絵手紙

パソコンによる絵手紙をはじめて・・・

対馬丸記念館

2011-08-27 22:56:25 | Weblog
沖縄のモノレールは那覇空港から首里までです。
2両編成で成り立つのはやはりそれだけ人口が少ないということですね。
ちなみに、多摩モノレールは4両編成です。

そのモノレールで県庁前から徒歩15分、対馬丸記念館へ・・・。

昭和19年沖縄の人々は県外へ移動するように指示されました。
対馬丸は疎開する県民、とりわけ学童集団疎開の子供たちを沢山乗せて8月21日に那覇港を出港。
翌22日夜10時過ぎ、米潜水艦ボーフィン号によって沈められてしまいました。
乗船員1788名(船員、兵員含む)
うち約8割の人々が海底へと消えてしまいました。

対馬丸撃沈による犠牲者
 学童・・・・・・777名
 世話人・・・・・30名
 一般疎開・・・・570名
 船員・・・・・・24名
 船舶砲兵隊員・・21名

惨状を隠蔽するため箝口令が敷かれたいう・・・・
何とか生存でき、帰った人々が肩身の狭い思いで過ごしたとは、心が痛みます。

沖縄戦では破壊と焼き尽くされた惨状が語り継がれていますが
ここにも、忘れてはならない人々がいた・・・。

慰霊碑「小桜の塔」


戦没新聞人の碑


すぐそばに、護国寺と波の上宮があり
仏様と神様に守られているような・・・(しかし、亡くなってからではなく生前に守られて欲しかった。)
 

お寺さんも沖縄風?


合掌!

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2 コメント

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底抜けに明るい空の下の哀しみ (アタロー)
2011-08-28 08:34:36
第二次大戦の終了近くなってからの
沖縄の惨状には、心が痛みます。

もう制海権が失われ、学童を含む
数多くの方々が亡くなられたのですね。
箝口令が敷かれていたとは、驚きです。

二度とあってはならないことですね。
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被害者なのに・・・ (波瀬里)
2011-08-30 00:11:35
アタローさん
被害者なのに肩身の狭い思いで過ごされたとか・・・
悲しく辛い日々だったろうと、心が痛みます。

二度とあってはならない・・・しっかりと語り継ぐことが大事ですね。
返信する

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