函館に縁のあるフォートジャーナリストで「ホスピスへの遠い道」の著者でもある岡村昭彦は若いころ(24歳)渡島当別の修道院に客室係りとして住んでいた。
彼のことは「シャッター以前VOl4号」の特集「21世紀の看護を考える①」の中で、「ホスピスを考える」という季羽倭文子氏の対談の掲載記事中に『クリスチャンの母親の手づるで北海道のトラピストを勧められ、世界中から来る神父さんのお世話をしながら、キリスト教についての書物を読んでいた。』ということが書かれている。修道院敷地内には岡村昭彦の碑はないが、ここでの影響は大きいと私は思っている。
また、修道院の文学講師に招かれた三木露風の歌碑や旧居跡などがある。
三木露風は1920~1924年まで修道院で講師を務め、多くの人々の指導にあたり、彼の作品で最も有名な「赤とんぼや野ばら」はこの地で書かれた・・・と手書きで書いてある。
トラピストへの並木道(ローマへの道」と言われ木柱がある。
歌碑のある道はルルド洞窟への道にある。私が小学校や、中学校の頃の遠足ではルルドの洞窟は現在の地よりも、もう少し奥まったところ「当別丸山登山口」の先にあったが崩壊が進み、現在地に移っている。
三木露風の歌碑「えぞちの野薔薇」
作詞 タルシス修道士
校正 三木 露風
作曲 山田 耕作
『野ばら野ばら 蝦夷地の野ばら 人こそ知あね あふれ咲く芑も うるわし野ばら』
手書きの歌碑が何とも親しみを感じる・・・
三木露風の詩「山鳥の声」
『梅雨 霽れの青き 野に鳥が鳴く 日暮むとす 山鳩の声 幽かに 遥かに遠し』
小高い所に洞窟があるが、階段を登りきると右手に三木露風の
『ルルドなる聖母の像のほとりなる 樹木に蝉のなく時も過ぎけり』がある。
同じ説明版に小山羽水の詩
『ルルド像に詣でてあれば小みつなる 山路の茂り祈りゆくはも』
ルルド洞窟と聖母マリア像
三木露風の説明版と修道院売店とカトリック当別教会
売店ではアイスクリームた限定のトラピスト飴など・・・純粋の美味しさか・・・
『明治22年、兵庫県に生れ、早稲田大学や慶応大学に学び、大正9年から13年までトラピスト修道院で文学講師として4年間居住していた。その間、大正11年、キリストの復活祭に夫人と受洗した。
昭和39年東京都三鷹市で交通事故に遭い、同年29日死去、カトリック吉祥寺教会で葬儀をした』
売店の前の坂道を少し歩くと、「旧居跡」の木碑がある。(木碑の右上には赤とんぼが止まっている。
此の地には北原白秋が大正4年友人である三木露風の旧居を訪れていることも書かれていた。
駐車場の奥にある露風の歌碑
彼のことは「シャッター以前VOl4号」の特集「21世紀の看護を考える①」の中で、「ホスピスを考える」という季羽倭文子氏の対談の掲載記事中に『クリスチャンの母親の手づるで北海道のトラピストを勧められ、世界中から来る神父さんのお世話をしながら、キリスト教についての書物を読んでいた。』ということが書かれている。修道院敷地内には岡村昭彦の碑はないが、ここでの影響は大きいと私は思っている。
また、修道院の文学講師に招かれた三木露風の歌碑や旧居跡などがある。
三木露風は1920~1924年まで修道院で講師を務め、多くの人々の指導にあたり、彼の作品で最も有名な「赤とんぼや野ばら」はこの地で書かれた・・・と手書きで書いてある。
トラピストへの並木道(ローマへの道」と言われ木柱がある。
歌碑のある道はルルド洞窟への道にある。私が小学校や、中学校の頃の遠足ではルルドの洞窟は現在の地よりも、もう少し奥まったところ「当別丸山登山口」の先にあったが崩壊が進み、現在地に移っている。
三木露風の歌碑「えぞちの野薔薇」
作詞 タルシス修道士
校正 三木 露風
作曲 山田 耕作
『野ばら野ばら 蝦夷地の野ばら 人こそ知あね あふれ咲く芑も うるわし野ばら』
手書きの歌碑が何とも親しみを感じる・・・
三木露風の詩「山鳥の声」
『梅雨 霽れの青き 野に鳥が鳴く 日暮むとす 山鳩の声 幽かに 遥かに遠し』
小高い所に洞窟があるが、階段を登りきると右手に三木露風の
『ルルドなる聖母の像のほとりなる 樹木に蝉のなく時も過ぎけり』がある。
同じ説明版に小山羽水の詩
『ルルド像に詣でてあれば小みつなる 山路の茂り祈りゆくはも』
ルルド洞窟と聖母マリア像
三木露風の説明版と修道院売店とカトリック当別教会
売店ではアイスクリームた限定のトラピスト飴など・・・純粋の美味しさか・・・
『明治22年、兵庫県に生れ、早稲田大学や慶応大学に学び、大正9年から13年までトラピスト修道院で文学講師として4年間居住していた。その間、大正11年、キリストの復活祭に夫人と受洗した。
昭和39年東京都三鷹市で交通事故に遭い、同年29日死去、カトリック吉祥寺教会で葬儀をした』
売店の前の坂道を少し歩くと、「旧居跡」の木碑がある。(木碑の右上には赤とんぼが止まっている。
此の地には北原白秋が大正4年友人である三木露風の旧居を訪れていることも書かれていた。
駐車場の奥にある露風の歌碑