浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

2014年 大杉栄・伊藤野枝・橘宗一墓前祭について

2014-09-11 22:54:08 | 社会
 2014年の大杉栄・伊藤野枝・橘宗一墓前祭の内容は以下のとおりです。

9月15日(月・祝日)

15:30 開場

16:00~17:30 栗原康氏講演会
栗原氏は、最近『大杉栄ー永遠のアナキズム』(夜行社)を出版した。

18:00~18:30 望月治孝氏 アルトサックスソロライブ
望月氏は、アルトサックスの即興演奏者。

18:30~20:40 映画上映「シュトルム・ウント・ドランクッ」
大正時代に実在した無政府主義結社「ギロチン社」を題材に、「アンモナイトのささやきを聞いた」「蒸発旅日記」の奇才・山田勇男が独自の世界観で描いた青春活劇。大正11年。詩人で社会運動家の中浜哲は、旧友の古田大次郎とギロチン社を結成。大企業を脅迫して得た資金をもとに、革命を目指してテロを企てていた。そんな彼らの前に、全てを見透かしているかのような謎の女・松浦エミルが現われては消える。やがて関東大震災が発生し、その後の社会の混乱に乗じて、彼らが慕っていた無政府主義者・大杉栄が殺されてしまう。ギロチン社のメンバーたちは復讐を誓って立ちあがるが……

2014年9月16日(火)  沓谷霊園

12:00~  墓参

 参加費は、通しで2000円。講演会のみは1000円、映画鑑賞は1500円。

 問い合わせは、水曜文庫(054ー266-5376)へ。
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大杉栄・伊藤野枝・橘宗一墓前祭について

2014-09-11 21:58:35 | 社会
 大杉らの虐殺から91年。静岡市の共同墓地・沓谷霊園に大杉らの墓があることから、今までも静岡市で墓前祭・追悼集会が行われてきた。その経緯を記す。
 1955年9月、静岡大学法経短大学生自治会が、山川均と羽仁五郎を講演に招いた。その時、山川は沓谷霊園にある大杉らの墓を詣でた。この墓参が契機になって、杉山金夫(1925~1988)が墓前祭に関わるようになった(田村貞雄「杉山金夫氏の生涯と業績」『静岡県社会運動史研究』解説)。

 墓前祭が盛大に行われたのは、大杉らの虐殺から50年が経過した1973年のことであった。しかし大杉らの墓には、何の説明もなかった。そこで1976年5月墓誌建立委員会が発足、同年9月の墓前祭には、荒畑寒村撰になる墓誌の除幕式も行われた。

 1977年からは、名古屋での橘宗一追悼集会の後、参加者の一部が沓谷霊園に立ち寄るようになり、杉山らが出迎えた。

 1983年、静岡県近代史研究会主催で60周年の墓前祭と追悼集会がもたれた。記念講演は、瀬戸内寂聴であった。そしてこの頃から市原正恵が中心となって墓前祭を担うようになる。

 だがその後しばらく墓前祭としてのイベントはなく、1989年になって近代史研究会9月例会として墓前祭、講師として小松隆二を招いた追悼集会を開催した。この年から、墓前祭・追悼集会が盛大に行われるようになった。というのも、翌1990年7月に「大杉栄らの墓前祭実行委員会」(会長臼井茂)が発足したからである。同委員会は、市原が中心となり、毎年九月の墓前祭・追悼集会の開催、『沓谷だより』の刊行を行った。また1993年には『自由の前触れ』を刊行した。50人近くから原稿が寄せられた小冊子であるが、それらは今もなお輝きを失っていない。

 それ以降、毎年9月16日には、墓前祭と追悼集会がもたれていたが、しかしそれは2003年までであった。遺族や関係者の高齢などにより、墓前祭の開催が難しくなってきたからであった。2003年、墓前祭実行委員会が解散された。
 2013年、関東大震災から90年。墓前祭の中心となっていた市原正恵は、90周年のイベントを企画していたが、2012年7月、病魔に倒れ還らぬ人となった。その遺志を継ぐべく、市原さんのご子息ら一部の有志がたちあがり、台風の襲来をものともせずに墓前祭を挙行し、大杉豊氏を招いて講演会を開催した。2023年、関東大震災100年、大杉らの虐殺100年まで、墓前祭・追悼集会を継続していくつもりである。
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海上保安庁の暴力

2014-09-11 20:21:36 | 政治
 安倍政権が建設を強行しようとしている辺野古。その辺野古の海で、抗議活動をしている人々の前に立ちふさがっているのが、海上保安庁の職員。その職員が、暴力をふるっている。『琉球新報』などメディアは、権力の暴力をきちんと報道していくべきだ。とくに本土のメディア。

 『琉球新報』記事。暴力を揮う職員の動画がある。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-231432-storytopic-3.html


[海保暴力]無抵抗の市民に力ずく 水中沈め、恫喝も2014年9月11日

 辺野古の海が荒れている。名護市辺野古への新基地建設をめぐり、海上で警備活動に当たる海上保安庁の暴力行為や暴言が横行している。抗議行動する市民らの首をつかむなどして、これまでに少なくとも3人がけがを負った。ネット上や辺野古で抗議行動を続ける市民からは「国家権力の暴走」「海上保安庁による犯罪」などと批判が相次いでいる。市民の怒りは頂点に達している。

 【辺野古問題取材班】「綱をまたぐなって、何回言えばわかるんだ!」「いい加減にしろ!」。9日、海上保安官が辺野古沖で抗議する男性の頭と首を押さえ、目と鼻の先で怒鳴りつける様子を撮影した動画がインターネットに投稿された。動画には「やめてください」と哀願する女性の声が聞こえるなど、海保の暴力行為が生々しく記録されている。
 男性はカヌーで海上抗議行動を行った園山大地さん=宜野湾市。海上保安官に取り押さえられた際、顎に捻挫のけがを負った。園山さんは10日、座り込みの現場を訪れ、告訴を検討していることを明らかにし、けがを負った状況について語った。
 9日の昼前にカヌーによる海上行動に出た園山さんは、スパット台船近くの浮具(フロート)の手前で海上保安庁の船にカヌーを止められた。カヌーを諦め、大潮で膝までの深さになっていた海に入り、フロートを越えたところで、海上保安官に取り押さえられた。
 海保は2人掛かりで園山さんを押さえると、1人は首に腕を絡め、もう1人が足を抱え、その場で水中に数回沈めた。命の危険を感じたため「抵抗はしない」と伝えたが、止めてくれなかったという。
 その後、海保のボートに引き上げられると、保安官に首元を強く押さえ付けられ「お前何度目だ」と厳しい言葉を掛けられた。「次、来たらまた排除するからな」「ふざけるな」と大声での恫喝(どうかつ)もあったという。
 解放され、浜に戻ると仲間から顎が腫れていると言われて受診。顎(がく)関節捻挫で全治2週間と診断された。動画は、直前に同じボートに拘束されていた仲間がとっさに撮影してくれていた。園山さんは「もし画像がなかったら、暴力行為を示すことができなかった。現場での常軌を逸した警備をぜひ知ってもらいたいし、多くの県民に辺野古に目を向けてもらいたい」と話した。
 動画が投稿されたソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)上では「これは拷問だ」などと非難する声が相次いだ。

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