メモです。
日本学術会議 報告「宇宙環境利用の新たな時代を目指して - 物質科学および生命科
学における宇宙環境利用の視点から-」
宇宙環境利用による芸術分野の発展についての言及が面白いと思ったので。
日本学術会議 報告「宇宙環境利用の新たな時代を目指して - 物質科学および生命科
学における宇宙環境利用の視点から-」
宇宙環境利用による芸術分野の発展についての言及が面白いと思ったので。
アビニョンには、当時の政治的な事情により、
1309年から1377年までの69年間、
ローマ教皇庁がありました。
1377年、教皇グレゴリウス11世がローマに戻りましたが、翌年逝去。
後任の教皇選出で対立がおこり、
ローマとアヴィニョンの両方で教皇が並び立つ
分裂の時代が始まり、1417年まで続いたそうです。
・・・南北朝時代のようなものでしょうか。
写真が、当時のローマ教皇庁跡です。
外見は立派ですが、フランス革命時などに
度重なる略奪に遭い、内部にはほとんど何も残っていません。
実際、内部を見学してみましたが
壁紙も何もない、石の壁がむき出しの、
寒ーい空間になっていました。
1309年から1377年までの69年間、
ローマ教皇庁がありました。
1377年、教皇グレゴリウス11世がローマに戻りましたが、翌年逝去。
後任の教皇選出で対立がおこり、
ローマとアヴィニョンの両方で教皇が並び立つ
分裂の時代が始まり、1417年まで続いたそうです。
・・・南北朝時代のようなものでしょうか。
写真が、当時のローマ教皇庁跡です。
外見は立派ですが、フランス革命時などに
度重なる略奪に遭い、内部にはほとんど何も残っていません。
実際、内部を見学してみましたが
壁紙も何もない、石の壁がむき出しの、
寒ーい空間になっていました。
この落書き(?)は
フランスの職人たちの組合では、
組合旅行でここを訪れ、参拝記念と技術の向上を願って
こんな彫り物を残す習慣があったのだそうです。
・・・ばちあたりな。
1830年、と年号が見えます。
もう少し新しいものまであるらしいです。
つい最近まで、そんな扱いだったようです。
フランスの職人たちの組合では、
組合旅行でここを訪れ、参拝記念と技術の向上を願って
こんな彫り物を残す習慣があったのだそうです。
・・・ばちあたりな。
1830年、と年号が見えます。
もう少し新しいものまであるらしいです。
つい最近まで、そんな扱いだったようです。
ではなぜアビニョンに来たかというと、これ!
ローマ時代の水道橋、ポン・デュ・ガールの橋です。
アビニョンの街から車で数十分のところにあります。
2000年以上前にこんなものを作ってしまうなんて、本当に驚きです。
ローマ時代の水道橋、ポン・デュ・ガールの橋です。
アビニョンの街から車で数十分のところにあります。
2000年以上前にこんなものを作ってしまうなんて、本当に驚きです。