生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼シリーズ(136)ジャポニズム入門  

2019年10月03日 18時54分27秒 | メタエンジニアの眼
『ジャポニズム入門』 [2000] 

著者;高階秀爾 発行所;思文閣出版
発行日;2000.11.15
引用先;文化の文明化のプロセス Converging

このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。



ジャポニズム学会が編集した10名の記述があるが、冒頭の高階秀爾氏の文章のみを引用する。なぜならば、意外な事実を知らされ、さすがだと感心したからなのです。
 
冒頭の4行が目を引いた。「ジャポニズム」は一般的な言葉だと思っていたのだが、広辞苑の第3版(1983)には載っていない。第4版(1993)でようやく載せられた。そこには、意外な解説が付けられている。
 
『かつては「ジャポネズリー」という言い方が好まれた。 一九世紀後半、日本趣味が盛んであった時代は特にそうである。事実、「ジャポネズリー」と言えば、一八世紀ロココの時代に中国の風俗、工芸、装飾モティーフなどへの噌好が「シノワズニムス」と呼はれたように、異国の珍しいものへの関心を特に強調するニュアンスが強い。 それに対し、「ジャポニズム」と言う時には、むろんそこにエキゾティスムの要素が大きな部分を占めているとしても、それのみにとどまらず、 そこにみられる造形原理、新しい素材や技法、その背後にある美学または美意識、さらには生活様式や世界観をも含む広い範囲にわたる日本への関心、および日本からの影響が問題とされる。』(pp.3)

 二つの言葉の違いが明確に語られている。例えば、ゴッホが広重の絵を油絵で模写したのは、「ジャポネズリー」で、その後に強烈な原色表現を使うようになったのは、「ジャポニズム」というわけなのだ。

 フランス人の美術評論家の発言が引用されている。

 『作品の源泉をどうしても知りたいというのなら、そのひとつとして、昔の日本人たちと結びつけてほしい。 彼らの稀に見る洗練された趣味は、いつも私を魅了して来た。影によって存在を、断片によって全体を暗示するその美学は、私の心にかなうものであった。』(pp.4)
 つまり、単なる日本趣味ではなく、もっと基本的な美学の問題としている。異国趣味の一種ではなく、造形原理、構造様式、価値観の新たな分野で、日本とは全く関係のない分野や主題にも用いられるようになった、ということなのだった。

そこから、『マネの平面化への志向、ゴッホの強烈な色彩、ゴーガンの色面構成、トウールーズ・ロートレックの奔放流麗なデッサン』(pp.7)などが生まれてきたというわけだ。

モネの晩年の睡蓮の絵を見て思ったことは、「目が見えにくくなったためにこのようになった」と感じていたのだが、それは間違えだった。それは、次の言葉で表されている。

『例えば画面構成について言えば、人物像にしても、樹木やその他さまざまの対象にしても、その全体像を示さず、画面の縁でモティーフを切って 一部分だけを見せるという遣り方を好んで用いる。つまり画面の世界はそれだけで完結せずさらに画面の外にも広がっているということが暗示される。モネが「影によって存在を、部分によって全体を暗示する」と述べたのは、まさにそのことに他ならない。』(pp.7)

人物画が主流だった西洋画で突然風景画が盛んになったのも、日本的な自然観が影響しているようだ。また、「 用の美」すなわち「生活の中の美」も開国時代にもたらされた大量の日本製の陶磁器、漆器、木工・金工の家具や調度品。それらはすべて日本の日常生活で使われるものなのだが、これらのモノは「西欧の人びとに新たな価値の体系をもたらした」とある。
『日本では生活用具と芸術の間に境界線がなく、生活そのものが芸術化されていることへの驚きである。』(pp.10)

最後に、当時のフランス人記者の記事が紹介されている。
 『この民族(日本民族)の趣味について述べるならば、それは芸術作品が示しているのと全く同じものが芸術以外の面でも認められると言える。すなわち何よりも実用的で実際の役に立つということをまず目指しながら、その実用的な形態にきわめて自然に、ほとんど直感的に、豊かな驚きと楽しさに満ちた巧妙な装飾がつけ加えられているのである。』(pp.10)

ここ数年の外国人観光客の増加も、異国趣味の「ジャポネズリー」ではなく、「新ジャポニズム」に発展してもらいたいと思ってしまう。              その場考学半老人 妄言


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