ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

富山県上市町、眼目「②立山寺の銀木犀と羅漢槇」(町指定)です!!

2024-04-25 06:33:51 | 文化財・樹木
 眼目地区は、上市町役場の東約4kmのところ

 上市町役場北西側の「役場前」信号を東へ、約1.7kmの「北島」信号を斜め左(北東)へ、富山中部広域農道です

 約2.5kmで上市川右岸に渡った「野島」信号を右(東)へ、約1.2kmで一時停止を斜め右(南東)へ

 間も無く右手に立山寺の並木口駐車場が有ります

 スギの参道を抜け、トガの参道を過ぎて、左手に大椎の巨木を見て

 南西向きの立山寺山門前に至りました

 立山寺案内図です(本堂西側駐車場にあります)
 曹洞宗 眼目山 立山寺(りゅうざんじ)〔通称眼目の寺(さっかのてら)〕  
  由来と歴史
 当山は建徳元年(1370年)に曹洞宗大本山總持寺第2租峨山紹碩禅師の創設による屈指の寺であり、全国でもめずらしい、開創は山神と龍神の神霊による開基の寺であり、立山権現と北海大龍女を開基としている。
 眼目村は上市川扇状地の扇頂部平野および段丘上に位置し、咲花とも察花とも記された。
 慶長10年(1605)3代藩主前田利常が巡視した際、眼目山立山寺の由緒を聞き、察花の字を「眼目」にしてサッカと読むようにしたといわれる。
 本寺は正しくは眼目山護国殿立山寺と称し、新西国33ヶ所、6番目の寺で、開山は建徳元年(1370年)曹洞宗大本山總持寺二代峨山紹碩禅師の高弟大徹宗令禅師による開山の寺。
 七堂伽藍の整った立派な寺であったが、永禄年間(1558~1569年)上杉謙信が加越能攻めの兵火に類焼し開山堂のみ残った。
 天正年間(1573~1590年)、佐々成正が富山城築城のときに神通川の神を鎮めるため立山寺に祈祷を命じ、察花(眼目)村・極楽寺村の土地の中に寺領を設定し、立山寺の山の字から一画をとり、川の字にして立川寺と称せしめたといわれ、明治32年(1899年)34世長谷川天頴は立川寺の寺号を立山寺と改称した。
 

 町指定天然記念物説明版です(同上)
   立山寺境内町指定天然記念物 4種
      所在 上市町眼目15他 所有または管理者 立山寺
   立山寺のギンモクセイ  昭和43年3月16日指定
 本堂前に左右一対に植栽されている。
 ギンモクセイ(キンモクセイ)は、暖帯性の常緑広葉樹であって、古来より悪魔を追い払う信仰から植栽されている。
 樹齢は約300年で寺院との配置からも価値の高いものである。
   立山寺のらかんまき   昭和52年6月15日指定
 本堂左にあり、古木の風格がある。樹齢約400年と推定される。
 「らかんまき」は「いぬまき」の変種とされる。中国に原種があり、九州南部、沖縄に自生する常緑高木である。

 総門から入って参道を進むと・・・


 三門です

 中雀門です

 中雀門を潜ると左手に鐘楼です

 目的のギンモクセイ二本が左右に並んでいます

 境内左側の一本です

 南側から

 「上市町指定 天然記念物 立山寺の銀木犀」の標柱です


 南東側から

 北東側から


 境内右側の一本です、こちらには天然記念物の標柱は建っていません

 北西側から

 北東側から

 境内奥側から二本を見ました


 本堂前左手にもう一つの目的の「立山寺のらかんまき」です


 南東側から

 「町指定 天然記念 立山寺のらかんまき」の標柱です

 南西側から

 北西側から

 北東側から

 本堂(開山堂)です

 本堂前から振り返りました

 本堂前から突然・野兎が現われて逃げようとしませんでした

 では、次へ行きましょう


 2024・4・11・12・10
 

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