浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

忙しい九月

2014-09-12 20:59:10 | 日記
 日本友和会で、「非暴力による平和-「困難な時代」を生きる」と題した講演を終えた。8月下旬から、「近代日本に於ける「国学」」の連続講座、そして今日の講演と、準備はとてもたいへんだった。

 ボクは講座など、人の前で話すためには、その日に向けてたいへんな準備をする。関連する文献を手当たり次第読む。図書館で借りたり、購入したり、今も、今日のために読んだりした本やコピーが、テーブルの上に乗っている。明日か明後日には片付けなければならない。

 みずからの話しの中身にオリジナリティをもたせるためには、たくさんの文献を読み込みそれに関する知識をマックスになるまで詰め込む、するとそこに「ひらめき」が生まれるのだ。そこまで追い込まないと、「ひらめき」が生まれない。その「ひらめき」は、まず話しの展開をどうするかであり、そしてある程度定まったその展開に関連した本を読み込む中で、内容の点でも「ひらめき」が生まれる。

 時間と金をどれほど投入するか、それにより出来不出来が決まるという経験知が、こうした方法をとらせる。

 ボクの話はどうだったろうか。「・・・国学」の講座については、はがきが2通届いた。今日の「非暴力による平和-「困難な時代」を生きる」はどうだっただろうか。

 今日で、講演や講座の予定はなくなる。これからは入試問題の作成、某自治体の歴史に関する本を読んでいかなければならない。

 忙しい日々は続く。最近、眼が疲れるようになった。老化かもしれない。
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『朝日新聞』のこと

2014-09-12 09:29:06 | メディア
 週刊誌などが異常な『朝日新聞』攻撃を行っている。「従軍慰安婦」をめぐってのものだが、アホな右翼や評論家などは「一点突破・全面否定」の愚を繰り返している。
 問題は、吉田清治の証言に関してのみであり、「従軍慰安婦」制は、日本軍や日本政府が、女性を「性奴隷」として扱ったことは確かなのであるから、女性に対する人権侵害であったことは不動である。

 ボクも吉田清治の本は購入し、それを読んでひどいことをしたものだと思っていたが、吉田証言に対する不信感は当初からあった。その後秦郁彦氏の調査によってほぼ完全に虚偽であることが判明した。

 吉田証言が出てきたとき、「従軍慰安婦」については、千田夏光の本は出版されていたが、いまだ研究はほとんどなく、『朝日新聞』などが吉田証言を報道したことに問題があったとは思えない。その後、吉田証言は完全に否定されたが、その時点で吉田証言を掲載したことについての自己批判をすればよかったのであるが、『朝日』はそれをしてこなかった。しかし、メディアは『朝日』だけではなく、のちに誤報であったことが判明しても、自主的にそれを自己批判するという習慣はもっていない。当事者が誤報であることを追及してきたとき、あるいは冤罪であったことなどが確実になったときだけ訂正記事を載せるという具合で、メディアはその点では『朝日』だけではなく、傲慢な姿勢を堅持しているとおもう。

 ボクが問題だと思うのは、この吉田証言が虚偽であったことに関する記事を自己批判したことを「好機」であるとして、右派メディアが「従軍慰安婦」制を全面否定していこうという恥多き態度を明確にしたことだ。国際的には、日本人は過去に人権侵害をおかしておきながら、それについて反省すら出来ない、ということは今後も日本は人権侵害する国家である、とみなされるということをなぜ考えないのであろうか。「従軍慰安婦」制度は確実に存在し、「慰安婦」とされた女性たちは軍管理下で、軍の補給物資と同様な方法で運ばれたりしたのだ。旧軍の資料にも、そうした事実はきちんと記載されている。

 最後に、吉田清治氏が何故にあのような虚偽の証言をしたのか、知りたいと思う。

 なお吉田氏の証言がでたときに、それを検証する努力がなされるべきであった。証言は証言として貴重であるが、その証言の信憑性を文献資料などで検討する作業は、歴史研究の現場ではふつう行われていることである。それが十分になされなかったことが、今回の事態を招いたわけである。歴史研究者も、同時に証言を検証抜きで書く民俗研究者も自戒すべきであるということだ。

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