ボクは御嶽山に登ったことがある。中学生の頃だ。その頃御嶽教の行者の方が、ボクの家に出入りしていて、その人から誘われたからだ。
夏であった。ボクたちはかなり低いところから登り始めた。「六根清浄」を唱えながら、長い棒を支えに登った。はっきりした記憶はないが、山小屋には2泊した(もちろん別々)ような気がする。
宗教団体の人びとと一緒だから、途中の祠ではお参りをし、登山道の傍らにあった池に、もっている棒を差し込むと引きずり込まれるなどと言われながら登った。ある祠の前では、般若心経をよんでいた修行者のなかのひとり(女性)が、急に座ったまま跳ねはじめた。何でもキツネが憑いたのだという。ボクは座ったままぴょんぴょん跳ねることはできないから、とても驚いた記憶がある。その時の状況は、いまも画像となって脳裏に刻まれている。
朝、山頂でご来光を拝んだ。その下には、雲海がひろがっていた。
今日も、そうした修行者らが登っていたのだろうか。
御嶽山が噴火するという情報は、事前にはなかった。火山噴火の予知はできないようだ。
だが驚くことに、原子力規制委員会や九州電力はできるようだ。彼らに火山噴火の予知をさせればよい。
http://toyokeizai.net/articles/-/44828
夏であった。ボクたちはかなり低いところから登り始めた。「六根清浄」を唱えながら、長い棒を支えに登った。はっきりした記憶はないが、山小屋には2泊した(もちろん別々)ような気がする。
宗教団体の人びとと一緒だから、途中の祠ではお参りをし、登山道の傍らにあった池に、もっている棒を差し込むと引きずり込まれるなどと言われながら登った。ある祠の前では、般若心経をよんでいた修行者のなかのひとり(女性)が、急に座ったまま跳ねはじめた。何でもキツネが憑いたのだという。ボクは座ったままぴょんぴょん跳ねることはできないから、とても驚いた記憶がある。その時の状況は、いまも画像となって脳裏に刻まれている。
朝、山頂でご来光を拝んだ。その下には、雲海がひろがっていた。
今日も、そうした修行者らが登っていたのだろうか。
御嶽山が噴火するという情報は、事前にはなかった。火山噴火の予知はできないようだ。
だが驚くことに、原子力規制委員会や九州電力はできるようだ。彼らに火山噴火の予知をさせればよい。
http://toyokeizai.net/articles/-/44828