富士重工が小型車の生産をやめたとか。
たしか私が中学生になった頃、トラックが材木運搬で村に来るようになった。自動車を見る機会も多くなった。農協に勤めていた親父は、だれも自家用車を持つなど考えていない頃通称カブトムシとか言われた自動車を買った。
こんな形をした車だった。スバルと言う名だった。色は白・・・クリームだった。私はこれを田んぼの水見にいく母を乗せて田んぼの見回りをした。ろくに道がなく畦道だったのでよく落とした。もちろん中学生だから無免許。母も免許がいると知らなかったのだろう。車体が軽いので落ちても、二人でもちあげるともちあがった。
農協には軽トラックがあり、村ではこの二台だけだった。理科のT先生は借りて来いといって、みんでお宮の庭でこのトラックの運転をした。親父の関係で借りにいくのは私の役割だった。先生に言われたというとすぐ貸してくれた。なんの授業だったのか不明。先生が免許あったか不明。
後で聞いたけど親父も当時無免許で、村で運転免許のあった人は農協の職員のひとりだったらしい。それでも後年免許取りに行って教習所の先生がオレよりうまいと言ったのが自慢だった。
村には駐在所もなく、対向車もなく安全地帯だったのだ。
たしか私が中学生になった頃、トラックが材木運搬で村に来るようになった。自動車を見る機会も多くなった。農協に勤めていた親父は、だれも自家用車を持つなど考えていない頃通称カブトムシとか言われた自動車を買った。
こんな形をした車だった。スバルと言う名だった。色は白・・・クリームだった。私はこれを田んぼの水見にいく母を乗せて田んぼの見回りをした。ろくに道がなく畦道だったのでよく落とした。もちろん中学生だから無免許。母も免許がいると知らなかったのだろう。車体が軽いので落ちても、二人でもちあげるともちあがった。
農協には軽トラックがあり、村ではこの二台だけだった。理科のT先生は借りて来いといって、みんでお宮の庭でこのトラックの運転をした。親父の関係で借りにいくのは私の役割だった。先生に言われたというとすぐ貸してくれた。なんの授業だったのか不明。先生が免許あったか不明。
後で聞いたけど親父も当時無免許で、村で運転免許のあった人は農協の職員のひとりだったらしい。それでも後年免許取りに行って教習所の先生がオレよりうまいと言ったのが自慢だった。
村には駐在所もなく、対向車もなく安全地帯だったのだ。
ところで、スバル360の愛称は確か〓てんとう虫ではないでしょうか。因みにカブトムシはフォルクスワーゲンだったと記憶しています。どちらも可愛い車ですね。