268-1 ジンチョウゲ(沈丁花) ジンチョウゲ科ジンチョウゲ属 ジンチョウゲの香りを吸って旅に出た。 | |
268-2 横野八幡宮 guuchanちから海の方に約0.5kmのところに横野八幡宮がある。 | |
268-3 社殿 八幡宮の社殿は2本の楠の大木に守られて風格がある。 | |
268-4 横野天満宮 八幡宮の社殿の左手奥に「横野天満宮学問成就」と書いた社殿がある。 今回はこれが目的で来て見た。 菅原道真が大宰府に流されたとき、下関市にある形山菅原神社から横野に出て、横野から船出をしたという伝説がある。以前は横野に菅原神社と言うのがあったらしい。「紅梅社」と呼び習わしていたが、昭和11年に横野町に大火があったとき、八幡宮とともに消失した。 直ちに、八幡宮の境内に移されて再建された。 横野の港(安岡港)は当時は推進も深く、大きな船が出ていたらしい。 また、鎌倉時代には安岡に探題も置かれていたと言うから、重要な町であった可能性はある。 安岡の向い側は、九州の小倉、戸畑辺りで、博多の方にも近い。 天満宮だから梅ノ木も数本申し訳に植わっていた。 それにしても、菅原道真を祭った天満宮は全国各地にあるものだ。伝説もさまざまだろう。 | |
268-5 横野天満宮鳥居 天満宮鳥居には左側には「文政五壬午十月吉日」と刻まれている。(「やすおか史誌」には文政五壬十月吉日と記されているが、午の字が抜けている。) 文政五は文政五年のことで1822年に当たる。壬午は年や月や日を表すときに用いられる六十干支である。1822年はまさしく壬午(じんご・みずのえうま)の年に当たる。 右の柱には寄進当村氏子中とある。 菅原神社にあった時の鳥居であろう。 ちなみに、形山菅原神社は1691年(元禄4年)の棟札があるとのこと。 |
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この写真なにやら新型カメラ、それともレンズ好感で撮影しましたか。
拡大とてもよく撮れています。
やはり花は、拡大するととても引き立ちます。
いえいえ、カメラが変わったわけではありません。
安いカメラでもマクロでピシャッとピントが合うとこれくらい取れるのですね。
いいのは10枚に1枚ですね。
ただ、大きな花だと一輪全体を写真に入れようとすると、迫力がなくなります。
その辺が難しいところですね。
弘法は筆を選ばず、guuchanはカメラを選ばずの域に達するため、これからも日々研鑽を積んでいきます。
よろしく御指導御鞭撻のほどをお願いいたします。
昨夜の雨がウソのようにからりと晴れました。
植物達が喜んでいます。
チンチョウゲのマクロの写真綺麗ですね~。
10枚に1枚・・・解る気がします。
時々ぴしゃりとあいますね~。
神業みたいに・・・。そんな時嬉しくなります。
チンチョウゲの香りを吸って何処に行かれるのでしょうか・・大宰府へ・・?。
菅原道真を祀る神社は結構ありますね。
安岡も古い歴史があるようですね~。
菅原道真...横野説お見事..お見事...でした.
お気楽も お勉強しなくてはと 感じました...
又 遊びに 来ます.
先日から時計の時間が止まってくれたら神辺の景色を撮り歩いています。
不思議と神社やお寺などが多くなります。やはりそこには歴史が詰まっているからでしょうか。
チンチョウゲ、ジンチョウゲは地域によって呼び方が異なるのか、少し好奇心を持っています。
霧のような水滴がついているのは見えました。
水滴の粒の形状までは確認できないようですね。
肉眼ではこれほど着いているとは思いませんでした。
大宰府への旅は気持ちだけでした。
それもレポするかもしれません。
その当時は今の灯台のある突堤は何もなかったのでしょうか?
船が着いていたとすればどの辺りかちょっと興味がありますね。
民家は余程の旧家でないと、資料をきちんと取ってあるということも珍しいと思います。
また、家系図などもプライバシーとも関係して、だんだん見れなくなっていると思います。
更に時代が上ると、遺跡になりますが、その中間が難しいですね。
遺跡と伝説や伝承、歴史文書まどとつながってくると、凄くロマンを感じます。
少し安岡のいにしえを偲ぼうと思っています。