今年の夏山は、とても切ない思い出となってしまった。
元々行こうとしていた山域は、後立山だったのだが、
体調が優れない夫でも行けそうな山…
と言う事で、標高2000mまでバスで行ける立山に予定変更。
朝、ケーブルとバスを乗り継ぎ、一の越山荘で一泊し、
翌日に雄山登頂の計画を立てたが、一の越山荘は満員で
泊まる事が出来ず、雷鳥荘に2泊する事にしたのだった。
山にさえ行かなかったら、こんなに早く逝ってしまう事も
無かったのでは…との思いが強い。
酷い事をしてしまった…
でも、もしあの時予定をキャンセルして家で養生していたら
病気が治ったのだろうか…
結果は恐らくNOだ。
私はあの時に、既にお別れの日が近付いていることを
感じていたのだろう。
その事を口に出す事も、態度に現す事も出来ず、
いつも通りを装う事に、必死だったのだ。
あの時、夫は山荘の中で立山の気色を眺めながら
時々温泉に浸かったり、寝台に横になったりして、
山小屋ライフを満喫していた。
元々、山をガンガン歩くより、山小屋でダラダラ過ごすのが
好きな人だったから、思いっきりダラダラ出来て
満足だったのかも知れない。
私が稜線を歩いている間も、時々メールのやり取りをし、
帰って来てからは、私が歩いてきたコースの説明に
聞き入り、微笑みながら窓から見える稜線を眺めていた。
帰りのバスの中で、私が「眠い」と言ったら、
黙って腕を差し出し、肩を貸してくれた。
道中はずっと夫が運転手だったなんて言ったら、
きっと鬼嫁だと罵られるだろう。
しかし、運転しようか…?と言っても決して代ってくれとは
言わなかった。
お互いに、来年も再来年もずっとこんな夏山登山が出来ると
言うのが前提の、必死の演技だったのかも知れない。。。