わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

【命と向き合う教室】 ~津波に傷ついた中学生の心の声を聴け~

2017年07月05日 | 震災支縁=支え合いの縁を紡ぐ
立教大学の授業。

今回は、宮城県東松島市からゲストスピークを迎えた。

東日本大震災の被災者で、教え子を津波で失った元中学校教員:制野俊弘先生。

東松島市の鳴瀬第二中学校の体育教員だった。





私は学生時代は体育・健康・体力の勉強をしていた。

東日本大震災の際、私の学生時代の恩師である進藤先生から、被災地の体育教員である制野先生を紹介していただいた。

要は体育教員仲間である。




制野先生が勤めていた鳴瀬ニ中は、津波により壊滅的な被害を受けた。

当日は、午前中に卒業式が終わり、卒業生は隣の施設で謝恩会を行っていた。

地震の後、3階に避難した。

在校生の半分以上は帰宅していた時刻。

バキバキという松の折れる音と共に、普段は松原によって見えない海が視界に広がり、あっという間に津波は、中学校と隣の施設を飲み
込み、校舎をつきぬけた。


3階ではだめだと屋上に逃げ、隣の中学校を見れば皆一番高い場所に避難しる様子がうかがえた。

津波が校舎を突き抜けるという光景に泣くというより泣き叫んでパニックになる生徒が続出した、その日はその場所で夜を明かした。
と、その時の様子を学生に話してくれた。







鳴瀬ニ中の生徒は数人が犠牲になった。

祖父母の介護をしていた子、逃げるのが遅れる祖母と一緒にいた子、小さい兄弟と一緒にいた子(兄弟が固まって見つかったそうだ)・・・。

親族を失った生徒は多く、家族でたった一人だけ助かった子もいる。

制野先生は野球部の顧問だったが、帰宅してた部員は津波に飲まれ、泳ぎきって命からがら助かった子も多くいたよう。

その後、鳴瀬ニ中は、少し離れた鳴瀬一中に間借りをして学校が開始された。

そして、数年後、二つの中学校が統合して、鳴瀬未来中学校になった。




制野先生をはじめ教員一同は、「命の授業」を始める。

震災から3年たっても、本当の気持ちを外に出せないこどもたちのためだ。

気持ちを表に出すと、周りが迷惑するのではないかという恐怖心がこどもを襲っていた。

笑顔を取り繕っていたこどもたちは、教員一同の粘り強い「命の授業」を通して、ようやく心を開いていく。

その教育者の執念に脱帽である。




命の授業の様子は、昨年のNHKスペシャルでも放映され、大反響を呼んだ。

被災者ということだけではなく、こどもの心の闇が晴れていく(虐待や、離婚、いじめなど)取り組みは、全国でも求めらるだろう。

制野先生の講義に、とめどなく涙を流す学生も。

素晴らしすぎる授業だよ、みなさん。

もっともっと多くの若者に、聴かせたい。








震災直後に東松島市を訪れた際、初体面にも関わらずそのまま「辻君、泊まってけ」となった。

その気さくな人柄は、今も変わらない。

制野先生は、今年4月から一念発起で東京に来て、和光大学で教鞭をとっている。

彼の書いた本がまたいい。

ぜひ検索を。


代表 辻だいち


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