生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼シリーズ(126)「アナログの逆襲」 

2019年06月04日 13時44分09秒 | メタエンジニアの眼
メタエンジニアの眼シリーズ(126) 
TITLE:  「アナログの逆襲」              
書籍名;「アナログの逆襲」 [2018] 
著者;D.サックス 発行所;インターシフト
発行日;2018.12.20
引用先;文化の文明化のプロセス Converging、

このシリーズは文化の文明化プロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。



 逆襲とまではいかないまでも、アナログへの回帰が始まっているように思う。そこで、この書をあたってみた。私は、人類にとってのデジタル文化は普遍的なものではなく、いずれアナログ回帰が本格化すると信じています。動植物をはじめとする自然界との付き合いは、アナログでなければ無理でしょうから。
 この著書は、最後には教育問題になるのだが、「ポストデジタル経済へ」と題する「はじめに」は次の様にある。

 『単に私がアナログに魅了されたから、こういうことが目につくのか?それとも、この現象を裏で牽引しているものがあるのだろうか?人間の根源に訴える何かによって、デジタルとの恋愛関係が転換期を迎え、私の人生を定義していたデジタルの驚異的で避けられない進歩から一気に離反しはじめたということなのか?デジタル化の一途をたどる世界で、なぜアナログが逆襲しているのだろうか。』(pp.16)

 まさに、兎を得た発言だと思う。本来の人間の生き方を考えれば、アナログの欠点は強みに変わる。

『 つい最近まで、デジタル化できるものがどうなるか、その運命は目に見えていた。雑誌はオンライン版のみになり、買い物はすべてウエブですませ、教室はバーチャル方式になる、というように、コンピユーターに取って代わられた仕事はもう数えきれない。これからも、世界はひとプログラムずつ、ビットやバイトに変換され続けるのだろうーデジタル・ユートピアが訪れるか、ターミネーターが襲来するまで。』(pp.16)

 デジタルは、もっとも効率的で安い売りものなのだが、それだけで良いのだろうか、そこから議論が始まる。ビジネスの世界も、ポストデジタル経済に変わりつつあるというわけである。色々な実例を挙げた後で、

『アナログの裏にある普遍的な真理を活用する企業や機関にとって、世界を席巻するこの現象は途方もないチャンスである。アナログの需要に応えることは、利益だけでなく、もつと大切な教訓ももたらしてくれる。それは、世界とどう関わるか、そして、どんなテクノロジーを選ぶかによってその関わり方が変わってくるということだ。あなたやあなたの組織がポストデジタル経済を生き、成功を収めようとするならば、レコードを聴いたり、ボードゲームをしたり、デトロイトで腕時計を作ったりしなくても、これらのビジネスの成功例の教訓が役立つことは間違いない。』(pp.19)

 少し考えれば、デジタルの欠点はいくらでも出てくるのだが、利点を手放すことは不可能だ。

『重要なのは、デジタルかアナログのどちらかを選ぶことではない。私たちはデジタルの使用を通じて、このように物事を極度に単純化する考え方に慣れてしまった。つまり、一かゼロか、黒か白か、サムスンかアップルか、という誤った二者択一だ。現実の世界は、黒か白ではなく、グレーですらない。色とりどりで、触れたときの感覚に同じものはひとつもない。そこに、豊かな感情が幾重にも折り重なっている。そのなかで人間は、思ってもみない匂いに驚いたり、奇妙な味に顔をしかめながら、完全ではないことを大いに楽しんでいる。最高のアイデアはこの複雑さから紡ぎ出されるが、デジタル・テクノロジーにはまだそれを十分に再現する能力がない。いま、この現実世界がかつてなく重要になっている。』(pp.20)

 というわけで、この考えは至極当然のように思う。
 アメリカのいくつかの企業では、「技能再教育(リスキリング)」が始まっている。そこに関わった人たちは、一様に幸福感を味わっているようだ。それは、自動化された職場で、人間が再び判断を下せる職場に変わることを示している。

『人間を知的な存在としているのは、物事を理解する能力―観察や経験、生きることから得た知識を、その後あらゆるタスクや難題に適用できる、豊かで流動的な世界理解へと紡ぎあげる能力である。意識的認知と無意識的認知、推論とインスピレーションを生み出す、この精神のしなやかな特質こそが、人間をして概念的に、批判的に、隠喩的に、推測的に、機知のある形で思考させる―論理と想像の跳躍をさせるのだ。』(pp.256)
 
デジタル経済は、莫大な利益をもたらすのだが、雇用と賃金に関しては利益をもたらさない。そのことによる格差の拡大は、社会から非難が生まれる。
アメリカのいくつかの初等、中等教育では、「統合思考」、「デザイン思考」的な教育が始まっている。デジタル社会は、子供の教育には特に悪影響をおよぼしているので、この教育は重要視されている。現代社会の中の小さな問題に対して、新たなことをデザインする教育だ。例えば、こんな課題が示されている。

『小児科のMRIスキャンは、鎮静剤や麻酔を投与しなしなければならない患者には料金が高額になる。生徒たちは、そのコストを低くする方法を見つけなければならなかった。シワクはMRIの機械を説明するユーチューブのビデオを見せ、因果モデルを作るように言った。因果モデルとは、問題の原因となるさまざまな事実要因を特定するワードマップ〔因果関係を視覚化した図〕だ。子供たちはグループに分かれ、マーカーとペンを手に大きな紙の周りに集まった。シワクは教室を歩き回りそれぞれのグループに問題の原因を引き出す質問をした。』(pp.307)

 つまり、アナログの逆襲は、「教育」から始めるというわけであろう。このことは、重要な戦略だ。

『でも世界は変わった。指示に従う仕事を見つければ成功が保証された日々はほぼ終わった。その原因のひとつが、テクノロジーの発達だ。「いまは自分で考えなくちゃ成功はつかめない。私にとって教育とは、この変化に対応できるスキルを得ることよ。 批判的思考を身につけ、問題を工夫して解決できる人間になることなの」』(pp.310)

 私は、ずっと日本の教育が変わらないことを残念に思っている。教育の専門家は色々な議論から改革を進めているのだが、根本的なことに手が付けられないでいる。それは、初等・中等教育者の資格だと思う。少なくとも、それに関する博士論文を書いた人でなければ、きちんとした教育はできないと思っている。大学の教育は、それぞれの大学が好きなようにやればよい。「世界は変わった」のだから。