浜松これが日本一

浜松の日本一を様々な角度から紹介します!
浜松を愛し、学び、楽しみましょう。

航空自衛隊浜松基地

2013-10-06 05:59:58 | 初めて物語
 浜松基地は,保安隊(自衛隊の前身)航空学校が設立され,航空自衛隊で初めて航空団が置かれるなど,航空自衛隊発祥の地としての歴史をもっています。
 浜松基地は,全国の航空自衛隊の中では大きな規模の基地で,教育の中心地としての役割を担っています。
 浜松基地の歴史をふり返ると,発祥の地をはじめ,救難部隊の創設,ブルーインパルス編成,警戒航空隊発足,広報館開館など,いくつもの日本初を見出すことができます。

 1925 大正14  陸軍飛行第7連隊新設
 1933 昭和 8  浜松陸軍飛行学校設立
 1952   27  保安隊航空学校設立
 1954   29  航空自衛隊操縦学校設立
 1955   30  航空団設立
 1958   33  臨時救難部隊として浜松救難航空隊創設
 1960   35  ブルーインパルス(戦技研究班)編成
 1999 平成11  警戒航空隊,早期警戒管制部隊を発足
  〃     〃   航空自衛隊浜松広報館開館
 

日本式点字を作った石川倉次

2013-10-06 05:54:07 | 日本一の人物
 石川倉次は,1859年,今の中区鹿谷町に生まれました。
倉次は,子どものころから近くの学問所や書道塾で,よく勉強をしました。そして,
大人になると,小学校の教師を務めた後,訓盲唖院(くんもうあいん)(後の東京盲唖学校)の教師になりました。
そのころの訓盲唖院では「目の不自由な人が使いやすい文字がほしい」という声が上がっていました。当時でも,目の不自由な人のための文字はありましたが,読むことができるようになるのにとても苦労するほど使いにくいものだったのです。
 そこで倉次は,目の不自由な人でも簡単に文字を使えるようにしたいと考えました。倉次は,当時,フランス人が考え出したアルファベット点字からヒントを得て,6個の点を使う現在の日本で使われている点字を考え出しました。
 その後,倉次は全国に点字を広めただけでなく,点字を打つための点字器や点字タイプライターを開発しました。
 こうして,目の不自由な人も本を読んだり,手紙を書いたりすることが楽にできるようになったのです。