秘蔵コレクション・・ゆきんこ 2016年10月12日 | Weblog 写真展をやってるのでのぞく。 東京在の方で信州の風景を撮っているそうだ。 雪解けのブナ林の風景が一枚あった。 そんなことで、三月ごろの雪の話をした。 この頃は朝の寒さで雪の表面が氷ってスタスタと歩ける。気温があがってくると足が埋まってしまい歩けない。これを「ゆきわたり」という。宮澤賢治にそのタイトルの作品がある。 写真は「ゆきわたり」だ。そこに乗ってるのが私が中一ごろ彫った「ゆきんこ」。 あの頃はきれない刃物でよく手を切ったものだ。
わが秘蔵コレクション・・3 2016年10月11日 | Weblog これは昭和28年頃、信濃毎日新聞に連載され後に単行本で発行された「ヒマラヤ王子」という物語である。うしろの絵は私がかってに描いたもの。 絵と文章が交互に書かれており、これを「えものがたり」という形式だ。 ヒマラヤに探検に行きゆくえ不明になった父を探すスト―――リーだ。ヒマラヤの奥地に別世界があり・・・ということだ。わたしは小学校の五年生くらいだ。当時ヒマラヤといえば現在と違い未知の世界なのだ。雪男がいるとか・・・・・
我秘蔵コレクション 2016年10月10日 | Weblog 昭和29年の愛読雑誌である。 口絵は「川中島の合戦」である。 これは当時あこがれた「伊藤幾久造」のさしえである。呼び捨てにしてるけど・・・・ こういうものとか冒険ものが満載だ。 ところで謙信と信玄の一騎打ちはあったのか? まさか大将同士ではないでしょう・・・・・ あったにしても信玄はほんとは坐ってないとか・・・いろいろ 長野市にこの像がある。 これは大河ドラマになった「天と地と」で記念して建てられた。 この合戦は12年にわたって行われたが激突は五回とか二回とか。
平倉山戦記 2016年10月07日 | Weblog 武田信玄が怒涛のごとく信州に侵攻してくる。 北信をのぞいて手中に治めるのであるが、合戦として有名なのは「川中島の合戦」だ。 12年間にわたってにらみあった。 その最中、私の生まれた小谷では信玄に抵抗していた飯森盛春滅ばされた。それが平倉山である。 1556年ごろである。その頃、川中島も合戦の最中であった。 平倉山をせめたのは信玄の重臣山県三郎兵衛。 信玄の配下は多く、本人は行かなくても良かったのだ。・・・といっても攻めてくるのを知ると信玄の見方につく武将が多かったのだろうか。 ま、そんなこともあって本でまとめてみたいと前から思っていたので・・・・・ついにはじめた。 どうなることやら・・・・
学習雑誌・・・・・・10歳のわたし 2016年10月05日 | Weblog 小学館は「学習雑誌・小学二年生」を休刊となったと新聞にでていた。1925年創刊だそうだ。 すでに三年生から六年生は休刊になっている。時代だなーーーーーよく続いてものだ。 この雑誌には小学生の頃お世話になった。 わがコレクションから四年生がでてきた。値段をみると100円だ。 わたしが10歳ということだ。・・・・どえらく前だ。 パラパラとめくると読者の投稿コーナーがあって、もう少しで入選する人の欄に10歳のわたしの名前が載っていた。 そんな感慨にひたっている・・・・イラストコンクールの結果が届いた。みごと落選していた。この雑誌も最後まで残ったもう少しの人の欄がある。・・・・・・これにもかすっていなかった。・・・・・・ ・・・・・・う。う。う。
安曇野寸景 2016年10月04日 | Weblog ごくごく単純化したので私以外わからないかも。 湧水公園の風景である。湧き水がコンコンとわいている。 別にここでカヌーをしているのでなく、となりの万水川で夏場やっている。 これは「十ヶせぎ」という水路である。江戸の時代に梓川から水を引いてくる水路を作ったのだ。大工事だったのだろう。 これを作った先人のおかげで安曇野は米所になったのだ。 版画小さいので迫力に欠ける。穂高神社の「お船まつり」である。舟の形をした山車がぶつかりあう。 むかしむかしそのむかし安曇族は遠く海の民族がここに渡りすんだという。 舟の形をしているのは、そういういわれだ。
ゲゲゲの昔話 2016年10月01日 | Weblog 奇妙奇天烈の生き物が出てくる最近の映画など見ない。 体がとろけ出すような生物は嫌いだ。 やはりいいのは古来からの日本の昔話だ。 これは遠野のおしらさまだ。 これは塩の道のお話。 耳なし芳一・・・・・・なんともいいなア。 最後は宮沢賢治の北守将軍だ。 いいなーーーーというのは体質にあって絵にしやすいかもなナ。