書籍名;「文明としての徳川日本」 [2017]
著者;芳賀 徹 発行所;筑摩書房
発行日;2017.9.15
初回作成日;R2.9.20 最終改定日;
引用先;文化の文明化のプロセス Implementing
このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
著者は、比較文化論の著名人。江戸文化という言葉はよく聞くのだが、徳川文明という言葉は聞いたことが無かった。
しかし、「優れた文化が、他の文化を取り入れながら、合理性と普遍性を持つようになり文明になる」と考えると、江戸時代は、まさに徳川文明と云えそうである。
目次には、「洛中洛外図屏風」に始まって、多くの絵画の名前が並んでいる。絵画から文明を見出だそうという発想に見える。
「プロローグ」が10頁近く続いている。英語圏の日本研究では、Tokugawa Japanという呼称が定着しているという。この呼び方を受け入れると、『少なくとも徳川日本に関する従来の二つの迷妄から脱することができるように思う。』(pp.11)とある。「二つの迷妄」とは、
① 歌舞伎、浮世絵、花魁などの言葉で、せっかくの文明の豊麗さを狭く小さくしている
② 封建社会と見下して、暗黒時代の印象を与えている。とくに、「夜明け前」のイメージが広がってしまった
の二つ。確かに、島崎藤村の小説の印象は強い。教科書にも何度も引用されている。私は「夜明け前」という名前の日本酒が大好きだ。(これも、一つの文化)
江戸時代の265年間は、世界史上稀な、いち政治体制がはっきりと初めと終わりをもった「尾頭付き」の文明体に他ならない。(pp.16)
文明としての要素を挙げてみると、確かに文明と呼ばれても遜色がない。
・教育水準の高さ
・実学的合理思想の発展
・内戦、対外戦争、宗教争いが無い
・様々な文化が発展した
著者は、そのことを二つの「洛中洛外図屏風」を詳細に研究することから見出だした。上杉本に書かれた2485人と、その約40年後に書かれた舟木本の2728人の公家、武家、宗教者、職人、商人、農夫,漁師、巡礼、聖、役者、遊女、、乞食の服装、表情、仕草から読み取ったのだ。
『上杉本の右隻第四扇では、室町通を東にちょっと入った路地で、駕寵から下りた母親らしい女が医者の竹田法印の家の築地塀の横に向かって子供におしっこをさせている。』(pp.33)とか、
『このコックスらしき西洋人は、もう一人の従者に黒い大きな洋犬を赤い綱で連れさせているし、コックスの横につきそう帽子の少年も茶色の小さめの犬を曳いている。黒犬が「京都の夏は暑いな」とばかりに赤い舌を出して瑞いでいる』(pp.34)といった具合である。ちなみに、コックスとは平戸のイギリス商館長で、1616年に京都見物をした記録が残されている。
平安時代からの伝統的なやまと絵にある、月次絵と名所絵(つまり、あらゆるところの四季の景色と風俗)は、その時代の文化を的確に表している。そこから読み解ける江戸時代の文化は、まさに文明の域に達している。
著者;芳賀 徹 発行所;筑摩書房
発行日;2017.9.15
初回作成日;R2.9.20 最終改定日;
引用先;文化の文明化のプロセス Implementing
このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。
著者は、比較文化論の著名人。江戸文化という言葉はよく聞くのだが、徳川文明という言葉は聞いたことが無かった。
しかし、「優れた文化が、他の文化を取り入れながら、合理性と普遍性を持つようになり文明になる」と考えると、江戸時代は、まさに徳川文明と云えそうである。
目次には、「洛中洛外図屏風」に始まって、多くの絵画の名前が並んでいる。絵画から文明を見出だそうという発想に見える。
「プロローグ」が10頁近く続いている。英語圏の日本研究では、Tokugawa Japanという呼称が定着しているという。この呼び方を受け入れると、『少なくとも徳川日本に関する従来の二つの迷妄から脱することができるように思う。』(pp.11)とある。「二つの迷妄」とは、
① 歌舞伎、浮世絵、花魁などの言葉で、せっかくの文明の豊麗さを狭く小さくしている
② 封建社会と見下して、暗黒時代の印象を与えている。とくに、「夜明け前」のイメージが広がってしまった
の二つ。確かに、島崎藤村の小説の印象は強い。教科書にも何度も引用されている。私は「夜明け前」という名前の日本酒が大好きだ。(これも、一つの文化)
江戸時代の265年間は、世界史上稀な、いち政治体制がはっきりと初めと終わりをもった「尾頭付き」の文明体に他ならない。(pp.16)
文明としての要素を挙げてみると、確かに文明と呼ばれても遜色がない。
・教育水準の高さ
・実学的合理思想の発展
・内戦、対外戦争、宗教争いが無い
・様々な文化が発展した
著者は、そのことを二つの「洛中洛外図屏風」を詳細に研究することから見出だした。上杉本に書かれた2485人と、その約40年後に書かれた舟木本の2728人の公家、武家、宗教者、職人、商人、農夫,漁師、巡礼、聖、役者、遊女、、乞食の服装、表情、仕草から読み取ったのだ。
『上杉本の右隻第四扇では、室町通を東にちょっと入った路地で、駕寵から下りた母親らしい女が医者の竹田法印の家の築地塀の横に向かって子供におしっこをさせている。』(pp.33)とか、
『このコックスらしき西洋人は、もう一人の従者に黒い大きな洋犬を赤い綱で連れさせているし、コックスの横につきそう帽子の少年も茶色の小さめの犬を曳いている。黒犬が「京都の夏は暑いな」とばかりに赤い舌を出して瑞いでいる』(pp.34)といった具合である。ちなみに、コックスとは平戸のイギリス商館長で、1616年に京都見物をした記録が残されている。
平安時代からの伝統的なやまと絵にある、月次絵と名所絵(つまり、あらゆるところの四季の景色と風俗)は、その時代の文化を的確に表している。そこから読み解ける江戸時代の文化は、まさに文明の域に達している。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます