「七科約説」は、浜松医学校の太田用成、虎岩武らが,編めるかのペンシルバニア大学のヘンリー・ハルツホン博士の著書を翻訳して上巻を1878(明治11)年に、下巻をその翌年に刊行しました。七科とは、解剖・生理・科学・薬物・内科・外科・産科のことをいい、約説は膨大な著作を要約して述べた物という意味です。
「七科約説」は、日本初の西洋医学の本格的な教科書として全国の医師や医師志望屋に光明を与えました。「七科約説」には、約700の木版画が使われていますが、これは出版元の開明堂の鞍智逸平の彫刻で、その精密さは今でも驚かされます。
「七科約説」は、日本初の西洋医学の本格的な教科書として全国の医師や医師志望屋に光明を与えました。「七科約説」には、約700の木版画が使われていますが、これは出版元の開明堂の鞍智逸平の彫刻で、その精密さは今でも驚かされます。