生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼(13)「神と自然の科学史」

2017年01月25日 14時07分40秒 | メタエンジニアの眼
このシリーズはメタエンジニアリングで文化の文明化のプロセスを考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

書籍名;「神と自然の科学史」[2005] 
著者;川崎 謙 発行所;講談社選書メチエ  
発行日;2005.11.10   最終改定日; H29.1.25
引用先;文化の文明化のプロセス  Converging 
 
 日本語の「自然」は、言葉では言い尽くすことのできない美しさであるが、英語の「nature」は、西欧型の自然科学によって、すべてを語りつくせるものである。この根本的な違いを明確に理解しないと、自然共存の日本人的な文化を文明化することはできない。
 この著者は、そのことを明らかにしてくれた。



・歴史的眺望

『ニュートンを「科学者」と呼ぶことは、赤穂藩浅野家の家老であった大石良雄(内蔵助)を「サラリーマン」と呼ぶのと同じ時代錯誤を犯しているのです。内蔵助の生涯は、西暦でいうと17世紀後半から18世紀初頭にわたるニュートンの生涯にすっぽりと含まれています。忠臣蔵の時代に「サラリーマン」という言葉がなかったのと同様に、ニュートンの時代に「科学者(scientist)」という言葉はなく、彼は“philosopher”と呼ばれていました。』(pp.20)
 
 つまり、科学が哲学から分離する前の話なのだが、今のサラリーマンに内蔵助の忠誠心が無いように、今の科学者には哲学的センスに欠けるということともとることができる。

 このことは、一見大したことのないように思われてしまうが、実はこれが人類の現代文明の致命傷のように、私には思えてきた。つまり、西欧型の「nature」は人類の英知に支配されるものと規定される。つまり、「nature」は全能の創造主が作ったもので、その支配は人間に委託されているということなのでしょう。
しかし、日本語の「自然」は、人類に支配されることはなく、むしろ人類は自然の一部であり、従って自然に支配されているものになる。つまり、真逆になってしまう。

 ケプラー、ガリレオ、ニュートンは、物理学をつくろうと思っていたのではなく、『例えば、ケプラーが天文学を志した動機は、「天文学においても神(引用者注、キリスト教の創造主のこと)に栄光を帰しうる道が開かれた」(渡辺 1985,237)ことにあります。』(pp.21)
 
 この記述はちょっとわかりにくいのですが、西欧の科学は、創造主が作ったもの(例えば天体の動き)が、なぜそのようになっているのかを言葉と数学で表すこと、と解釈します。つまり、出発点はwhyでした。
 しかし、明治維新に輸入された科学は、日本ではhowが出発点だったようです。

・技術の普遍性
 
 『西欧自然科学にも歴史があり、それは普遍的でないある特殊な文化圏においての出来事である。(pp.22)(中略)私たちの先人は西欧自然科学の内にある普遍性を見つけました。それは、技術の普遍性でした。西欧自然科学を普遍性で彩っていたのは、技術でした。技術は常に普遍的です。技術が普遍性を持つ理由は、効率という尺度で異なる技術の優劣を判断することが可能だからです。ことばや文化などとは無関係に、効率という共通の尺度を設定することができるのは技術の特徴です。(村上 1999, 99)』(pp.26)

 ここでの、普遍性という言葉は理解が難しい。しかし、「例外なくすべてのものにあてはまること」と考えると、科学はある仮定の中でのみ成り立っているが、技術はどこでも通用するということなのでしょう。つまり、ガリレオの落体実験は、技術であり普遍的だということなのでしょう。

 『科学は「事柄を理解すること」であり、技術は「ある一定の計画に従って何かをつくること」なのです』(pp.27)として、技術と科学を明確に分けている。
 
 つまり、科学の目的は「認識」であったが、西欧自然科学はガリレオによって、「認識を技術化する」ことに成功した。すなわち、科学に普遍性をもたらした。さらに、そこから発展をして、『西欧自然科学の関心は、「ある現象の原因を特定すること」から、「その原因の数学的記述を現実のものとすること」へと移りました。』(pp.35)というわけである。

 このことは、キリスト教の神が「合理的な創造主」であるのに対して、日本語の神は、「奥まったところに身を隠しているもの」との認識の相違から生まれるようにも見える、としています。

 『西欧自然科学が“How”を問う営みであるという日本人の西欧自然科学感は、あの文豪漱石の時代には常識になっていたようです。以下は、明治36年(1903)から38年にかけて帝国大学文科大学英文学科で行われた、漱石の講義録である「文学論」(明治45年出版)からの引用です。    凡そ科学の目的とするところは叙述にして説明にあらずとは科学者の自白により明らかなり。語を換えて云へば科学は“How”の疑問を解けども“Why”に応ずる能わず、否これに応ずる権利なしと自認するものなり。』(pp.90)

・漱石の「自然」
 
 この著者は、「自然」と「nature」の違いを明確にするために、面白いことを試みた。すなわち、漱石の代表的な著書である、「吾輩は猫である」、「こころ」、「道草」の中から「自然」の語を抜き出し、その部分が英訳本でどのような英語の表現になっているかを確認し、今度は、その英訳文を日本語に訳した。その結果「自然」という日本語は、英語を介すると以下のようになった。
 
 『不可避的に、否応なしに、必然的な結果として、好ましい本来ある姿、必然的に、余儀なく、状況に迫られて、強く自分を意識した、本来の私、私の良心、証明のできない直観、望ましい正常さ、持ち前の誠意(中略)
漱石による「自然」の使用例は、自分の意思が及ばない何らかの状態を表現しているように見えます。』(pp.109)

 しかし、「自分の意思が及ばない何らかの状態」を「自然」とすると、この定義では明らかに西欧の文化には受け入れられない。現代社会での合理性と普遍性を得るためには、日本語の「自然」も、文学的な表現を一旦おいて、西欧的なnatureを受け入れなければならないように思われる。
 しかしその際には、創造主から人類に委託されたnatureへの支配を、再び創造主へ戻すということが必要になるのでしょう。

 日本人が、「有限の地球」とか、「宇宙から見た青い球体」に接すると、人類は自然の中のごく小さな一部だと考えてしまうのですが、西欧文化では、有限でこれほど小さなものならば、これからも人類が完全に支配し続けることができる、と考えるのでしょう。