杉の植林もなく、手付かずの山は何百年と続く広葉樹が生まれては朽ちて行く 適度な斜面に体積した腐葉土の中、本来の自然の姿に見事な群生、人が入るような道もなく この状態が続くよう願うばかりです。
団扇のような葉は下に影を作り雑草の発生を妨げています。
1つの株に2つの花が咲く素晴らしい自然です。
写真を撮ってきてPCで再生しているうちに、何か自分がこんな場所に入って良かったのか疑問を感じてきました。
我々のような写真好きや登山者は、まず入ることはないと思われますが一番気になるのは開発と山菜採りの人たちです。
このごろ山に入ると多くの山菜採りの人を見かけます。地元の人や山の持ち主に聞くと、過疎化が進むそれぞれの田舎には、昔からその地だけで使われている方言があるそうです。その方言で挨拶するだけですぐ分かるそうです。また、僕は大きなカメラを持って歩き回っておりますので、向こうからやたら愛想良く言葉をかけてくる人もいます。他所から来て、自分や隣近所くらいなら袋に1つか2つですが『商売にすんじゃないか?』と思うくらい採っている人たちも見かけるようになってきました。
過疎の進む集落には、お小遣い稼ぎや町に出て行った子供たちにと 楽しみで自分の山で栽培している人も多く、それを盗られガッカリしておられる人の話も直接聞きます。また盗りすぎたのか道に捨てられた山菜も見かけるそうです。
こういったことが続くと、そのうち問題になってくるんじゃないかな?
現在の開発は昔と違って自然保護も含まれており、地元の要請などを元に移動可能な場合はそのように行われるようになってきていると聞いております。道路などの建設はそこに暮らす人々には必要な事業で、それを造ることによって地域の経済効果は、もろ刃の刃として認識しておれば日本人は規制可能だと思います。
僕がやってることもそうだけど、だいたい登山なんて自然破壊と紙一重ですからね。