれるほどですから、権限も地位も大きなものでした。旭川の歴史と閣下、ですが、この大きな部分は閣下となると、鉄道の移動にも二等車ではなく一等車が必要となります。一等車といいますと、単純に今日のグリーン車、とは実のところいえないものです。

 90式戦車と96式多目的誘導弾システムの協同、ある意味理想的な長距離打撃力と直接交戦能力の高い装備の協同だ//実は今日のグリーン車は明治時代の二等車にあたります、普通車として普通列車や急行列車に三等車がありましたから、区分としてグリーン車は二等車、と。一等車ですが、これは駅のみどりの窓口、は当時ありませんが、駅の切符売り場では入手する事は出来ません。

 下車展開、普通科部隊は直接占領された我が領土の奪還という最終段階を担うが、それは隊員個々人が敵の銃火へ直接さらされる瞬間でもある。//一等車に乗車するには鉄道省に直接手配を要求し一等車を連結し運行していました、当時列車にはボーイが乗車し、格式あるサービスを供していましたが、他の乗客もお隣が閣下では中々気が休まりません、そういう意味での貴賓車としての一等車、といえるでしょう。

 突撃支援、最終弾を撃ち終える、最終弾落下と同時に普通科部隊は銃剣を先鋒に突入する、白兵戦の始りだ。//勅任官の任地である旭川、一等車を運行する、つまり優等列車が明治時代の早い時代から整備されてゆきます。尚、昭和期に輸送効率化の観点から第7師団長がグリーン車に当る二等車利用として妥協、これにより旭川への一等車全優等列車連結は終止符となりました。

 普通科部隊が突入、敵を殲滅し状況は終了となった、実戦もこれほど上手く展開するのが理想、そのための準備を怠らない。//その上で師団本営と膨大な軍需輸送という輸送需要、旭川はこの軍隊が持つ交通に併せて物流の中で市街地を拡大させ、更に軍需輸送を背景とする鉄道交通の拠点化は北海道の第一次産業品の流通拠点となり、あさひかわ、軍都としての端緒から成長を続けたのでした。

 状況終了、展開した高射特科部隊も撤収を開始する、ここからも撮影するには絶好の状況が続きます。//旧陸軍の編成、今でいうところの四単位師団にあたりますが、歩兵連隊は地域司令部としての側面を持っており、連隊は地域ごとに配置され、明治時代当時我が国は徴兵制を採っていましたので連隊は、連隊区地域内での警備から徴兵や兵站など全般を担っていました。

 訓練展示が完了した後、会場では案内放送が始まりますが、写真には音声は写りませんので部隊と車両を動く様子を最後まで撮影します。//北海道内の連隊区は旭川連隊区、札幌連隊区、函館連隊区、釧路連隊区、以上四連隊区に区分していまして、主力を旭川へ置いていた訳です、こうしますと必然的に北海道北部への物流確保が必要となり、この地域へも比較的早い時期に鉄道線が整備されてゆきます。

 90式戦車と74式戦車、雪を冠する大雪山を背景に戦車の撤収気道を撮影しました。//旭川駐屯地祭、この年は75式自走榴弾砲最後の年度という事でしっかりと装備品展示も散策し、北鎮記念館の見学や護国神社も参拝も経て土産物を抱え旭川から札幌へ戻る事となりました。もちろん、利用するのは普通列車ではなく、特急スーパーカムイを利用して。

 99式自走榴弾砲、そしてこの年が最後の参加となりました75式自走榴弾砲の撤収、今日的に貴重な情景です。//特急スーパーカムイ、JR北海道が誇るエル特急です。特急ライラックと特急スーパーホワイトを統合し2007年に誕生した新千歳空港札幌と旭川を結びます。運行本数は毎日20往復以上となっていまして、北海道第二の都市旭川と道都札幌の輸送需要へ対応するもの。

 75式自走榴弾砲、2-4-12は第2特科連隊第4大隊第14中隊、を示す。特科中隊が非常に多い編制ですね。//旭川からは深川と滝川に砂川と美唄を経て岩見沢ののちに札幌、滝川や美唄に岩見沢という自衛隊駐屯地の街を繋ぐ特急でもあります。防寒構造の窓の関係から少し眺望には難色があるのですが、他の車両より良い。旭川駅は阪急三宮駅を思い出す規模の高架駅でした。

 冷戦時代の最も緊張状態が高かった1980年代までに数を揃えた75式自走榴弾砲、役目を99式自走榴弾砲に移し、この瞬間も北方からのロシアの軍事圧力へ備えています。//789系1000番台電車が主として用いられており、789系は電化路線にて営業速度140km/hという最高速度を誇ります。車内は特色あるのがグリーン車を連結していないもので、代わりにUシートというワンランク上の快適な座席を指定席として用いている点でしょうか。

 87式自走高射機関砲、ロシアのウクライナ東部紛争介入とクリミア武力併合をみていますと、北海道のこの防備は冷戦後の今日でも無駄ではないことが分かります。//戦後北海道の優等列車は準急石狩号が1951年に運行開始され、1956年に準急アカシヤと準急かむい号も運行開始、1961年には待望の特急おおぞら号が運行開始され新急行オホーツク号も誕生しました、特急運行開始まで道内移動は文字通り簡単ではなかったとのこと。

 99式自走榴弾砲、非常に長い52口径の砲身が見える、前述の75式自走榴弾砲が配備されるまで、北方領土を射程とするソ連軍の122mm野砲や152mm野砲に射程が及ばず打つ手なしでしたが、75式自走榴弾砲と後継99式自走榴弾砲は充分対抗できる性能をもつ。//おおぞら号運行開始から始まり、北海道内は特急列車が多数運行される現在の運行網が構築されるようになりました。札幌旭川間137kmを85分で結ぶ為、スーパーカムイ最大のサービスはその速度といえる。こうして第2師団創設記念行事、行事撮影は完了しました。

北大路機関:はるな くらま
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【日曜特集】第2師団創設63周年旭川駐屯地祭【5】北鎮師団の機動打撃力(2013-06-09)

2017-02-12 22:44:00 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■北鎮師団の機動打撃力
 北鎮師団の機動打撃力、この能力が最大限発揮される訓練展示の様子を、前回に続き視てまいりましょう。

 90式戦車が敵戦車部隊へ120mm砲を連続発射する、自動装填装置により空包を行進間射撃を繰り返した。/旭川駐屯地第2師団、師団編成を視てみますと、師団司令部および同付隊、第3普通科連隊、第25普通科連隊、第26普通科連隊、第2戦車連隊、第2偵察隊、第2対舟艇対戦車中隊、第2特科連隊、第2高射特科大隊、戦闘部隊は列記このようになっていまして。

 74式戦車も併せて前進する、この翌年から第2戦車連隊には最新鋭10式戦車が配備開始となった、背後の87式自走高射機関砲と重なりが面白い。/師団隷下部隊は更に第2施設大隊、第2後方支援連隊、第2飛行隊、第2通信大隊、第2化学防護隊、第2音楽隊、となっています。そして師団隷下部隊の駐屯地は、この旭川駐屯地と名寄駐屯地に遠軽駐屯地と留萌駐屯地、更に上富良野駐屯地、と道北地方に広がる。

 仮設敵のT-74戦車周辺へ次々と我が攻撃の爆炎を模した着色煙が盛り上がる。/師団警備隊区は名寄警備隊区第3普通科連隊長、旭川警備隊区第2特科連隊長、遠軽警備隊区第25普通科連隊長、留萌警備隊区第26普通科連隊長、上富良野警備隊区同第4特科群長、となります。なお上富良野警備隊区同第4特科群長は方面直轄部隊となっています。

 第1対戦車ヘリコプター隊のAH-1S対戦車ヘリコプターが帯広より航空支援へ飛来しました。/旭川駐屯地の駐屯部隊は、師団司令部と司令部付隊、師団隷下第2特科連隊、第26普通科連隊第4中隊、第2後方支援連隊、第2高射特科大隊、第2施設大隊、第2通信大隊、第2飛行隊、第2化学防護隊、第2音楽隊です。廃止された第9普通科連隊も旭川駐屯でした。

 96式多目的誘導弾システムもAH-1Sとともに対戦車戦闘を継続的に展開してゆく。/隷下部隊は、名寄市名寄駐屯地に第3普通科連隊と第2偵察隊が駐屯、紋別郡遠軽町遠軽駐屯地に第25普通科連隊がいまして、留萌市留萌駐屯地に第26普通科連隊と、空知郡上富良野町上富良野駐屯地に第2戦車連隊と第2対舟艇対戦車中隊が其々に駐屯しています。

 87式自走高射機関砲が陣地変換、我が方の航空攻撃に対し相手からも航空攻撃が我が方へ仕掛けられることを未然に抑止する。/自衛隊の北海道における役割ですが、人口に占める影響も大きいのです。名寄駐屯地に置かれる名寄市は人口28400名、遠軽駐屯地の置かれる紋別郡遠軽町の人口は20800名、留萌駐屯地の置かれる留萌市は人口22200名、上富良野町の人口は11500名となっています。

 96式装輪装甲車が74式戦車の支援を受け前進する、戦車が切り拓いた第一線を装甲車に乗車する機械化普通科部隊が戦果拡張へ向かう。/名寄市は人口28400名、紋別郡遠軽町の人口は20800名、留萌市は人口22200名、上富良野町の人口は11500名、あまり自衛隊を産業の面で観るべきではないのですが、師団普通科連隊の定員は1200名ですので、駐屯地一つが街の存続を左右しているともいえるもの。

 UH-1J多用途ヘリコプターが近接し、普通科隊員と斥候部隊の空輸や負傷者搬送、弾薬などの空輸を行う。/実はこの地域経済への影響が、前述しました第9普通科連隊の廃止改編に影響しました、第9普通科連隊は旭川駐屯地に駐屯しています、これは師団司令部連隊という位置づけで中部方面隊では第3師団が市内の第36普通科連隊、第10師団の第35普通科連隊と同じ。

 75式自走榴弾砲の射撃、自走榴弾砲は弾薬輸送トラックよりも迅速に不整地を突破し展開するため、その補給には空中機動による補給も威力を発揮するでしょう。/しかし、第2師団改編では第9普通科連隊、師団司令部所在地連隊ということでこちらは維持される方針であったのですが、他の駐屯地地元と国会議員与党実力者を巻き込んだ連隊維持の政治圧力が大きくなり、消去法で駐屯地維持に響かない連隊が廃止となった、と。

 99式自走榴弾砲、52口径、つまり155mmの後継の52倍という長大な砲身が醸す迫力が凄い。/実際第9普通科連隊は精鋭中の精鋭連隊だったとのことで、難しい話があったのは分かるけれおも、あの9連隊の廃止は痛かったよなあ、と元第2施設大隊で仙台在住の方がしみじみと語っておられました、部隊廃止は師団全体の隊員士気に非常に大きく響くようです。

 5門の榴弾砲が中隊効力射を展開する、一発の砲弾は長径45mの楕円形に有効弾片を散布し面制圧する。/防衛の面から見ますと、第2師団隷下部隊の駐屯地は即実戦体制です、名寄駐屯地等は自衛隊で最も北に位置する普通科連隊、第3普通科連隊が駐屯していますが情報収集に当たる第2偵察隊が駐屯しています、北の脅威が着上陸の際に即座に情報収集へ迎える態勢だ。

 瞬間!閃光!一喝!衝撃!、この四点が一度に叩きつけられるのが線釈放射撃の迫力だ。/名寄駐屯地一つとってもこれだけではなく、北部方面隊直轄の第1高射特科群第4高射特科群のホークミサイル部隊が駐屯していまして、航空攻撃へ防空の傘を付与できますし、第2特科連隊第2大隊が名寄へ分駐、師団砲兵の長槍を普通科連隊へ常駐させたかたち。

 特科部隊の支援を受けつつ、74式戦車が前進する、この74式戦車は陸上自衛隊で最初にこの第2師団へ配備が開始され、全国へ行き渡っている。/上富良野駐屯地も第4特科群が方面隊直轄部隊として配置されていますが、冷戦時代には74式自走榴弾砲を運用する第117特科大隊が配置、200両が生産された75式自走榴弾砲に加え74式は直接戦闘も視野に含めた105mm砲で師団へ戦闘加入を想定していました。

 中隊効力射、実戦ならば即座に陣地変換を行う、さもなくば反撃を受けるためだけれども、訓練展示では用地制約からそこまではしません。/第102装甲輸送隊という、装甲車の専門部隊も上富良野駐屯地に置かれていまして、これにより普通科連隊へ装甲輸送隊を配属すれば即座に機械化普通科連隊を編成できます、自衛隊の装甲車両不足の苦肉の策とも言われますが、整備と管理を一括化したため、とも。

 更なる戦車小隊が増勢へ戦闘加入する、戦車のもつ威力は今なお陸上戦闘を左右する。/ソ連軍着上陸に際しては即座に戦闘となる事を意味していましたから、本土師団の様に有事の際に普通科連隊へ戦車大隊から戦車中隊と特科連隊から特科大隊を配属して連隊戦闘団を編成し、防衛戦闘に当たる、という悠長なことをやっている時間が無かった、という。

 AH-1S対戦車ヘリコプターが再度対戦車攻撃へ、陸上自衛隊最初の対戦車ヘリコプター隊は北部方面隊の帯広から始まった。/仮想敵国ソ連に備える、第2師団長には豪放磊落な師団長が補職される事が多かったようで、こんな発言を新聞記者を集めた師団長就任会見で堂々と示したり、師団長は有事の際に最終確保地域を保持できない場合には責任とって自決する、という発言の方もいました。

 TOWミサイルに20mm機関砲と70mmロケットを駆使し敵戦車を蹂躙し敵車両や敵歩兵を面制圧する。/実のところ、冷戦時代に第一線にいらしたOBの方の話を聞きますと、そしてなによりも、これは昭和の話ではなく平成に入ってからソ連が崩壊している訳ですから、思うほど昔の話ではなく、日本本土にソ連軍の戦車師団や自動車化狙撃師団上陸の可能性があった、と。

 90式戦車、1500馬力のエンジン出力にものを言わせ遮二無二敵陣地を蹂躙へ向かう、状況はいよいよ最終局面が近づく。/第一線部隊の近接戦闘部隊には憲法問題も何もなく、着上陸した敵が正面に来たらば撃破あるのみ、こんな話を聞いたりもしますと、中央と第一線部隊の距離感というもの、これを同時に視る方々の視点、もう少し考えなければならない、とは毎度の事ながら痛感する。

 空中機動部隊と合わせ空地一体の戦闘を展開する、自衛隊は対機甲戦闘とともに空中機動力を草創期から錬成し続けてきました。/日本を守っているのは自衛隊、と自信を持って言えるのは、アメリカが日本を守っているという傲慢な発言の主がアメリカの大統領選で飛び出したりもしましたが、在日米軍の駆け付けられる地上戦闘部隊は第三海兵師団のみ、重装備では第2師団よりも規模は小さい。

 槍衾という表現が一致する特科部隊の射撃陣地を造園の戦車小隊が超越する、砲塔を油断なく方針を相手に指向する様子が勇ましい。/実際問題、西ドイツのようなアメリカ陸軍機甲師団は日本本土に駐屯していませんでしたし、韓国のソウル北方議政府に駐屯する在韓米軍第2歩兵師団の様に第一線に駐屯していた訳ではありません、最前線の北海道から一番離れた沖縄に駐屯していた訳ですから、ね。

 74式戦車を超越して90式戦車が前進する、北海道最後の74式戦車部隊となった第2戦車連隊ならではの情景だ。/他方、日本を守っていたのはアメリカ軍、という誤認はアメリカ国内に多くあるようですが、そもそも日本国内にも大きく幅を利かせているのではないか、第一線部隊や識者等は別ですが、米軍は日本が憲法上出来ない周辺地域への圧力に加え日本の防衛も担うという。

 遠距離打撃力に対空火力と対戦車火力が一体化し状況に当たる。/自衛隊では広報を平時の実戦という位置づけの下で、積極的に部隊行事等を一般に開放していますが、もう少し、市街パレード等を積極的に行い防衛力について広く誇示し、他国軍事圧力に対して日本の主権と平和主義を守り得る事を示す必要もあるのかもしれません。

 99式自走榴弾砲、砲身は長いが75式自走榴弾砲のような空包射撃に伴う大きな発砲焔は出ないのが少し残念でもあるもの。/90式戦車や96式装輪装甲車に99式自走榴弾砲は確かに強力な装備ですが、国民の理解と心の支援があってこそ、初めてこれらの装備品を部隊として維持することができる、ふとそんなことを思います。装備だけでは部隊は出来ませんし部隊だけでは国土戦を戦えない。

 戦車連隊と特科連隊、敵機甲部隊の反撃を富士その防衛線を瓦解させたうえで戦果拡張へと部隊が集中してゆく。/もっとも、現在、防衛の第一線は南西諸島に焦点が定まり、続々と飛来する中国からの国籍不明機に毎日幾度も緊急発進し、抑止力を支えています。緊張が沖縄に移っただけの実情でして、日本は戦争を放棄しましたが、中国は日本への戦争の圧力を放棄していません。

北大路機関:はるな くらま
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【日曜特集】第2師団創設63周年旭川駐屯地祭【4】道北戦争二〇一X想定勃発!(2013-06-09)

2017-01-29 22:44:16 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■道北戦争二〇一X想定勃発!
 道北戦争二〇一X勃発!、という状況、旭川駐屯地祭の訓練展示がいよいよ本格化しました。第2師団創設63周年旭川駐屯地祭、迫力の機械化部隊が示す北海道防衛の決意を空包により再現したもの、その様子を紹介しましょう。

 第2戦車連隊74式戦車が仮設敵部隊に関する偵察隊の情報を受け前進を開始しました。/旭川駐屯地へ足を運び、式典会場までの案内を頂いた際に当惑したのは、初めて足を運ぶ駐屯地棄権行事では往々にしてある事なのですけれども、いったいこの広大な駐屯地の何処から撮影しようか、というものでした、何しろ旭川駐屯地は広く式典会場もまた広い。

 第2偵察隊の87式偵察警戒車が敵戦車部隊と離隔を採りつつ拘束部隊として警戒に当たる一方、第2飛行隊のUH-1多用途ヘリコプターからレンジャー部隊の新党準備が進む/駐屯地は北海道旭川市春光町に位置しまして、近傍に近文台演習場があります、そしてこの近文台演習場には蝦夷鹿が生活している程に自然あふれる駐屯地なのですけれども、聞けば広大な駐屯地には野良猫野良犬野良キタキツネまでいるというから広さが分かるもの。

 最前線での情報収集に合せ戦術ミサイル部隊が徐々に敵部隊を包囲する、第2対舟艇対戦車隊の96式多目的誘導弾96MPMSが続々と戦闘加入へ向かう。/北海道は広大ですが駐屯地も広大です、旭川駐屯地の駐屯部隊は、師団司令部と司令部付隊、師団隷下第2特科連隊、第26普通科連隊第4中隊、第2後方支援連隊、第2高射特科大隊、第2施設大隊、第2通信大隊、第2飛行隊、第2化学防護隊、第2音楽隊、と並ぶ。

 仮設敵部隊がT-74戦車を以て我が拘束部隊と接触を開始した、105mm後継の125mm戦車砲が羽が部隊を狙う/北部方面隊直轄部隊含めれば、北部方面混成団第52普通科連隊第2中隊、北部方面後方支援隊北部方面輸送隊第101輸送業務隊第2端末地業務班北部方面通信群第101基地システム通信大隊第301基地通信中隊、北部方面会計隊第343会計隊、旭川駐屯地業務隊など。

 96MPMSが展開、60kgという巨大な威力を持つミサイルを10kmの彼方へ光ファイバー画像誘導方式により正確に投射できるこの装備は相手からは彼方の掩砲所から狙われる事を意味し敵戦車部隊の行動を著しく制約できよう/旭川飛行場が旭川駐屯地に位置していまして、これは第2飛行隊のヘリコプター部隊が展開する飛行場なのですが、この滑走路だけで未舗装ながら800mあり、聞けばこの旭川飛行場は陸軍時代に遡り、旭川空港開港前にはこの地方で唯一の飛行場であった、とのこと。

 対戦車部隊の展開と共に高射特科部隊が前進しているのが見える、96MPMSの背後には943式近距離地対空誘導弾により警戒を開始した、自衛隊の防空装備は大戦中の反省から充実しており、空からの脅威へ抜かりはない/第2師団創設記念行事という事で、名寄警備隊区第3普通科連隊長、旭川警備隊区第2特科連隊長、遠軽警備隊区第25普通科連隊長、留萌警備隊区第26普通科連隊長、上富良野警備隊区同第4特科群長、この隷下部隊も駐屯地に勢揃いしていまして、何処から撮るか。

 UH-1からのレンジャー投入と共に既に音もなく120mm重迫撃砲RTが布陣を完了しつつある/キタキツネまでいるという駐屯地はなかなか聞きません、いや、東千歳駐屯地はヒグマが入ろうとしたことがあるのだとか、聞けば千僧駐屯地にはネコ、お隣滋賀県の今津駐屯地にもシカくらいは入るようですが、駐屯地祭の行われる会場にキタキツネ、新鮮ですね。

 普通科部隊最大の火力である120mm重迫撃砲は高機動車派生重迫牽引車により牽引され即座の展開が可能だが、同時に40kmの長距離打撃力を持つ99式自走榴弾砲の展開も始まる。/北海道の旭川、夜の歓楽街の規模は札幌をしのぐほどということで、北海道内の銘酒を前の晩には頂き、ホッケの刺身というホッケといえば開きしか知らない当方に味の革命をもたらせた北海道、じゃがバターに塩辛という驚きもありましたが、翌日、広さに驚くとは。

 戦域優位とは情報優位、OH-1観測ヘリコプターは高度な運動性能を活かし、最前線での情報収集に当たると共に空対空ミサイルを標準装備し相手ヘリコプターを駆逐する事も出来るが、1990年代に250機の調達計画が立てられるも少数調達で終わったことが痛い/しかし、気を付けなければなりません、これだけ広い駐屯地、迷子になったら最後です、キタキツネもいるのですから自販機も無く迷ったまま、仕方なく湧水で渇きを癒せばエキノコックスにやられるかもしれません、冗談はさておき、撮影場所を決めねばならない。

 T-74主力戦車とともにBTR-96装甲車を中心とした仮設敵が、我が方の包囲網が完成する前に突破を図る/撮影位置を選定する際に、開場の一般に立ち入る事が出来る場所を探してみますと、飛行場地区を背景に観閲台が設けられていまして、よくよく見てみますと飛行場地区は一般立ち入りできない、が、交通規制先に観閲台の正面左手に装備品展示会場が配置されている。

 我が74式戦車が105mm戦車砲を向ける、手前の96MPMSの方が1発当たりの威力は大きいが戦車砲は即座に射撃が可能でマスク敵を直撃し破壊する事が出来る瞬発交戦能力が大きい為、目視できる距離での近接戦闘では戦車の優位性に変わりないが旧式化も進む、しかし、写真の背後に見える90式戦車の配備が北海道では大きく進んだ/大規模な行事と観閲行進の規模は非常に大きく車両も多い、という事は分かるのですけれども、しかし、よくよく見てみますと車両行進が行われるのは観閲台正面の車道のみ、横幅が限られますから第7師団東千歳駐屯地祭のような五列六列横隊の観閲行進はなさそう。

 UH-1多用途ヘリコプターが離脱へ向かう、小銃班を空輸可能であるが、斥候小隊のオートバイも輸送可能、また、ミサイルや砲弾の補給など無ければ戦闘が成り立たない補給品の空輸に負傷者の後方搬送、指揮官斥候支援にもあたる不可欠な装備の一つ。/旭川飛行場を背景に車両が通行する、思い出すのは宮城県仙台市若林区霞目、東北方面隊創設記念行事が行われます霞目駐屯地の霞目飛行場でしょうか、東北方面隊創設記念行事の観閲行進規模も凄かった、あの飛行場の滑走路が710mでした、すると撮影適地は、と。

 特科部隊の集結も進む、戦車部隊と多用途ヘリコプターの広報では数十kmの砲兵戦闘が始まろうとしている所だ。/壮大な駐屯地祭の巨大な観閲行進ですので、撮影位置には車両を大量に写せる場所を選びたい、EF18-200mmISの広角中望遠ズームを装着したEOS7Dと120-400mmOSレンズを装着したEOS-50Dを器材としていますので、観閲行進を圧縮効果で撮影する事が可能です。

 99式自走榴弾砲、52口径155mm榴弾砲を自動装填装置により短時間で大量の砲弾を目標へ叩きこむことが可能な、世界の砲兵部隊が理想とする装備品を具現化したもの/式典会場、冷静に見てゆきますと、観閲行進の経路は車両待機位置まで進む時途上に若干の湾曲線形がある、スタンド席は招待客専用という事で使えません、そしてその周辺も撮影場所としては不適、でも湾曲線形、静岡県駒門駐屯地の会場に似ている、という印象か。

 UH-1の離脱、ヘリコプターは防空火器の前に非常に大きな脆弱性を有するため、単体で超越前進するという運用は今日では非現実的で、陸上部隊と協同が不可欠というもの。/湾曲線形の中ほどから見ますと、観閲行進を待機位置から観閲台正面を通り間近によるまで、一手に撮影できるものでして、何か応急の櫓のようなものが配置されているのが気になりますが、ここならばいい写真を撮影できるでしょう、観閲台正面からはかなり遠いが。

 特科部隊が射撃位置へ展開する、87式自走高射機関砲が対空レーダ装置と連携し特科部隊を航空攻撃から防護しているところ。/この撮影位置、湾曲線形を活かした撮影位置はある意味正解でしたが、式典と訓示に祝辞と祝電披露を完了し、観閲行進準備の号令がかかると共に、気付きました、この櫓、師団広報の撮影用だったのですね、即ち櫓周辺は師団広報と通信大隊写真班が展開するという。

 砲兵戦とは現代では火力の投射以前に敵砲兵部隊を叩き潰す対砲兵戦からはじまる、この年最後の参加となった75式自走榴弾砲は日本が初めて完成させた自走装填装置搭載の155mm榴弾砲だ。/陣地変換です、猶予はありません、師団広報と写真班の方々は直前に展開してきますが、この位置では後塵を拝するといいますが、広報の人たちが目の前に立ち、お仕事をするという意味ですので、此処に居ては当方は撮影できない、陣地変換し次の撮影地へ移動する。

 87式自走高射機関砲は当初150両程度が全国の師団高射特科大隊へ配備される構想でしたが、第2師団と第7師団へ配備されたところで生産終了、戦車連隊の直掩防空戦用装備となってしまった。/考えれば当然ですよねえ、意味もなく櫓を組むことはありません、櫓を視れば撮影用と気づくべきでした、第1師団や第3師団はスタンド席に広報の方が撮影位置をとりますが、第2師団は違ったのか、と。しかし、此処、一般観覧者に一番邪魔にならない場所ですね。

 敵機械化部隊が我が96MPMSの防御戦闘を突破し、更に前進を開始しようとしている、切迫した状況となってきます。/陣地変換ですが、簡単です、櫓が邪魔ならば櫓の前に出れば良い、櫓は高く当方一人展開しても広報の方の邪魔にはなりませんし、当方の背後には櫓がありますので、他の観覧者の方の邪魔にもならない、そして何よりここまで隅っこぐらし的な位置には、人が少ない。

 75式自走榴弾砲が射撃を開始する、旧日本軍では固定陣地からの砲兵運用が対砲兵戦において容易に破砕されたものの、単に火力で凌駕されたとの誤解が払拭されず、近代敵砲兵戦への対応能力に後れを取った、陸上自衛隊では1効力射毎の陣地変換により、敵の反撃を回避する。/観閲行進、大迫力でした、土煙を巻き上げながら堂々の機械化部隊、機械化普通科部隊に自走特科部隊と戦車連隊に施設も通信も装甲化され支援装備も新鋭最新鋭並ぶ、地元の精鋭、千僧第3師団にもこれくらいの装備があればもう北朝鮮も中国も怖くないよなあ、と。

 99式自走榴弾砲も射撃を開始する、我が防衛線を突破しようとする敵という状況、強力な打撃力を敵砲兵部隊や第一線部隊へ送り込むべく射撃を行うべく155mm砲身を槍衾の如く構える様子は勇壮そのもの。/素晴らしい観閲行進を撮影する事が出来たのですが、これで素晴らしかった、よかった、帰ろう、とはなりません、観閲行進の次には訓練展示が始まるのですから、この訓練展示を撮影しなければなりませんが、どう考えてもこの通路で撮影できるものはありませんね。

 第2特科連隊の突撃破砕射撃の前に敵機械化部隊の攻撃前進も停止せざるを得ない。/陣地変換、陣地とは返還するためにあるので動かなければなりませんが、当方は単独で展開しているので予備陣地の確保などありません、とりあえず、訓練展示を撮影できる場所に移動しなければなりません、そしてそれは既に満員の式典会場に移動する事を意味する。

 90式戦車の戦闘加入、師団は第2戦車連隊の90式戦車を増強へ派遣、第3普通科連隊の96式装輪装甲車とともに機動打撃部隊を編成し攻撃前進へ向かう。/訓練展示は観閲台の師団長と来賓に一番よく見える位置にて実施されますので、移動するのですが、悲しい事に当方、脚立は持ってきていません、ポケットに入る超小型折畳椅子のみ、ですので、そこから満員の会場を手の伸ばせる限り伸ばしたカメラにて撮影します。

 訓練展示の全景、非常に広い旭川駐屯地の全てを使った訓練展示、どの方向にカメラを向けても道北戦争二〇一Xという空包の戦闘が広がっている、しかし、訓練展示はまだまだこれからだ。/訓練展示は動きがある展示となっていますから、後ろの方からでも前の人の林立する頭越しの隙間から撮影すればなんとかなります、こうして満員の会場に陣地変換し、どうにかこうにか迫力のある訓練展示を勘に頼って撮影、仕上がりのまあ良いものを紹介しました。

北大路機関:はるな くらま
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【日曜特集】第2師団創設63周年旭川駐屯地祭【3】特科・戦車部隊の観閲行進(2013-06-09)

2017-01-15 20:32:59 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■精鋭機甲部隊観閲行進
 第2師団創設63周年旭川駐屯地祭、日曜特集写真集第三回は特科部隊と機甲部隊の観閲行進と、飛行隊祝賀飛行、そしていよいよ開始される訓練展示模擬戦の模様を。

 大隊長乗車の82式指揮通信車率いる最新の99式自走榴弾砲。//第2師団は陸上自衛隊発足前の警察予備隊時代1950年に創設された第2管区隊まで起源を遡る事は出来ます、警察予備隊、朝鮮戦争を契機として日本進駐軍の国連軍転用を前に日本国土の防衛に充てる独自の警備部隊として、占領軍総司令部GHQが創設した組織です。

 第2特科連隊第3大隊、99式自走榴弾砲は40km以遠の目標を砲撃可能とされる。//第2管区隊はアメリカ陸軍の歩兵師団を参考とした編成です。管区隊は師団に当たる区分で、師団司令部に当たる管区隊の司令部は管区総監部、という呼称で呼ばれていました、師団とは一方面の独自作戦能力を付与する編制区分で、管区総監部という呼称は相応しい。

 52口径155mmの長砲身が勇ましい、特科大隊は10門、特科中隊は5門を装備する。//警察予備隊が保安隊に拡大改編された1952年、管区総監部は北日本全域を守る広大な警備管区を有していましたが、朝鮮戦争の拡大と共に東西冷戦構造が急速に形成され、第2管区隊は、警備隊発足と同時に創設された北部方面隊北部方面総監部の隷下に置かれました。

 第2特科連隊第5大隊第14中隊、全般支援委当たる第5大隊は隷下に4個中隊を持つ。//陸上自衛隊が発足した1954年、第2管区隊は隷下に第3普通科連隊、第9普通科連隊、第10普通科連隊、第2特科連隊、第2特車大隊、と徐々にその編成を強化してゆきます、旧陸軍との区別から歩兵は普通科、砲兵は特科、機甲兵は特車科、と改めての部隊編制です。

 第4大隊の75式自走榴弾砲、当時世界でも稀有な自動装填装置を持つ30口径155mm榴弾砲を装備している。//草創期の第2管区隊は隷下に第3普通科連隊と第9普通科連隊と第10普通科連隊、を有していましたが、お気づきでしょうか第3普通科連隊は現在も第2師団隷下ですが、第9普通科連隊は既になく、第10普通科連隊は札幌真駒内の第11旅団の隷下部隊となっている。

 75式自走榴弾砲は200門が生産され北部方面隊に広く配備されたが99式自走榴弾砲へ置き換えられ、この行事が自衛隊最後の参加となった。//普通科連隊も当時は単に連隊と呼称されていましたが、自衛隊草創期の普通科連隊は三個大隊編成で、戦車中隊等も隷下に置く混成団に近い重厚な編成を採用していました。アメリカ陸軍の歩兵連隊に相当する、草創期の連隊は現在の旅団並の規模を有していた訳です。

 第2戦車連隊の観閲行進、併せて第2飛行隊の祝賀飛行編隊が上空に見える。//第一次防衛力整備計画時代、自衛隊発足間もないころの普通科連隊は、第一普通科大隊、第二普通科大隊、第三普通科大隊、第四普通科大隊、重迫撃砲中隊、特車中隊、衛生中隊、以上実に15個中隊を隷下に有しまして、定数上は戦車22両と重迫撃砲12門を有していた。

 戦車連隊は5個中隊編成、最盛期は100両の戦車を装備した。//草創期の連隊は大きな編成であったのですが、警察予備隊が保安隊を経て陸上自衛隊に改編されると共に部隊数の増勢による全国への警備管区の配置、所謂、基盤的防衛力整備が求められ、草創期の連隊を構成する四個大隊が各々普通科連隊へ改編されていった訳です。

 90式戦車と74式戦車を装備する。//日本国土防衛を担う自衛隊は、草創期に管区隊と機械化混成団を基幹部隊としていました、元々は管区隊だけであったのですが機械化混成団は、アメリカ陸軍歩兵師団を原型として編成されていたのに対し、機械化混成団は機械化歩兵部隊を基幹とした小型旅団を目指す。

 荒井正芳連隊長乗車の90式戦車。//大型の普通科連隊は第3普通科連隊と第9普通科連隊と第10普通科連隊がありましたが、陸上自衛隊は第2管区隊から第10普通科連隊を独立させ、第7混成団を編成します。一方、第2管区隊は順次第25普通科連隊と第26普通科連隊を遠軽と留萌へ、隷下に置きました。

 120mm滑腔砲と複合装甲に1500馬力エンジンを備える90式戦車は、目標自動追尾装置や自走装填装置等様々な新機軸を備え現代でも世界第一級の戦車だ。//第7混成団は、第10普通科連隊が隷下に四個普通科大隊を置き、特科連隊は全般支援大隊と直接支援大隊に高射大隊を置く、その上で施設大隊と偵察中隊や通信中隊、後方支援部隊に当たる武器中隊と補給中隊に衛生中隊を置く編成で、後に第7師団と第11師団になる。

 基幹連隊指揮統制システムを採用する第2師団において、90式戦車は高いデータリンク能力を持ち、この搭載により2010年代でも世界第一線級を超える戦車として返り咲いた。//第2師団は、第2管区隊からの改編により誕生しました、師団という編成が自衛隊に導入されたのは1962年です。第25普通科連隊と第26普通科連隊の創設は、第3普通科連隊と第9普通科連隊の普通科大隊を基幹として創設、老舗の暖簾分けと表現できる方式です。

 戦車は通常単一目標しか対応できませんが90式戦車は車長用照準器と砲手用自動追尾装置の併用で二目標連続撃破という器用な戦闘が可能です。//普通科連隊は管区隊から師団への改編により小型化しました。これは、四個普通科大隊と重迫撃砲中隊に戦車大隊まで有していた部隊を大隊ごとに独立させ、四個大隊を三個連隊に暖簾分けしたのですから、ある意味規模の縮小は当然と云えたわけですが、もう一つ。

 第2飛行隊の編隊飛行、祝賀飛行が戦車に続く。//新しい普通科連隊は連隊の下に大隊を置かない編成を採った背景には、1950年代にアメリカ陸軍が導入したペントミック師団編成の影響があります、ペントミック師団編成、言い換えれば五単位編成師団となりますが、この編成は五個連隊戦闘団を基幹部隊としました。

 祝賀飛行編隊の広報には北部方面航空隊の対戦車ヘリコプター隊と方面ヘリコプター隊が帯広駐屯地と丘珠駐屯地から参加。//ペントミック師団は、編成部隊を小型化する事を主眼に部隊を事細かに細分化したのですが、これは当時、米軍師団が大規模な戦闘を展開する場合に核戦争が必至であると考えられ、その為には大型部隊を行動させる事は核攻撃の標的となり易く、分散させる目的から。

 観閲行進は祝賀飛行と共に堂々の終了、旭川飛行場へ着陸する祝賀飛行参加編隊。//五単位編成部隊は師団の規模がそのままに基幹部隊数を増加させるので、連隊の下に大隊を置かず、連隊の下に中隊を配置し、連隊長が多数の中隊を直接指揮する、という視点から導入されました、自衛隊はこの連隊の下に中隊を置く、との編成方式のみ導入しました。

 訓練展示状況開始、第2偵察隊の斥候小隊が駐屯地の一角へ敵部隊が浸透したとの情報を受け情報収集へ出動。//アメリカ陸軍ではペントミック師団編成は1960年代にはROAD師団編成に置き換えられます、三個旅団司令部を師団隷下に置き各種大隊を組み合わせるもので、改編の背景には師団を五単位に細分化すると一戦闘単位あたりに充分な部隊を配置させられなかった、と。

 87式偵察警戒車が25mm機関砲を油断なく前方へ構えオートバイ斥候を超越、威力偵察へ進む。//自衛隊がこの連隊の下に中隊を置く編成を維持させた背景ですが、アメリカ陸軍が問題視したペントミック師団の打撃力と攻撃衝力持続性の限界が、自衛隊では地形と戦闘における正面緊迫や火力投射範囲の面で問題とならず、日本の狭隘地形に合致していたためです。

 仮設敵部隊のBTR装甲車役の96式装輪装甲車が偵察部隊の威力偵察に射撃で応戦し、接触が始まった。//自衛隊は混成団の師団への改編を行い、北海道は第2師団と第5師団に加えて第7師団と第11師団が混成団から改編、第6混成団は第6師団へ、第8混成団は第8師団、第9混成団も第9師団、第10混成団を第10師団へ改編、13個師団体制が1962年に完結します。

 偵察隊の任務は小規模な先頭戦闘により相手の戦闘力を図り、抵抗が小さければ撃破し前進する、敵の有無を図る任務は斥候という。//第2師団は東西冷戦の第一線へ重責を担いました。防衛正面には宗谷海峡を睨み、ソ連軍は第二次大戦の日本降伏後に占領した樺太から北海道へ照明弾等軍事行動を示威し、盛んに艦艇を往来、情報収集艦等の動向も多く、自衛隊は沿岸監視隊等を置き抑止力を強めた。

 仮設敵のT-72戦車役の74式戦車が威力偵察を撃破するべく125mm砲役の105mm戦車砲で攻撃を仕掛け、刹那、空包のひっぱたくような衝撃波が会場観衆に叩きつけられた。//61式戦車に60式装甲車と60式無反動砲や64式対戦車誘導弾、74式戦車に73式装甲車と75式自走榴弾砲と75式装甲ドーザや79式対舟艇対戦車誘導弾、最新装備を順次揃え90式戦車の配備が開始され始めた頃に漸くソ連が崩壊、自衛隊は日本を守り抜きました。

 偵察隊の25mm戦車では敵戦車に全く歯が立たないが、敵の戦闘力は把握した瞬間に任務は完了し俊足で離脱する、更なる状況解明へOH-6D観測ヘリコプターが発進する。//日本の防衛力整備は構想に五年と画定に五年、整備に五年を要します。1995年、第2戦車大隊が第2戦車連隊へ拡大改編を受けます、これは戦車北転事業として本土戦車大隊から各1個中隊を抽出し北海道の戦車部隊増強に充て、冷戦時代の施策が遅れて完結したもの。

 第2対舟艇対戦車隊が敵戦車発見の報に接し96式多目的誘導弾システムを展開、敵戦車の動きを留める拘束部隊として進出した。//冷戦後、自衛隊縮小の機運が細川内閣時代に強まり、第2師団も縮小改編を受ける事となります、1995年防衛大綱改訂を受けてのもので師団は第9普通科連隊と第2対戦車隊を廃止しました、第5師団と第11師団に第12師団と第13師団の旅団化が同時期実施されます。

 こうして第2高射特科大隊の展開など、訓練展示が本格化しました。//新世紀を迎えた第2師団ですが、防衛大綱の中期防衛力整備計画単位での改訂と共に重装備縮小の暴風が吹く中、90式戦車、96式装備車輪装甲車、96式多目的誘導弾、99式自走榴弾砲、87式自走高射機関砲、10式戦車等優秀装備を揃えた精鋭部隊として今に至ります。

北大路機関:はるな くらま
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【日曜特集】第2師団創設63周年旭川駐屯地祭【2】総合近代化師団の観閲行進(2013-06-09)

2016-12-25 20:09:52 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■北鎮第2師団が道北護る
 日曜特集、日ロ首脳会談が行われ平和条約へ一歩を歩みましたが北海道の北には大戦停戦後にソ連が不法奪取した千島列島等があり、第2師団は現在もロシア軍と対峙しています。

 山内克己連隊長先頭に留萌第26普通科連隊機械化部隊の観閲行進、現連隊長は西田健1佐。90式戦車、96式装輪装甲車、99式自走榴弾砲、第2師団は優秀装備を揃えています、その様子は記念行事前に駐屯地の一般開放区画を散策し、観閲行進に向け待機している車両群を観るだけでも痛感します、なんというか本土の師団とは装備の重厚さが桁違い、と。

 第2対舟艇対戦車隊の96式多目的誘導弾96MPMSの行進。北部方面隊は冷戦時代、ソ連軍の着上陸が真剣な脅威として、具体性を以て警戒されていた為、重装備を誇っています。90式戦車は勿論現在本土に広く配備されています74式戦車も北海道から配備されています。北海道から順次、近代化が進められた、という構図です。

 井山隆二連隊長が率いて第2後方支援連隊観閲行進。冷戦後に入りますと北海道からの近代化一辺倒というわけではありません、実際問題、装甲車両や戦車と火砲の近代化は北海道優先となっていましたが、対戦車ミサイルや軽装甲車両に迫撃砲などの軽装備の近代化は本土師団と本土旅団から順次進められてゆきました。

 現連隊長は鶴村和道1佐、第2後方支援連隊第1整備大隊の重装輪回収車。第2師団でも106mm無反動砲はかなり後まで残りましたし、高機動車を自衛隊で最初に充足した部隊がその後の装備配備が大きく遅れる、というものがありました。89mmロケットランチャー所謂有名なバズーカ砲も最後に配備されていたのは恵庭の第1戦車群でしたし、ね。

 第2後方支援連隊の戦車輸送車と75式自走榴弾砲。新世紀に入り自衛隊の脅威は西方へと移行しました、南西諸島への限定侵攻の蓋然性が高まり、新装備を西方に展開する、その一方で統合機動防衛力として、北海道の重装備を可能な範囲内で維持し、有事の際に西方へ展開させるという新しい防衛政策へ移行しました。

 第2後方支援連隊補給隊の3t半トラック燃料輸送車。ただ、この施策について疑問符が絶えないのは、有事の際にそこまで緊急展開を実施する事は出来るものなのかな、という素朴な疑問です。90式戦車は重く大きく日本の鉄道では輸送出来ません、火砲についても同様ですし装甲車両と支援車両については数が特に多い。

 90式戦車回収車。統合機動防衛力とはいっても、北方の脅威は減退しただけで日ロ間は平和条約未締結の状況、其処に新たに西方の脅威が顕在化した形で、むしろ本土並みの軽装備の旅団と北海道並の重装備の旅団を組み合せ、緊急展開も機動打撃も両立できる師団が必要なのかな、と。

 第2後方支援連隊衛生隊の1t半救急車と野外手術システム。高射特科大隊には87式自走高射機関砲、93式近距離地対空誘導弾、81式短距離地対空誘導弾が配備されています。大隊には本部管理中隊に対空レーダ装置及び低空レーダ装置が配備され、目標情報を戦術情報に置き換え高度な対空戦闘を展開可能としました。

 和田伸一大隊長先頭に第2高射特科大隊の観閲行進。特に87式自走高射機関砲はレーダー管制により二門の35mm機関砲を航空機に対し、対空警戒、目標識別と自動追尾及び射撃諸元計算の上で弾道計算し正確に迎撃する能力を付与され、戦車部隊に随伴し防空支援を展開可能です。第7師団と第2師団がのみ保有です。

 第2高射特科大隊の低空レーダ装置JTPS-P18、大隊は加えて対空レーダ装置JTPS-P14も持つ。96式多目的誘導弾システム、対舟艇対戦車中隊が誇る優秀装備で、ミサイルの光学センサーと光ファイバーによるTV画像誘導方式を採用した新世代の対戦車ミサイル、その利点は掩砲所等から見通し線外の目標を射撃できる点で、射程も大きく、もちろん威力も大きい。

 第2高射特科大隊の81式短距離地対空誘導弾C型。多目的誘導弾システムと呼称される所以は、一発当たり60kgと通常の対戦車ミサイルと比較し四倍程度の重量がある為、艦船に対しても有効な威力をもつためで、沿岸部から内陸部へ掩蔽陣地を構築し、そのまま揚陸艦の着上陸を直接撃破する事も可能となりました。

 第2高射特科大隊第3中隊の87式自走高射機関砲で戦車連隊の直掩防空にあたる。90式戦車、96式装輪装甲車、99式自走榴弾砲、96式多目的誘導弾システム、87式自走高射機関砲、これら優秀装備ですが、やはり取得費用が大きく、最も脅威を受ける地域へ重点的に装備されているのが実情です、そしてこれらを揃えるのが第2師団です。

 第2施設大隊の96式装輪装甲車で70式地雷原処理装置を積む。しかし、第2師団を支えているのは一人ひとりの隊員の使命感と努力が創り上げた団結の結晶であることを忘れてはなりません、いかに最新鋭の装備を揃えようとも、整備し運用するのは人間です、そして近接戦闘は確実に戦闘の犠牲者を伴う宿命が突き付けられます。

 第2施設大隊の07式機動支援橋。一人ひとりの隊員が使命感を持って所管する任務を完遂する努力の積み重ねが無ければ、装備を確実に稼働させ、火器がうけ持つ範囲では確実に責任を果たし、そして装備品の運用と戦術への絶え間ない努力と研鑽が体系化、装備と人員を一つの部隊としている訳で、この点を忘れてはなりません。

 第2施設大隊の92式地雷原処理車と91式戦車橋。これだけの部隊が所在する旭川、旭川市では自衛隊は市民の一員、旭川を代表して活躍する仲間たち、という応えが、実際に市内を散策し酒杯を交わした際の率直な反応でした、沖縄の米軍基地などを見ますと基地は反対、という印象がまあ強いものがありますが、ね。

 第2通信大隊が髙橋孝介大隊長中心に観閲行進。駐屯地も広い、式典前に待機車両の周りを散策しているだけですぐに式典開始の時間になってしまいそうなほどの広さでした、待機車両も車両一両一両が大型ですし、なによりも駐屯地が広い分、多くの車両を待機させる事が出来ますので、規模も大きくなってきます。

 第2通信大隊は連隊規模の4個中隊編成。広大な駐屯地の背景には、駐屯地に第2飛行隊が駐屯していますので、飛行場地区が用意されており此処が駐屯地の面積を大きくしている点も挙げられるのでしょう。なお、当方は勘違いしていまして、第2飛行隊は旭川空港のあたりに駐屯しているとばかり勘違い。

 第2通信大隊の電子戦中隊。飛行場地区は舗装されていない未舗装滑走路で、これはUH-1やOH-6等、舗装滑走路を必要としない回転翼航空機のみの運用を想定している為なのでしょうが、他方で、未舗装滑走路の奥に普通の空港のような管制塔が見えますと印象で野戦飛行場のようだなあ、と。

 師団司令部付隊の第2化学防護隊化学防護車と94式除染装置。旭川は明治時代から連綿と続く軍都となっています。駐屯地に隣接する護国神社からも当時が垣間見えるでしょう。明治時代に帝国陸軍は全国へ後の師団となる鎮台を配置、日本全土の防衛警備体制を確立させました、ここで北海道にも陸軍の部隊が置かれる事となる。

 師団司令部付隊の基幹連隊指揮統制システム構成車両。全国へは城址等を中心に鎮台が置かれたのですが、北海道は江戸時代での開拓が充分ではなく、城址も函館くらい、まず開拓を進めなければ師団を展開する必要な兵站などを確立する事が出来ません、そこで陸軍は鎮台に代え北海道には屯田兵本部を置いたわけです。

 師団司令部付隊の基幹連隊指揮統制システム構成車両。旧陸軍時代、まず、第7師団は札幌に屯田兵本部を設置、北海道北部の開拓と共に屯田兵本部は屯田兵司令部へ改編、1895年に屯田兵司令部が臨時師団へ改編され、その上で1901年に上川郡鷹栖村に師団本営を置く第7師団、即ち旭川第七師団へと改編されたわけです。

 特科の神様と呼ばれる南浩連隊長率いる第2特科連隊の観閲行進。北海道と云えば北海道庁は札幌に置かれていますが、陸軍第七師団が置かれた時代にはロシアの南下圧力が大きく、少しでも北方の旭川に師団を置かなければ、調査名目などで上陸され、部隊を駐留させ既成事実化されかねぬ、明治時代から防衛の最前線だった点を端的に示すもの。

 第2特科連隊の観閲行進、現連隊長は前田尚男1佐。旭川、北海道空の玄関、新千歳空港からは特急スーパーカムイにて直通していまして、一見千歳からは遠い印象がありますが実際足を運んでみますとスーパーカムイ運行本数が多く、便利です。近年は旭山動物園が全国的に有名となり道外からの観光客も増えています。

 第2特科連隊の観閲行進、乗車するのは82式指揮通信車。今日では第7師団といいますと東千歳なのですが、第7師団を旧陸軍時代まで遡れば元々は旭川でした。旭川市は747.66km2と広大な面積に人口34万5000名が生活する道北最大の、そして北海道内では札幌に続く都市です。ちなみに札幌の人口は170万名ですが、ね。

北大路機関:はるな くらま
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【日曜特集】第2師団創設63周年旭川駐屯地祭【1】北鎮師団は陸上防衛基準杭(2013-06-09)

2016-12-11 20:04:45 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■精鋭第2師団の師団創設記念祭
 日曜特集、陸上自衛隊特集は頼もしい北方の守り、自衛隊の基準杭と称される第2師団創設記念行事その模様を数回に分け、紹介してゆく事としましょう。

 第2戦車連隊の90式戦車。第2師団、陸上自衛隊最北の師団として冷戦時代から今日に至るまで最精鋭師団としてその名を轟かせています、自衛隊記念行事の紹介、今回から第2師団創設記念行事を紹介しましょう。ロシアを対岸に睨み、北海道北部の旭川市に師団司令部を置く第2師団です。

 赤レンガを思わせる師団司令部庁舎。旭川駐屯地、自衛隊最精鋭師団を自称する第2師団、最北の師団司令部が置かれる駐屯地という事で前から撮影してみたいと思っていました自衛隊行事ですが、そもそも北海道からして遠いのに、旭川は北海道空の玄関口である千歳空港からも、雰囲気からして遠い。

 師団司令部を掲げる駐屯地正門。旅客機で長躯足を運びます北海道ですが、近年は日本の航空事情も大きく変わりました。日本航空や全日空というフラッグシップエアラインの他に選択肢が増えましたことで、所謂フラッグシップエアラインも航空運賃を再考する機会となり、早割が凄くなったもの。

 式典待機位置の第2戦車連隊。自衛隊行事、北海道は一大観光地ですから、夏休みの季節やスキーシーズンとなりますと、それはもう旅客機は勿論、ホテルなどの確保も難しくなってしまう訳ですが、陸上自衛隊行事、特に師団旅団行事が集中する時期が五月下旬から六月上旬まで、其処まで混まない。

 第2戦車連隊と第2偵察隊の待機車両。撮影旅行計画を早めに確定する事で、北海道は随分近くなりました。一方、当方他に多くの、勿論格安にというものですが、自衛隊関連行事で日本列島狭しと飛び回る方が多く、北海道から九州沖縄まで、曰く、日本列島をどんどん狭くしている人たちがいるとのこと。

 式典へ待機整列開始。北鎮師団、第2師団は北海道北部の防衛警備任務へあたる関係上こう呼ばれています。北海道道北を防衛警備管区とする師団で、冷戦時代北海道はソ連に最も近く、更にソ連は北海道を仮に占領すれば、それは沿海州から自由に太平洋へ艦隊を展開させる事を意味する。

 第2特科連隊99式自走榴弾砲。日本は江戸後期と近代を通じロシアの南下の脅威へ曝されてきまして1904年には日露戦争へ発展、辛勝を果たすも順次大陸への緩衝地帯を構築し本土防衛を図る事となりましたが、第二次世界大戦後、冷戦という新秩序の成立は日本の防衛を大きく変ええることとなる。

 第2後方支援連隊の待機車列。ソ連から太平洋地域を防衛する、第二次世界大戦において敗戦を経た我が国は専守防衛を国是とし、特に専守防衛の国家基本方針の上で、国土を防衛する事により、その国土が国際公序の状況変更に利用される事を防衛力で防ぐという重責も、また突き付けられました。

 99式自走榴弾砲。北海道防衛はその点で重要であり、第2師団は、隷下に複数の警備管区を有し、名寄警備隊区に第3普通科連隊、旭川警備隊区に第2特科連隊、遠軽警備隊区に第25普通科連隊、留萌警備隊区に第26普通科連隊、上富良野警備隊区に第2戦車連隊を配置している訳です。

 式典会場へ前進する師団隷下要員。第2師団の隷下部隊は、第3普通科連隊、第25普通科連隊、第26普通科連隊、第2戦車連隊、第2偵察隊、第2対舟艇対戦車中隊、第2特科連隊、第2高射特科大隊、第2飛行隊、第2施設大隊、第2後方支援連隊、第2通信大隊、第2化学防護隊、第2音楽隊、と。

 師団長到着。師団は総合近代化師団と呼ばれ、打撃力を重視した約9000名の編成となっています、そして日本最北の師団は日本で最も酷寒の気象条件とともに峻険な地形にも囲まれ、加えて演習場環境も良好であり精鋭部隊を練成するには最高の環境にあると云われ、装備も新しい。

 師団長へ敬礼。基幹連隊指揮統制システムReCSを装備する師団でもあります。基幹連隊指揮統制システムReCSはデータリンクシステムであり、司令部に戦車や火砲と装甲車や部隊と補給拠点が全てネットワークでつながる装備で、第2師団はその実験担当部隊となっていました。

 友部薫師団長。機動打撃力の骨幹である戦車部隊は、戦車連隊を編成に維持しており、90式戦車や74式戦車をいち早く配備、第一線部隊として最新鋭の10式戦車を最初に配備受領したのもこの第2師団隷下の第2戦車連隊です。そして部隊もいち早くデータリンク能力を整備しました。

 師団長巡閲、現師団長は高田克樹陸将。90式戦車は戦車連隊の主力となっている新鋭装備で、三菱重工を中心として国産開発され、複合装甲による高い防御力と自動装填装置や目標自動追尾機能による高い攻撃力を、軽量な車体へまとめた我が国第3世代戦車の傑作で各国の戦車と比較し特筆できる高性能です。

 副師団長兼ねて旭川駐屯地司令。隷下普通科部隊は高度に機械化されており、機械化部隊としての戦闘に対応するべく全ての普通科連隊は96式装輪装甲車化中隊を隷下に置き、軽装甲機動車も装備しています、本土の師団旅団には96式装輪装甲車は限られ、唯一軽装甲機動車化中隊が配置されているのみ。

 観閲行進準備号令一下。96式装輪装甲車化された部隊は中央即応連隊や富士教導団普通科教導連隊等を除き、こうした中隊はありません。96式装輪装甲車を装備する事で戦車部隊が攻撃前進を展開する際に、戦車と随伴し普通科部隊は戦車を近接戦闘により常時支援する事が可能となりました。

 偵察隊の行進。特科連隊は99式自走榴弾砲により完全に充足しています、冷戦時代には75式自走榴弾砲がいち早く配備されていました、陸上自衛隊火砲は、自走装填による効力射の極限の短縮と火力指数の増強を重視した設計となっていますが、99式自走榴弾砲は更に進んでいます。

 第2偵察隊行進。99式自走榴弾砲は完全自動装填を実現、更に52口径155mm榴弾砲を採用し射程を40km以遠とすることにも成功しました。特科情報装置により目標を迅速に把握する能力のほか、GPS,補助用のジャイロ慣性航法装置を装備し、精密な標定等も高度に自動化しています。

 87式偵察警戒車。旭川、北海道北部という事で非常に遠く感じるのですが特急のおかげでかなり早く到着する事が出来ました。特急スーパーカムイ、シルバーに輝く車体と一段高い運転台は特急車両の気風充分の美しい車両です、この時期JR北海道の厳しい情勢が伝えられていた頃です。

 名寄第3普通科連隊。特急なんて贅沢だ、と思われる方は多いやもしれませんが、実は当方も節約志向とJR北海道ローカル線の旅を楽しみたく、千歳から旭川まで普通列車でノンビリ移動するつもりでした。しかし、新千歳空港駅にて旭川まで普通乗車券を購入しようとするとお得な情報を。

 96式装輪装甲車。JR北海道特急自由席往復割引きっぷ、特急の往復割引券で六日間有効なのですが、札幌と旭川の特急往復が5080円とのことで札幌まで往復で2140円なので合計7220円でした、一方、新千歳空港駅から旭川駅まで普通乗車券で往復しますと6760円、お得感が凄い。

 遠軽第25普通科連隊。北海道は広大で普通列車の速度もそれほど大きくありません、此処は時間を有効に使おうと考えれば特急列車を利用した方がいいのか、それとも北海道の風景を普通列車から満喫するか、迷っていたところですので特急往復が安ければ、心は揺れてしまいますよ、ね。

 第25普通科連隊第1中隊。新千歳空港駅から旭川駅まで普通列車を利用しますとエアポート快速と快速ライナーに普通列車を乗換え三時間半、対して特急スーパーカムイ利用の場合は約二時間で新千歳空港から旭川駅まで到達できる、という事で、特急を利用し快適に旭川まで行く事としました。

 連隊の87式対戦車誘導弾と81mm迫撃砲。特急中心のダイヤグラムが組まれているJR北海道、通勤列車の需要よりも観光需要の方が大きい、という事なのでしょうか。北海道は非常に広大でして、その上で人口密度は京阪神や首都圏とは比較にならないほどですので、普通列車には広大すぎるのかもしれません。

北大路機関:はるな くらま
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自衛隊観閲式【平成28年度自衛隊記念日総合予行】後篇:将来の陸上自衛隊を展望

2016-11-13 21:14:23 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■自衛隊観閲式二〇一六
 自衛隊観閲式、二回に分けて掲載する予定でしたが三回目、今回が最終回となります。

 中央観閲式、予行では装備品展示において16式機動戦闘車は展示されませんでした、元々観閲行進への参加は予定されていませんでしたが、装備品展示へ予定されていたものです。今年夏までは機動戦闘車と呼ばれていた車両が来年度予算概算要求に際して16式機動戦闘車という制式名称が初めて示された新装備、既に習志野や富士にて一般公開されています。

 16式機動戦闘車は毎年30両以上が調達されていまして現段階で約200両が残る74式戦車を次期中期防衛力整備計画までに代替されることとなります、今回の中央観閲式では74式戦車が遂に観閲行進に参加しませんでしたが、次の2019年中央観閲式には、機動連隊へ配備が完了し参加する事ができるのでしょうか、その頃には100両以上が配備されている。

 74式戦車の観閲式参加は、装備品展示で第1機甲教育隊の車両が参加していました、驚くのは掩体から射撃姿勢を採って展示されていたもので、5日間の陣地構築期間を採ったという。着上陸まで三週間あれば充分な防御陣地を構築できるという事ですが、地下に構築の掩砲所と主陣地に予備陣地と前哨陣地の構築を考えれば三週間という意味が理解できます。

 戦車と掩体という部分ですが、今回の陸上自衛隊中央観閲式は朝霞駐屯地朝霞訓練場へ陣地構築し、射撃陣地の様子を展示するという凝った趣向でした。なにしろ、74式戦車を筆頭にMINIMI分隊機銃に120mmRT重迫撃砲から果てはFH-70榴弾砲まで射撃陣地となる掩体へ配置され、MINIMI機銃に至っては天蓋も厳重に掩蔽されている力の入れよう。

 自衛隊はどのように海外任務が増えようとも、アメリカとの集団的自衛権行使の法整備が進もうとも、専守防衛の平和憲法の下、国土が敵に蹂躙されるまで平和的解決に努め、止むを得ず平和主義の看板を下げる瞬間は既に本土決戦という、国土と国民財産を危険に曝す徹底した平和主義、国民と一体となりこのように国土を要塞化する、という展示でした。

 ただ、陣地構築は全国に均一の連隊戦闘団を配置する基盤的防衛力があって初めて、着上陸の三週間前から防衛出動待機命令発令一下全土を防御陣地化し、決意を示す事ができます、が、統合機動防衛力として全国から部隊を緊急展開させる新しい防衛戦略への転換は、平時から陣地を維持する訳にはいかず、装甲機動部隊へ収斂してゆかねばなりません。

 本番でのストライカー装甲車の参加、陸上自衛隊は現在将来装輪装甲車を開発中ですが、先行して量産する96式装輪装甲車の改良型と16式機動戦闘車派生の装輪装甲車を開発する将来装甲車と二類型となる模様、ストライカーですが車体間データリンクと遠隔操作銃搭を採用した新世代の装甲車です、ただし、日本では車幅が道路運送車両法に引っかかる。

 ストライカーですが、2-2 ID 4-23IN、と表記されていたようです。 第2歩兵師団第2旅団の第23歩兵連隊第4大隊、という意味です、第23歩兵連隊は既に解体されていまして実質2個大隊が独立、しているのですが連隊旗と伝統呼称は捨てられずこの名称になっています 、在日米軍の車両ではなく在韓米軍の車両の自衛隊式典も初参加となりました。

 将来装輪装甲車はどの方向で開発されるかは未知数ですが、16式機動戦闘車の時点で道路運送車両法の車両限界を超えまして、基本的に平時の自走には法的制約が加わるという感覚を所轄警察署長と国土交通省への申請を迅速に行うという課題を抱えても、車幅を充分に採り戦闘車両としての能力を優先しました、人員輸送用装輪装甲車も同発想となるのか。

 自衛隊向きの装輪装甲車といいますと、陸軍のストライカー装甲車よりは海兵隊のLAV-25の方が車幅も2.5mに収まっていますので最適ではないかな、と思う次第ですが。ちなみにどちらもスイスのモワク社製ピラーニャ装輪装甲車で、LAV-25は初期型のピラーニャⅠ原型、ストライカー装甲車は改良型LAV-Ⅲが原型、現在の最新型はLAV-Ⅴとなっています。

 新装備の話題、今回の中央観閲式、輸送防護車等新装備の中で微妙に注目度が薄れましたが、新師団通信システム師団等指揮システムの構成車両、初参加の新装備で注目の装備といえるものでした、サーバ計算機室装置と中央処理装置、これで最前線でも戦術インターネットが可能となっています。制式化から三年後に参加という実情に則っていますね。他方訂正、対迫レーダーと思ったもの、よく見たらJTPN-P20着陸誘導装置でした、申し訳ない。

 次回の中央観閲式ですが、登場が期待される装備品の筆頭にAAV-7水陸機動装甲車でしょう。アメリカ海兵隊の車両が富士総合火力演習や前々回の中央観閲式装備品展示に参加していますが、既に佐世保の水陸機動団創設に向け九州では運用試験から部隊編成準備へ移行しています、調達数も52両と数の上で89式装甲戦闘車並の調達数が立てられています。

 三年後の中央観閲式ですが、陸上自衛隊では様々な新装備が完成している事でしょう、新多用途ヘリコプター然り火力戦闘車然りです。しかし最大の変革は、組織改編のほうで、三年後には既に朝霞駐屯地に新編の陸上総隊司令部が置かれ、座間駐屯地の中央即応集団改編や東部方面総監部と全国の方面隊に関する大きな変革が行われていることでしょう。

 三年に一度の中央観閲式、三年後の世界と我が国の情勢が見通す事が出来ないほど、我が国周辺情勢や欧州と中東を挟んだ米ロの対立、厳しいものはありますが、世界の平和、それが不可能ならば我が国だけでも平和である道筋を拓ける国を、現状では勿論一国平和主義と専守防衛は両立が難しいものではあるのですが、官民一致として創り上げたいものですね。

北大路機関:はるな くらま
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自衛隊観閲式【平成28年度自衛隊記念日総合予行】中篇:威風堂々の機械化部隊観閲行進

2016-10-29 22:24:10 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■森山東部方面総監へ敬礼
 平成28年度自衛隊記念日自衛隊観閲式総合予行、人員4000名と車両250両及び航空機50機の様子について。

 自衛隊観閲式の行進は続きます。自衛隊記念行事での観閲行進は東日本大震災以降中止となりました霞目飛行場での東北方面隊記念行事の観閲行進や、北海道最大の装甲機動部隊式典だる第7師団東千歳駐屯地祭、富士学校祭や九州最大という西部方面隊創設記念行事等が有名ですが、徒歩部隊の規模を含め、やはり自衛隊記念日観閲式の行進規模は大きい。

 国際派遣部隊は海外派遣に即応部隊で最新鋭の輸送防護車が参加、偵察部隊は87式偵察警戒車が偵察オートバイと共に、普通科部隊は強力な機関砲とミサイルを備えた89式装甲戦闘車や俊敏な96式装備車輪装甲車と機動力溢れる軽装甲機動車を先頭に各種ミサイルや迫撃砲も参加、即応予備自衛官部隊、予備自衛官部隊と災害派遣任務で名を挙げる部隊が。

 施設科部隊は92式地雷原処理車や施設作業者を先頭に架橋車両等も含め行進、通信科部隊からは今回初参加となる新師団通信システム構成車両が、化学科部隊からはNBC偵察車を中心に福島第一原発事故において活躍した車両部隊など、衛生科部隊からは1t半救急車と野外手術システム等の車両が、需品科部隊からは3t半トラック派生の工作車が行進です。

 情報科部隊は無人ヘリコプターシステムや地上監視レーダ装置など、西部方面普通科連隊からは上陸任務へ用いる複合高速艇が車載され参加し、航空自衛隊高射部隊からは弾道ミサイル防衛任務にて脚光を浴びるペトリオットミサイル、高射特科部隊より初参加の最新鋭11式短距離地帯空誘導弾や重厚な87式自走高射機関砲に03式中距離地対空誘導弾など。

 野戦特科部隊の参加は世界最高性能に並ぶ99式自走榴弾砲や全般支援火力に当たるMLRSと島嶼部防衛の切り札であり今回初参加となりました12式地対艦誘導弾システムが参加、戦車部隊は自衛隊観閲式の閉幕を飾る90式戦車と最新鋭10式戦車が参加しまして、本年は観閲行進に74式戦車が参加しない、戦車部隊の世代交代を印象付ける式典となりました。

 10式戦車の観閲行進準備号令を受けて一挙に急加速とともに機動する様子は、戦車とは思えないほどの迫力を今回も見せつけてくれまして、広帯域多用途無線機用アンテナ装備の車両と従来型のアンテナ装備の車両とで第1戦車大隊と富士教導団の車両なのだなあ、という印象もありますが、式典用に磨きあげられ文字通り輝いている様子が印象的でした。

 輸送防護車、今回が初参加となりましたが、宇都宮駐屯地祭や富士総合火力演習にて見る機会に恵まれまして、地雷など車体下部の爆発への脆弱性は低められたものの大柄の車体だということを実感します。ストライカー装甲車については初参加となりまして、先日の日米合同演習に参加した第2歩兵師団の防御力向上改良型車両が転用されたのでしょうか。

 87式自走高射機関砲の後継は将来的にどのようになるのか、機関砲は瞬発交戦能力が高くミサイル一辺倒への懐疑と共に、北海道へ限られた機甲部隊を集約する方針と共にその限られた戦車を防空掩護する車両の重要性はむしろ高まっています。また、この種の重厚な車両として、89式装甲戦闘車の後継も装軌式装甲車の意義は大きく、関心は尽きません。

 1t半救急車の観閲行進を眺めまして、毎回、救急車両への装甲車両を充当する必要性が戦場生存性などの面から指摘されているのですが、今回ふと考えさせられたのは1t半救急車が観閲行進に当たる前の国債揚力部隊観閲行進へ参加した輸送防護車で、車内容積が大きく一見して戦闘車両の風格を持たない輸送防護車を救急車へ転用できないかと思ったもの。

 OH-1観測ヘリコプターは予防着陸事案があり今回はOH-6観測ヘリコプターの参加となりましたが徐々に除籍が進むOH-6Dを見上げますと、OH-1観測ヘリコプターを少数調達で終了してしまい後継機種が難航している状況、師団飛行隊の重要航空機ですので、冷戦終結後であっても、当初計画通りOH-1を250機調達していればと思わずにはいられない。

 多用途ヘリコプターと対戦車ヘリコプターについては、AH-64D戦闘ヘリコプターの調達が中断したままであり当初計画通りの60機調達を再開する必要性を痛感しますし、空中機動の主力となるUH-60JA多用途ヘリコプターもUH-1Hを全て置き換える構想でしたが頓挫し、UH-1Jの調達を途中で終了させ後継機が開発中、何とも暗雲が漂うような印象です。

 しかし、中央観閲式総合予行を観覧し楽観できると巻いたのは隊員の優れた練度があれば、機材に関しては緊急調達すれば使いこなす事は充分できるだろう、という事でした。陸上防衛力の骨幹は人的資材に在り、防衛力は装備品ならば予算だけ積めば揃えることは容易ですが人材だけは時間と教育訓練の熱意と理解が必要です、その人材は揃っていいました。

 明治神宮外苑にて実施されていた時代では、これら車両はそのまま神宮外苑から朝霞駐屯地まで自走し市街パレードを行っていた訳です、交通状況の問題等はありますが、可能であれば多少困難でも警視庁の支援を受け、都心での中央観閲式を再開する必要性はあるように思います。防衛力の実力と国外からの軍事恫喝から平和主義を守る国家の手段を主権者に示す必要は大きいといえるでしょう。

北大路機関:はるな くらま
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自衛隊観閲式【平成28年度自衛隊記念日総合予行】前篇:人員4000名・車両250両・航空機50機

2016-10-23 22:32:23 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■平成28年度自衛隊観閲式
 本日、朝霞訓練場にて安倍内閣総理大臣を観閲官として、自衛隊観閲式が挙行されましたが、今回はその総合予行の様子をお伝えしましょう。

 平成28年度自衛隊記念日行事、自衛隊観閲式が東部方面総監部の置かれる埼玉県朝霞駐屯地朝霞訓練場において実施されました。自衛隊観閲式は中央観閲式として陸上自衛隊自衛隊記念日行事という位置づけにありましたが橋本内閣時代の1995年より陸海空自衛隊の持ち回り行事となり、中央観閲式も観艦式や航空観閲式と三年に一度の開催となりました。

 中央観閲式はNHKニュースを通じその様子が全国に報じられると共にWeb中継なども行われていますが、なかなか観る機会がありません。今回は御縁あって総合予行の方へお誘い頂き、二つ返事で馳せ参じました次第です。黎明とともに早朝の東京駅へ前進し更に東武東上線にて朝霞駅まで進出、その後、車両にて朝霞駐屯地まで前進、会場へ到達です。

 観閲式、それは国民の代表たる国家指導者が国軍を掌握し且つ高い練度を保持している事について、観閲を通じ示すと共に、防衛力とその国家方針が一致する事を世界へ広く示す国威発揚の重要な式典です。観閲式総合予行では観閲官に森山東部方面総監が当たりましたが、本日の観閲式では安倍総理大臣が観閲官を務め、式典参加部隊の敬礼を受けました。

 明治神宮外苑において、かつて自衛隊中央観閲隙は行われていまして、都心の神宮外苑から朝霞駐屯地まで式典参加車両が戻る様子を市街パレードとして広く国民に示していましたが、交通量増大などから田中内閣時代に朝霞訓練場を式典会場として、国民から自衛隊中央観閲式は遠く離れてしまいました、防衛の現状を示す手段は重要だ思うのですが、ね。

 式典へは、総合予行では観閲部隊指揮官に第1師団の師団長西陸将が当たると共に航空観閲部隊指揮案を第1ヘリコプター団長の田尻陸将補が当たり、参加部隊数27個部隊、式典参加部隊は陸海空及び共同機関より実に4000名、観閲行進への参加規模は陸上自衛隊を中心に航空自衛隊など280両、観閲飛行では陸海空自衛隊と航空機約50機となっています。

 会場は観閲台が設置され、観閲行進を行う中央通を中心にその左右にスタンド席、更に立ち席などが配置され式典を視る事が出来ます、式典会場には式典参加部隊に加え、観閲行進へ参加する車両が戦車装甲車に火砲と各種ミサイル、通信機材から施設機材までが一通り並び、広大な会場でも一杯、首都圏にこれだけの戦闘車両が並ぶことは中々ありません。

 式次第は、観閲官臨場として総合予行では東部方面総監と本番では内閣総理大臣が式典会場観閲台へ臨場、儀仗隊栄誉礼として第302保安中隊が総合予行では東部方面総監と本番では内閣総理大臣に対し栄誉礼を行います、開式の辞としましてここから自衛隊観閲式が開始されます、栄誉礼、国旗掲揚、と式典は続きまして、巡閲が観閲官により行われます。

 観閲官訓示は巡閲に続いて総合予行では東部方面総監と本番では内閣総理大臣が実施しました、観閲行進徒歩部隊が観閲行進準備の号令と共に開始されます、観閲飛行の大編隊は徒歩行進に続いて実施され朝霞訓練場からは高圧電線越しに大編隊が飛行する、観閲行進車両部隊による実施が続く、国旗降下が行われ観閲式はこうして完了、閉式の辞となる。

 徒歩部隊観閲行進は、自衛隊行事における徒歩行進として最大規模といえ、陸海空合同音楽隊、観閲部隊本部部隊、防衛大学校学生隊、防衛医科大学校学生隊、自衛隊高等工科学校生徒隊、普通科部隊、空挺部隊、海上自衛隊部隊、航空自衛隊部隊、女性自衛官部隊、と実施されます。防衛大学校学生隊は三年生が毎年自衛隊記念日行事へ参加するとのこと。

 航空部隊は、観閲飛行部隊指揮官機、観測ヘリコプター編隊、多用途ヘリコプター編隊、対戦車ヘリコプター編隊、多用途ヘリコプター編隊、戦闘ヘリコプター編隊、輸送ヘリコプター編隊、連絡偵察機編隊、哨戒機、訓練支援機、輸送機編隊、支援戦闘機編隊、戦闘機編隊、と行われます。本番では加えて新型輸送機や在日米軍可動翼機も参加しました。

 航空部隊の参加機種もCH-47輸送ヘリコプターにOH-6D観測ヘリコプターとUH-60JA多用途ヘリコプターにUH-1J多用途ヘリコプター、AH-1S対戦車ヘリコプターとAH-64D戦闘ヘリコプター、LR-2連絡偵察機とP-3C哨戒機にU-36A訓練支援機やC-130H輸送機、F-2戦闘機とF-15戦闘機、総合予行の参加機種だけでも実にこれだけ多種多様の陣容です。

 車両部隊行進は、国際派遣部隊、偵察部隊、普通科部隊、即応予備自衛官部隊、予備自衛官部隊、施設科部隊、通信科部隊、化学科部隊、衛生科部隊、需品科部隊、情報科部隊、西部方面普通科連隊、航空自衛隊高射部隊、高射特科部隊、野戦特科部隊、戦車部隊、が参加しました。更に本番では米軍よりストライカー装甲車部隊も総理の観閲を受けました。

 前回の中央観閲式は物凄い荒天行事となりまして、折角頂いた観覧券でしたが、カメラのレンズが濡れてしまい、充分な迫力の様子をお知らせできなかったのは少々残念でした、が、今年度自衛隊観閲式は晴天に恵まれ、式典総合予行の模様を待機車両から装備品展示まで撮影、なんでも第1師団の師団長西陸将は御天気運が強い方という事、納得しました。

北大路機関:はるな くらま
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