気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

2009年のオロロンラインの松浦武四郎の足跡旅 小平

2012-12-02 12:43:53 | 旅行
2009年9月北海道命名の聖地(再訪を含め、アップ済)を訪ねるべく、旅行計画を立てたのだが、宿泊の予約を取れた順に廻ったので、士別剣淵まで高速で北上し、名寄・士別。美深の武四郎の足跡を訪ねてから、留萌方面に進んだ。この年は、高速料金の大幅値下げという恩恵があり、ETC搭載と土日、祝日の条件のために、ETCは何ケ月待の状態であった。しかし、北海道の南端から、高速最果てまで1000円という嬉しい策だった。
 2009年9月20日(日)美深アイランド内のホテルを早朝出発、国道40号線から道道275号朱鞠内を通過して、新蕎麦を味わうために、幌加内へ寄り道した。
幌加内の香りのよい手打ちの新そばを味わう
美深峠と朱鞠内湖の側を通過
  
幌加内から和寒方面に出て、深川留萌高速(無料)に入り小平にある松浦武四郎の銅像と歌碑を訪ねた。そこは旧花田番屋や道の駅、郷土資料館があり、観光客で賑わっていた。
道の駅鰊番屋


トワイライトアーチ(左台座歌碑)、右に武四郎像) 
  
旧花田番屋全景と小平郷土資料館内部

  
 アーチの台座には武四郎がこの地で読んだ歌が刻まれている。旧花田番屋、天登雁村(旧村名)や小平・鬼鹿について武四郎の記録がある。彼の足跡を訪ねる旅の参考にしている、松浦武四郎著、秋葉實解読「丁巳東西蝦夷日誌 上」には、『扨ヲヒラシヘツえ行きたるに、閏五月十四日に見当たるを附置たるホロシリ(注釈ポロしり山731メートル)のことを渡し守の方にて尋ねしに、此川上サンケショマフと云処より堅雪の上五里計にて其山の麓え到るよし答えぬ。鬱蒼たる霧の中にちゃわんを伏せたる如く突出したり(丸山)。・・・・ヲニシカにて昼飯の仕度も有るよしに附、右を仕舞早々行けるに、凡七ッ(4時)前と思ふ頃に十一里半甘の道を晩くもまらで、トママイ(苫前)運上屋えぞ着きしぬ。』
 また、松浦武四郎著、吉田恒彦編の「蝦夷日誌下」の西蝦夷日誌では天登雁についてテムトカリ(天登雁)(平磯)。ムは小さき義、上に烽火台有。・・・ポンニトマリ(小澗)、従是奥の方平地多く、畑地頗る宜敷、出稼ぎも近く盛んになりたり。ポンオニシカ(鬼鹿)(小川、夷人家あり、番屋一棟。板蔵、茅蔵、辨天社、備米蔵、従運場や・・・旅宿所に成也。名義、昔雷が雲より落としと云う、また本命はヲニシポツと云うよし。オニシは雲、ポツは破る也(地名解)過ぎてシュトマリ(小岬)、廻りてポロヲニシカ、大いなるヲニシカの義。此邊出稼ぎ多く人たり。「名にも似ず すがたやさしき女郎花 なまめき立てる おにしかの里」と書かれている。・・・この蝦夷日誌にある歌がトワイライトアーチの台座に刻まれているのでした。
この日は小平の民宿に宿泊。翌朝(9月21日)近くにある鬼鹿厳島神社を参拝。留萌・増毛・雄冬へとオロロンラインを南下する。