カンガルー大陸をゆく!! ---福岡糸島編---

福岡・糸島に生息する研究者の日常。

フランス日記12

2008-09-18 21:14:58 | Weblog
アビニョンには、当時の政治的な事情により、
1309年から1377年までの69年間、
ローマ教皇庁がありました。

1377年、教皇グレゴリウス11世がローマに戻りましたが、翌年逝去。
後任の教皇選出で対立がおこり、
ローマとアヴィニョンの両方で教皇が並び立つ
分裂の時代が始まり、1417年まで続いたそうです。
・・・南北朝時代のようなものでしょうか。

写真が、当時のローマ教皇庁跡です。
外見は立派ですが、フランス革命時などに
度重なる略奪に遭い、内部にはほとんど何も残っていません。
実際、内部を見学してみましたが
壁紙も何もない、石の壁がむき出しの、
寒ーい空間になっていました。

フランス日記11

2008-09-17 21:14:49 | Weblog
この落書き(?)は
フランスの職人たちの組合では、
組合旅行でここを訪れ、参拝記念と技術の向上を願って
こんな彫り物を残す習慣があったのだそうです。
・・・ばちあたりな。

1830年、と年号が見えます。
もう少し新しいものまであるらしいです。
つい最近まで、そんな扱いだったようです。

フランス日記9

2008-09-17 21:12:16 | Weblog
ではなぜアビニョンに来たかというと、これ!
ローマ時代の水道橋、ポン・デュ・ガールの橋です。
アビニョンの街から車で数十分のところにあります。
2000年以上前にこんなものを作ってしまうなんて、本当に驚きです。