世の中の二乗>75の二乗

話せば長くなる話をする。知っても特にならない話をする。

おばあちゃん

2007年07月20日 00時24分16秒 | Weblog
ここでいうおばあちゃんとはなにも祖母のことばかりではない。
威厳のある愛嬌たっぷりのしわくちゃな女の人、
のことだ。
つまり、アマンダ・ウィングフィールドとか、アントニーダ・ワシーリエヴナ・タラセーヴィチェワとか、アンナ・アエメリンとか、はては、のんのんばあとか、がばいばあちゃんとかのことだ。
彼女たちはもはや人間であって人間ではない。
これは年月というものが人間に与える作用の結果であることが多いが、
あるところまで行き着いた人間にはある達観した見地と、
まだ俗世に縛られている故の意固地なまでのお茶目さが両立している。
それが彼女たちの最大の魅力だし、周囲にとっては最大の脅威だ。
基本、ババは空気が読めない。
そして無邪気だ。感情の赴くままに行動したがる。
これはパワーだ。
パワーは周囲に広がる。混乱させる。飲み込む。
事実、アマンダの行き過ぎた勘違いのせいで娘はコレクションのガラスの動物たちを壊される羽目になるし、アントニーダのルーレット狂いのせいで家族はひやひやさせられっぱなしだし、アンナの癇癪のせいで世話係はなかなか彼女からお金をふんだくれないし、のんのんばあは妖怪がどうのとうわごとを言って子供を怖がらせるし、がばいばあにお腹が空いたと言えば、気のせいや!と怒鳴られる。
なんていいキャラのババアたちだろう。
ババアになってこそのおもしろさがここにはある。
若い娘さんが同じに振舞っても皺やあの目の据わり方はまねできない。
前に母方のババが、窓の外を見て悠然と「おい、こんな朝早くから老人たちがゲートボールしてる」と言ったことがある。
御年80の婆様に老人扱いされたゲートボーラーはおそらく婆様よりお若くていらっしゃったはずだ。
ババは自分が婆だと知らないパターンが多い。
知っていても知らぬふりをする場合が多い。
だからなおさら周囲に影響する渦が大きくなるパターンが多い。
知人のおばあちゃんなのだが、
けっこうもうろくしていて、入居している施設の職員をちんどん屋だと思っている。
ちんどん屋だと思っているから、職員が見回りをしていると寄ってきて「よく来てくれた。楽しみに待ってたよ」と満面の笑みを見せる。施設に見学者が来て、職員が説明をしていても寄ってきて、見学者に「ここはいい施設だからここに決めなさい」と説得する。入居者が言うのだからと効果覿面だというが、おばあちゃんはちんどん屋がいるという理由でお気に入りなのだ。
この愛すべきおばあちゃんたちはほとんど無意識に自分の魅力を放出している。
しかし残念なことにもうおばあちゃんなので、この魅力はおそらく長続きしない。
長くは続かないとわかっているから、魅力になり得るのかもしれない。
ある意味、期間限定アイドルと同じ扱いか。
彼女たちの場合、アイドルと違って引退=死に直結するが、
それでも今生きている輝きは並じゃない。
そりゃ、物語にもなり得ますよ。
サンセット大通りとかすごいものね。

「賭博者」のおばあちゃんがあまりに強烈だったので、
ここまでおばあちゃんへの思いをたぎらせて書いてしまった。
痛快なおばあちゃんキャラ大募集中です。

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2 コメント

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そこですよ。 (m.hiro)
2007-07-20 01:11:01
その小説、そのくだり、すんげえ面白いよね!
そこですね。 (75)
2007-07-20 23:39:11
あと、登場人物が誰かに話しかけるとき、あの長ったらしい名前を全部言うとか、そういうのは、日本の少女漫画「花より男子」と同じでおもしろいですね。「なんですって、アレクセイ・イワーノヴィチ!」
「よくも言ったわね、花澤ルイ!」

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