ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

愛知県豊川市、御油町松並「御油の松並木」(国指定)です!!

2023-02-22 06:29:30 | 文化財・樹木
 御油町松並地区は、豊川市役所の西北西約7kmのところ

 市役所前から県道5号線を西北西へ進みます、国道1号線の追分信号からは県道368号線です

 西へ入って直ぐの行力信号を右へ県道374号線です、音羽川を新御油橋で渡ると旧東海道となります

 道成りに北西へ向かうと、右に「御関札立掛場」から約600m区間が「御油の松並木」です

 まず一度松並木を通って北側の「旧東海道赤坂宿東見附跡」まで行って引き返します

 松並木の中の車道は、所々に道幅をポールで狭めたり

 速度を抑えるための段差が有ったりします

 倒木や落枝にも注意しましょう

 間も無く御関札掛場です

 御関札立掛場まで戻って来ました

 松並木の西側には十王堂です

 説明版です
   十王堂
 十王とは、冥界にあって、死者の罪業を裁判する十人の王のことです。
 仏教では、死者は冥界で順次十人の王の裁判を受けて次に生まれてくる所が定まるとされています。
 この考えは平安後期に日本に伝わり、鎌倉時代に全国に広がりました。
 この十王とは、泰広王・初江王・宗帝王・五官王・閻魔大王・変成王・太山王・平等王・都市王・五道転輪王のことで、十王が冠をつけ、道服を着て笏を持ち、忿怒の姿を示すのは道教の影響が強いことを表しています。
 この建物は、明治の中頃に火災にあい再建されたもので、十王堂の創立年は定かではないが、江戸時代に描かれた絵図に印されていることから、古くからこの地にあったことは確かです。


 天然記念物 御油ノ松並木の標柱です(石柱)

 説明版です
   御油宿と御油の松並木周辺
 御油宿は、慶長6年(1601)徳川家康によって、東海道に宿場制が定められ、東海道53次の第35番目の宿場として繁栄しました。
 ここから東の、かつて上五井、中上町、仲町、横町、茶屋町と呼ばれたこの通りぞいには、今でも宿場町の面影を残す旧家がみられます。
 また、この御油宿と隣の赤坂宿との間には、慶長9年(1604)に整備された御油の松並木があります。昭和19年に国の天然記念物に指定され、「日本の名松百選」にも選ばれています。
     豊川市教育委員会

 天然記念物石碑です
   天然記念物 御油ノ松並木
      昭和19年11月7日 文部省指定
 この松並木は、慶長9年(1604)徳川家康が植樹させたもので、以来、夏は緑陰をつくり、冬は風雪を防ぎ、長く、旅人の旅情をなぐさめてきました。
 当初600本以上あった松は、長い歳月の間に減少しましたが、旧東海道に現存する松並木のうちでは、昔の姿を最もよく残すものとして、第二次世界大戦中の昭和19年11月7日国指定の天然記念物となりました。
 私達は、この松並木が貴重な国民的財産であることを自覚し、後世に伝えるため、郷土の宝として愛護しましょう。
      昭和55年3月
       豊川市

 御関札立掛場の説明版です
   御関札立掛場
 御関札とは、諸藩の大名が参勤交代や何らかの用事で出向く際、宿泊先(御休先)となる宿場の本陣や問屋(町役人)に事前に申し伝え、宿泊当日の三日前迄に本陣、町役人は宿場の出入り口に縦3尺半(約1m)横1尺半(約45cm)の板に宿泊年月日・藩主名・出向く先を記入し、長さ3間半(約6m)の太い竹竿に取り付け立掛けられた看板を言います。
 御関札は、大名の権威を誇示するばかりではなく、本陣前を往来する人々に無礼にない様、通行するよう注意を促す目的を持って立掛けられた看板と云われています。
 此の御間札案内板は、当時御油宿・問屋役人井上興左衛門の「御定宿之控」の記録より作成したものです。

 では、次へ行きましょう

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