二俣線ができた訳 2014-01-30 05:55:55 | ものづくりNo.1 1920(大正9)年、掛川を起点に、二俣、引佐、愛知県大野を経て、中央線大井(現在の恵那駅)を結ぶ「遠美線」計画が発表され、1923(大正12)年の帝国議会で掛川・二俣間の路線が正式に決定されました。ところが、関東大震災の影響で計画は無期延期になりました。1932(昭和7)年、遠美線計画が復活しましたが、その後、東海道本線の浜名は詩が攻撃を受けた場合の補助線にしようとする軍部の強い意向もあって、計画が大きく変更され、現在の路線になりました。