3月10日。
福島にいます。
そうえいば、昨年の今日も福島にいました。
福島大学に勤める高校時代の友人に案内されて、福島市にある飯舘村の避難宿舎へ行きました。
そして出会ったのが、飯舘村の長泥区長の鴫原さんでした。
あれから1年。
今日はいわきにいます。
いわきの勿来海岸。
ここでも津波の被害がありました。
今日はとても強い風で、波も高い。
家があったその場所に、そっと手向けられている花に手を合わせました。
▼勿来海岸
▼海が荒れている
▼そうなんだ
このいわきの街には、縁の深い少年がいます。
今日、そのお母さんとお会いしてきました。
現在中2の彼は、部活で忙しく過ごしているとのこと。
震災前、小学校のときに、彼は信州こども山賊キャンプに参加してくれました。
震災直後、電話してもつながらず、お母さんと連絡がとれたのは4月になってから。
すぐにいわきに足を運んで、お母さんと本人とお会いしました。
それから始まった、NPOグリーンウッドと泰阜村の震災支援。
今日は、お母さんと、そしてキャンプにこどもを参加してくれてるもう一人のお母さん、そしてそのこどもたち2人とお会いしたのです。
中2の彼は、「高校生になったらボランティアで泰阜村に行く」とうれしいことを言ってるらしいです。
今日来てくれた小2の男子は「また夏に会おうね!」と行く気満々です(笑)。
今度1年生になる妹さんもすでに行く気でいるらしいです。
▼福島の縁
「必ずおいで」
私は小2の男子の頭を撫でました。
小2の彼は、今年の冬キャンプにも来てくれました。
泰阜村のデイサービスのおばあちゃんたちが編んでくれたマフラーを、いわきで「あったかい」と首に巻いているんだと、お母さんが教えてくれました。
そのお母さんは、冬キャンプのお土産の干し柿がことのほかおいしかったと、笑顔で言ってくれました。
村の人が聞いたら、きっと喜ぶだろうな。
地震で壊れた給食センターが復活し、中学校の給食がようやく4月から始まるそうです。体育館がまだ直っていなくて雨が降ると体育はできないそうです。
地震で落ちた瓦屋根が、順番待ちでまだ直っていない家もあるようです。
放射能との向き合いが言葉として出てくるのかと思いましたが、それだけではなく、実は震度6の余震に襲われたいわきは、地震そのものの被害がまだまだ影響しているのだと、改めて実感しました。
まだまだ知らないことばかり。
私たちはあれもこれもできません。
教育を通して、被災地と向き合っていく。
縁を紡いでいく。
その丁寧な営みから、未来を創っていく。
被災地の今を知るためにも、やっぱり今年もキャンプをやろう。
1年前の3月10日に飯舘村の区長さんとお会いしてから1年。
1年後の今日、また思いました。
今年は浜通りで区切りの日を迎えることになります。
代表 辻だいち
福島にいます。
そうえいば、昨年の今日も福島にいました。
福島大学に勤める高校時代の友人に案内されて、福島市にある飯舘村の避難宿舎へ行きました。
そして出会ったのが、飯舘村の長泥区長の鴫原さんでした。
あれから1年。
今日はいわきにいます。
いわきの勿来海岸。
ここでも津波の被害がありました。
今日はとても強い風で、波も高い。
家があったその場所に、そっと手向けられている花に手を合わせました。
▼勿来海岸
▼海が荒れている
▼そうなんだ
このいわきの街には、縁の深い少年がいます。
今日、そのお母さんとお会いしてきました。
現在中2の彼は、部活で忙しく過ごしているとのこと。
震災前、小学校のときに、彼は信州こども山賊キャンプに参加してくれました。
震災直後、電話してもつながらず、お母さんと連絡がとれたのは4月になってから。
すぐにいわきに足を運んで、お母さんと本人とお会いしました。
それから始まった、NPOグリーンウッドと泰阜村の震災支援。
今日は、お母さんと、そしてキャンプにこどもを参加してくれてるもう一人のお母さん、そしてそのこどもたち2人とお会いしたのです。
中2の彼は、「高校生になったらボランティアで泰阜村に行く」とうれしいことを言ってるらしいです。
今日来てくれた小2の男子は「また夏に会おうね!」と行く気満々です(笑)。
今度1年生になる妹さんもすでに行く気でいるらしいです。
▼福島の縁
「必ずおいで」
私は小2の男子の頭を撫でました。
小2の彼は、今年の冬キャンプにも来てくれました。
泰阜村のデイサービスのおばあちゃんたちが編んでくれたマフラーを、いわきで「あったかい」と首に巻いているんだと、お母さんが教えてくれました。
そのお母さんは、冬キャンプのお土産の干し柿がことのほかおいしかったと、笑顔で言ってくれました。
村の人が聞いたら、きっと喜ぶだろうな。
地震で壊れた給食センターが復活し、中学校の給食がようやく4月から始まるそうです。体育館がまだ直っていなくて雨が降ると体育はできないそうです。
地震で落ちた瓦屋根が、順番待ちでまだ直っていない家もあるようです。
放射能との向き合いが言葉として出てくるのかと思いましたが、それだけではなく、実は震度6の余震に襲われたいわきは、地震そのものの被害がまだまだ影響しているのだと、改めて実感しました。
まだまだ知らないことばかり。
私たちはあれもこれもできません。
教育を通して、被災地と向き合っていく。
縁を紡いでいく。
その丁寧な営みから、未来を創っていく。
被災地の今を知るためにも、やっぱり今年もキャンプをやろう。
1年前の3月10日に飯舘村の区長さんとお会いしてから1年。
1年後の今日、また思いました。
今年は浜通りで区切りの日を迎えることになります。
代表 辻だいち