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その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼シリーズ(72)「アングロサクソンと日本人」(その2)

2018年08月05日 14時47分51秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(72)                    
TITLE: 「アングロサクソンと日本人」(その2)

書籍名;「アングロサクソンと日本人」 [1987] 
著者; 渡部昇一 発行所;新潮新書
発行日;1987.2.20
初回作成年月日;H30.8.1 最終改定日;H30.8.5 
引用先;文化の文明化のプロセス Implementing

このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。




本の帯には、著者の言葉として次のことが書かれている。
『イギリス人はドイツ人であり、木の家に住み、先祖神をまつり、神木をあがめ、死んでも生まれかわって子孫に出てくると信じているーーーと言ったら阿呆と言われるだろう。しかし日本に仏教が渡来する頃までのイギリス人はそんなものだったと知った時の驚きは、30年後の今も続いている。 ではどうして今ではお互にこんなに違ってしまったのだろうか。』

イギリス人を元のゲルマン人だとして、日本人との共通性をさらに探ってゆく。

・漢字もはじめは発音記号だった。

 『日本語における発音記号としての 漢字
何故、こういうことがいえるのか。たとえば『日本書紀』は、本当は、これは完全に漢文で書いてある。これは当時の中国や朝鮮に向って「わが国にもこんなに立派な歴史がある」ということを示すために書いたわけだから、堂々たる漢文で書いてある。しかし日本の国々の名前、土地の名前、神様の名前が出てくると、漢字をすぐに発音記号として使う。特に重要なことは和歌―長歌でも短歌でも―が出てくるとすぐに漢文でなくなる。漢字は要するに発音記号としてしか使われない。漢字を発音記号としてしか使えない言葉が日本にはたくさんあった。このことは何を示すかといえば、大和言葉という意識がきわめて鮮明、明瞭に当時の人たちの頭の中にあったからだと考えられる。』(pp.70)というわけである。云われてみるともっともまことなのだ。

つまり、日本人は「漢字」を発音記号としても、表意文字としても使った。いわゆる日本独特のハイブリッド指向だった。
この項では、「大和言葉」と「漢語」を明確に区別をしている。和歌には伝統的に大和言葉しか使われなかった。万葉集の中でも、たった2語、「菊」と「衛士」だけだそうだ。明治以降に漢語が使われ始めたが、現在でも、天皇・皇后の歌には「漢語」は使われていないという。

・日本語が消
えた


 イギリスでは、1066年のノルマン・コクェスト以来1362年まで、英語が完全に地下に潜り、公式の場ではフランス語しか使われない時期があった。その事情は、日本にもあてはまるという。

『「万葉集」以後百三 四+年間、日本語 の勅撰集が出ない
「万葉集」が出てから、百年以上もの間、文学史に残るような日本語で書かれたものが何も出ない。たしかに百三、四十年間、何も出なかった。その間に勅撰集が出たが、それは漢詩の勅撰集であった。普通“勅撰集”というと、和歌の勅撰集を考える。日本の勅撰集としては和歌のほうが早く出たろうと思うわけであるが、本当は日本では漢詩の勅撰集のほうがずっと早く、それが何冊か出てから、初めて『古今集』が出た。
文学史上、われわれはなんとなく気がつかないで、単純に「万葉集」の次は「古今集」といっ てしまいがちだが、ドナルド・キーン氏のような外国人はさすがに、こんなところに一番鋭く気 がつく。彼らは“日本文学が消えた”というようなことをよく指摘する。それは、彼らにすると、 英文学のほうからの連想が働くのではないかと思う。』(pp.73)

 しかし、ここで「日本とイギリスにおける国語の消え方の違い」が強調されている。確かに、文学としてはある期間消えたのだが、日本は王室が変わらなかったので、宮廷内の言葉はすべて大和言葉のままだった、というわけである。

 また、この消えた大和言葉の和歌を復活させたのは、菅原道真だそうだ。
『菅原道真が天神様として広く国民的崇敬を集めた理由のーつは国語を復興させてくれた人、もう一度和歌の世界をつくり出してくれた人ということがあったのではないだろうか。和歌というのは大和言葉であるから、これを覚えるには別に教養はいらない。学間はいっさいいらない。お母さんの膝の上で覚えたような単語を並べても名歌はできうるのであって、漢字をうまく使ったから偉いということはない。ところが漢詩であると、教養が徹底的にものをいって、学問がないと全く手が出ない。道真は、和歌には学問を必要としないという文学的伝統を復活させてくれた人だった。』(pp.76)
 このことは、和歌の世界では常識かもしれないが、面白い事実だと思う。それにしても、昔の「校歌」はいずれも漢語だらけのようだ。

・排他的、能力無視の農耕型民族

 ここでは、彼独特の歯に衣着せぬ表現が続いている。

『日本の社会自体が非常に農耕的だということである。農耕社会というのは元来が排他的で、耕す者が増えれば土地が減るという風に、よそ者をきらうことに関しては、それは大変なものである。年輩の方々の中には、戦争中疎開して非常に不愉快な思いをされた方がたくさんいると思うが、よそ者には不愉快な思いをさせる。今でも帰国子女などは、外国から帰ると、同じ日本人なのにひどく嫌な思いをさせられることが多いようである。』(pp.93)
 理由は、ただ不愉快なだけなのだそうだ。

『つぎに農業というのは、能力を必要としないのを建て前としている。もっと正確に言えば能力があってもなくても大して変わらないという建て前である。しかも、土にすがりついていれば安全だという、安心感がある。騎馬型のほうは、土の上に安心感がない。有能なリーダーについて いない限りはいつ殺されるかわからない、いつ滅びるかわからないという不安感がある。ところが農業は、土を耕していればなんとか食べていける。』(pp.94)
 このような基本的な文化は、現代社会でもそこここに見ることができる。農耕社会は、これからの真のグローバル社会でも、決して悪いことではないのだが、「農耕社会というのは元来が排他的」という面は、どのように改善されるのであろうか。車を運転していると、日本式の住居表示や、町中の道路案内板を見るたびに、そのことを思ってしまう。その点、イギリス人はうまく変身した。

このことに関連して、もう一冊の本を覗いてみた。                                                          
                                                                  書籍名;「文明の余韻」 [1990] 
著者; 渡部昇一 発行所;大修館書店
発行日;1990.6.15

 この書は、「渡部昇一エッセイ集」とある。月刊「英語教育」という雑誌に200以上投稿した中からの選集らしい。その中に、日本と英国の文字の歴史を比較した面白い文章があった。

・三層の語彙

 『英語の国際語としての地位は揺るぎないもののように見える。それで今日の英語を見る人は、英語は昔から今のように有カな言語であったかの如く錯覚しやすい。しかし実際のところ、英国は西ョーロツ パにおける後進国と見られていたのであり、その言葉もむしろ侮蔑の目で見られていた。イタリァ人や フランス人のような「先進国」の人たちがそう思っていただけではなく、イギリス人自身がそう思って たのである。』(pp.300)
 で始まる3ページばかりの短文であった。

 事情はこうであった。16世紀のイギリスのことだ。
『チヨーサーの頃にすでにイタリアにはボッカチオやペトラルカがいたのだ。その後、ラテン語古典文学やギリシァ語古典文学のほとんど全部が十五世紀中に出版されている。一方、イギリスはと言えば、バラ戦争で学芸の支授層を失い、一般に不振である。イギリスの古典学者はギリシャ語やラテン語の豊かさに圧倒され、自分たちの母国語である英語の貧しさを嘆いた。それで真剣に英語の単語を増やそうと努力した。借用によってヴォキャブラリを増大するということ は、英語にどしどし古典語を混入することである。このようにしたおかげで、一五六〇年頃になると、「英語も豊かになった」という実感がイギリス人の物書きの間に生じた。 シェイクスピアが生まれたのは正にこの時期であったことを忘れてはなるまい。』(pp.300)

シェイクスピアの名声は、その時代背景によっても大いに恩恵を受けたようである。

 つまり、現代英語は三層構造になっている。第1層はアングロ・サクソン語で、第2層はノーマン・コンクエスト時に導入されたフランス語系の語、第3層は古典語系となっているというわけだ。
 日本には、大和言葉と漢語と外来語がある。そこを対比して、次のような例を挙げている。

『具体的な例で言ってみよう。ゲルマン系(アングロ・サクソン系)の単語でtime は、フランス系ではage であり、古典語系ではepoch である。これは日本語の場合、大和言葉系では「とき」と言い、漢語では「時間」といいヨーロッパ語系では「タイム」というのに相当すると言えるであろう。その順序で古いのである。そして特に、最新の層の語葉が入る時には知識層からも批判があり、そのため辞書も出てきた。』(pp.301)

日本でも、現代用語辞典などは、外来語の羅列になっている。面白いところに日本とイギリスの文化には共通性が潜んでいる。日本は、ユーラシア大陸の東の果てで、イギリスが西の果て、どちらも辺境の島国なのだ。



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