生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼シリーズ(132)「多文化世界」 

2019年07月29日 13時14分15秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(132) 
          
TITLE:  「多文化世界」             
書籍名;『多文化世界』 [2003] 
著者;青木 保 発行所;岩波書店、岩波新書
発行日;2003.6.20
引用先;文化の文明化のプロセス Converging、



このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です

 著者は、以前に同じ岩波新書から「異文化理解」という本を発行している。新たな著書の発行のいきさつについては、次のように述べている。
 『私が前著『異文化理解』を出したあと一続けていま新しく『多文化世界』という本を世に問いたいと思った背景には、こうした世界の加速する動きがあります。この二年間で世界が示した「亀裂」を深く受け止め、これが二一世紀の人間の生き方あるいは生きる方向に対してどういう影響を持つのか、あるいは私たちは、どういう名目であれ人間を殺戮し文化を抑圧するような「野蛮な世界」から、どうやって抜け出せるかということが、非常に大きな問題として自分の中に出てきました。『異文化理解』で展開した世界の次の段階の問題として、『多文化世界』というものを考えるに至ったのです。』(pp.26) 

 1990年代の世界の変化について、文化的な見地から次の様に述べている。
『九〇年代初めにソビエト体制が崩壊しますと、イスラム系の民族を有する五つの国が独立しました。その結果として、中央アジアにはウズベキスタン、カザフスタンなど前記五カ国があることが明確になり、いまではこうした国々もアジアの範囲として数えないとアジア全体がよくわからないようになっています。たとえば、政治的にも、アフガニスタンでの作戦のときにアメリカがキルギスに基地を設営したことによって、キルギスは一挙に世界政治の舞台に現れました。
こうした国たには、明らかにロシアの文化とも、中国の文化とも違う文化を持っている人たちがいることがわかりました。しかも、歴史的にはアフガニスタンやインド、中国ともいろいろな形で接触を持ってきた地域であり、日本にとってはシルクロードを通って正倉院の御物にいたる文化を伝えてきた地域でもあったわけです。』(pp.8)

 つまり、21世紀は文化の多様化の時代であるべきなのに、グローバル化の流れの下では、むしろ一様化、画一化の方向に流されている。
 『文化の多様性と二一世紀
すなわち、世界を同じシステムにしようとするグローバル化の流れの中で明らかになってきたことは、「文化の多様性」の認識であるかと思います。人間の世界は、表面的には科学技術の発達を共有することによる共通化あるいは一様化という現象が加速されてきたように見えますが、同時に「文化の多様性」もまた根強く存在するということが云えるでしょう。グローバル化が進めば進むほど、文化の違い、価値の違い、生き方の違い、それぞれが目標とするものの違いも明らかになってきました。』(pp.25)

 さらに続けて、 
『本当に「文化の多様性」の擁護に敵対するものは、グローバル化による―元化・画一化であり、それによって生じる、人間と社会の個性の喪失、創造性の抑圧、個人の埋没を防がなくてはなりません。
政治的・経済的・宗教的な全体主義が世界を覆い、私たちの生きる社会を乾燥した無機質なものにしてしまうことがあってはならないと考えるのです。』8pp.26)

 「文化の多様性の擁護」については、国連ユネスコでも、G7の会合でもたびたび話題になっているのだが、一方では多くの民族や言語が消えてゆく。しかし、もっと深く人類の歴史を考えれば、純粋な民族も、純粋な文化も存在しない。

 『ただ、この際に注意したいことは、文化を考える場合、地球上のどこの文化でも「純粋な文化」は存在しない、ということです。グローバル化のなかで、反グローバリズムとしてナショナリズムが、日本も含めアジァア諸国やョーロッパでも高まっていたり、アメリカでも宗教原理主義のような形で現れたりしていて、そこでは 「純粋な民族」「純粋な文化」を主張する傾向がどこかで見られますが、そういったものは存在しないのです。 地球上の文化は、すべからくどこかで雑種化し混成化するもので、人類学者のレヴィ・ ストロースも、アマゾン奥地の非常に隔絶した地域でも、そこに住む人たちは近隣の他の文化の影響を受けている、と述べています。』(pp.36)

 社会思想家のサー・アイザック・バーリン(1909-97)は、次のように結論づけている。
『最終的解決という観念そのものはたんに実践不司能というだけではない。いくつかの価値は衝突せざるを得ないという私の考えが正しいとすれば、それは矛盾してもいるのである」。いろいろな価値があり、必ずしも価値は統合できないというのが人間の現実であるとすれば、「最終的価値」というのはそれ自体が矛盾している主張であることになります。
「最終的解決の可能性は幻想であり、しかもきわめて危険な幻想であることが明らかになるであろう。というのは、もしそのような解決が司能だと本当に信じるなら、それを得るためにいかなる犠牲を払っても惜しくはない筈ということになるからである」。人類を永遠に公正で幸福な、創造的で調和的なものにするためには、いかなる代償を払っても決して高すぎることはないという主張は、現実にそれが実行されたとき、非常に間違った危険な結果をもたらします。』8pp.110)

・文化力を社会全体で高める

  一例として、シンガポールが、商業と娯楽の都市から、文化都市に変遷するさまを次のように述べている。『シンガポールはアジアの都市の中では一挙に文化度を高め始めたと言えるでしょう。それまでは、国際会議場や情報センターはつくってきましたが、文化施設にはほとんど配慮がありませんでした。いま述べたような文化施設の建設や、さらに文化としての大学という考え方も加わって、シンガポールは限られた空間ではありますが、現在、文化度を高める方向への大転換を目の当たりにしているところなのです。
こうした動きは、北京でも、ソウルでも、クアラルンプールでもあります。』(pp.180)

 そして、最後には、文化力の高まりから、ソフト・パワーの話になってゆく。
『ユダヤ系を中心とした優秀な学者たちが、ナチスの迫害を逃れてョーロッパ大陸からアメリカの大学に来て、アメリカの大学を一挙に世界的なレベルに押し上げたということも事実だと思います。その押し上げられた状態をより発展させるために、第二次世界大戦後もアメリカの大学は内部的な充実、国籍にとらわれない人材の起用を行って、いまや世界の教育と研究のメッカになったのです。
それがどうしてソフト・パワーかというと、アメリカの大学にはアジアでも最も優秀な人材がそこに集まる事実があるからです。中国でも最も優秀な学生はアメリカの大学に行くと言われています。そういう人材がアメリカ的な大学システムの中で、アメリカ的な知識を得て、研究し、学業を修めて自分の国に帰ってくる。そしてアメリカ的なスタィルをどこかで発揮しながら、国と社会に影響を与えますから、この力は大変に大きい。さらにそれが「文化の力」となって世代ごとに蓄積されていくのですから、その影響力は巨大です。これは何といってもアメリ力が持っているソフト・パワーの最たるものです。』8pp.210) 

 このように諸表現を並べてみると、「多文化社会」という表現は、むしろ現状の固定化に拘るようであり、その行き着く先は、歴史的に見るとメジャーな文化の争いになる確率が高くなるように思えてくる。
やはり、明治維新に見るような「多文化理解」を広く進めて、自己の文化をより現実的な方向へと見直してゆくことが良いのではないかと思ってしまう。


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