栗生神社は、旧の黒保根村の山の中に有ります
桐生市役所の北北西約15kmの赤城山東側の栗生山山麓
国道122号線を足尾方面へ、水沼から県道257号線を北上して栗生神社の案内板が有ります
各所に栗生神社への案内板が有りますので、心配なく進めます
林道を進むと赤鳥居です
林道の終点が栗生神社の入口です
石段の中ほどに手水舎があります
石段の先に神社の建物が見えて来ます
長屋門の様な建物です
社殿前の石段です
拝殿です
拝殿の右側に大杉は有ります
県指定天然記念物に指定されています
西側からです
群馬県天然記念物 黒保根栗生神社の大スギの石碑です
説明版です
群馬県指定天然記念物
黒保根栗生神社の大スギ
スギ(御神木)
平成九年三月二八日指定
勢多郡黒保根村大字上田沢一二三八
文化財概要
栗生神社の草創は慶雲四年(707)と口承されています。
この大スギは、拝殿東側にあり大同二年(807)に御神木として植えられたと伝えられています。
目通り7.02m、根回り14.15m、樹高46mの巨木で、樹齢一二〇〇年(推定)の村内最大の老木です。
群馬県教育委員会
黒保根村教育委員会
本殿です
見事な彫刻があります
県指定重要文化財本殿の石碑です
説明版です
群馬県指定重要文化財
黒保根栗生神社本殿
平成十一年四月三十日
勢多郡黒保根村大字上田沢二二三八
文化財の概要
栗生神社本殿は、新田義貞の家臣の四天王の一人として、当時勇猛を馳せた栗生左衛門頼方公が祀られている。
一七九〇(寛政二)年の建立で、柱は表面を稲妻紋等の文様彫刻で埋めつくされ、壁面、脇障子ねどほぼ全面に
透かし彫りや高肉掘り彫刻などで埋めつくされ、本殿全体が彫刻作品のようである。彫師は、黒保根村出身の名
工「関口文治郎」である。江戸時代後期の群馬県神社本殿建築の特徴を持つ点が貴重とされている。
群馬県教育委員会
黒保根村教育委員会
神楽殿ですが、欄干が損傷したままになっています
栗生山への登山口です、標高差約400mですので、山頂迄約一時間十五分でしょうか
では、次へ行きましょう
桐生市役所の北北西約15kmの赤城山東側の栗生山山麓
国道122号線を足尾方面へ、水沼から県道257号線を北上して栗生神社の案内板が有ります
各所に栗生神社への案内板が有りますので、心配なく進めます
林道を進むと赤鳥居です
林道の終点が栗生神社の入口です
石段の中ほどに手水舎があります
石段の先に神社の建物が見えて来ます
長屋門の様な建物です
社殿前の石段です
拝殿です
拝殿の右側に大杉は有ります
県指定天然記念物に指定されています
西側からです
群馬県天然記念物 黒保根栗生神社の大スギの石碑です
説明版です
群馬県指定天然記念物
黒保根栗生神社の大スギ
スギ(御神木)
平成九年三月二八日指定
勢多郡黒保根村大字上田沢一二三八
文化財概要
栗生神社の草創は慶雲四年(707)と口承されています。
この大スギは、拝殿東側にあり大同二年(807)に御神木として植えられたと伝えられています。
目通り7.02m、根回り14.15m、樹高46mの巨木で、樹齢一二〇〇年(推定)の村内最大の老木です。
群馬県教育委員会
黒保根村教育委員会
本殿です
見事な彫刻があります
県指定重要文化財本殿の石碑です
説明版です
群馬県指定重要文化財
黒保根栗生神社本殿
平成十一年四月三十日
勢多郡黒保根村大字上田沢二二三八
文化財の概要
栗生神社本殿は、新田義貞の家臣の四天王の一人として、当時勇猛を馳せた栗生左衛門頼方公が祀られている。
一七九〇(寛政二)年の建立で、柱は表面を稲妻紋等の文様彫刻で埋めつくされ、壁面、脇障子ねどほぼ全面に
透かし彫りや高肉掘り彫刻などで埋めつくされ、本殿全体が彫刻作品のようである。彫師は、黒保根村出身の名
工「関口文治郎」である。江戸時代後期の群馬県神社本殿建築の特徴を持つ点が貴重とされている。
群馬県教育委員会
黒保根村教育委員会
神楽殿ですが、欄干が損傷したままになっています
栗生山への登山口です、標高差約400mですので、山頂迄約一時間十五分でしょうか
では、次へ行きましょう
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