わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

1月17日は「いいなの日」なのだ ~阪神大震災で受け入れの被災児童は今、31歳~

2016年01月17日 | 震災支縁=支え合いの縁を紡ぐ
21年前の今日、阪神淡路地域に未曾有の大地震が発生した。

その当時、テレビ、新聞が悲惨な状況や死者数などを競って発表する中、私たちは「私たちに何ができるのか?」と南信州の地で考えた。

考えても考えてもよくわからなかった。

だから、まずは被災地に行ってみたのだ。

数回、現地神戸市に足も運び、街の状況を肌で感じた。

平衡感覚を失うほど街がゆがんでいる。

全国から集うボランティアの活発な姿や、ガレキと化した家の前にいけられた花が目に映る中、私たちは考える。

「被災児童の疎開受け入れができるのでは。もしニーズがあるのであれば、私たちの今までの経験と教育の場が役立つことになるのではないか」と。



そんな折り、伊丹市の市民団体と私たちの地元泰阜村当局の両方から「被災児童の長期受け入れができないか」という要請があった。

そして、次ような役割分担ができた。

市民団体が現地状況の調査と募集。

泰阜村行政が財政支援。

私たちNPOグリーンウッドが児童の受け入れ。

今思えばパートナーシップ事業のモデルとも言えるような協力体制ができあがった。



1995年4月から1年間、西宮市の小学4年生女子2人が、暮らしの学校「だいだらぼっち」に元気に参加した。

その夏休みには、2人が通っていた学校のクラスメイト17人を泰阜村行政が夏キャンプに招待し、企画運営を私たちが担った。

続いて1996年4月から2年間、神戸市灘区の小学5年生1人が暮らしの学校「だいだらぼっち」に参加し、1998年3月に泰阜南小学校を卒業した。

その当時の新聞記事を掲載する。






暮らしの学校「だいだらぼっち」で、彼らはたくましく育った。

現地で復興に向けて親子が力を合わせるのと同じ位、離れた地でがんばることは大事なことだった。

そう自分に言い聞かせて暮らす姿はいじらしいほどであった。

そしてそんな彼らを受け入れた仲間たち、村の人々がいる。

様々な立場のこどもたちが共同生活する「だいだらぼっち」は、まさに「違いは豊かさ・多様性の共存」をこころに刻む学びの場となったのだ。

そして厳しい自然環境のなかで助け合いながら生きるひとびとの住む泰阜村での生活は、まさに「支えあい・お互い様」を身体に刻む学びの場となった。

その3人ももう31歳。みな社会人である。



「やっぱり普段はほとんど忘れてしまってるけど、阪神淡路の火事とか、仙台の津波の映像とかはいつになっても心がキュって辛くなるよ。会社では誰もその話しないけど、今日は午後から西宮の友達と会うから絶対話すと思う」

「こちらでは震災の爪跡をあまり見なくなって久しく、もうそんなになるのかとしみじみしています。東北に住む友人などはまだまだ復興に時間がかかりそうだと言う話で、今はそちらの方が気になっているかな。」




彼女たちからさきほど届いたメールである。

阪神地域はすっかり復興したと聞く。

しかし、復興とは元に戻ることだけではないだろう。

建物や道路はもちろんだが、価値観も再構築されてさらに磨きがかかる。

大震災が私たちに伝えるものは、この価値観の再構築だ。

私たちは「違いは豊かさ・多様性の共存」という価値観を、「支えあい・お互い様」という価値観を、こどもたちと共にもう一度築き上げていこうと強く想う。

そうしてはじめて、復興と言えるのだ。

多くの災害が日本を襲うたび、私たちNPOが担う人づくりの役割もまた磨きがかかる。

阪神・淡路で被災して心も身体も傷ついたこどもが、小学生時代に泰阜村の風土に包まれて育った。

そして青年になった今、東日本の傷ついた声なき声に寄り添おうとしている。

今後、彼らが果たす社会的役割に期待である。

1月17日が「いいなの日」になるように。

代表 辻だいち


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