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人間関係リセット症候群

2021-12-21 | 日記

「人間関係リセット症候群」というのがテレビ番組で話題になっていた。一体どういうことなのか?と聞いていたら、スマホに登録している電場番号やメールアドレスを或る時にすべて消してしまい、「これまでの人間関係を絶つ」あるいは「これまでの人間関係を絶ちたくなる」ということらしい。

 「すべての人間関係を一気に絶つ」とは穏やかじゃないとさらに聞いていると、実際には「すべて」とまではやらない人が多く、「ごく親しい友人だけは残して」それ以外の多くの、言わば付き合いの浅い(浅かった)人との連絡を絶つためにアドレスや電話番号を消す場合が多いようだ。

 「なんだ、それしきの事か」と思った。別に「スマホの時代」や「デジタルの時代」でなくとも、それは昔から有ったことだろうと。実際、大人になり社会に出た後も中学・高校時代の住所録をそのまま持ち続けている人は少ないだろうし、その住所録の多くの人から定期的に連絡が来る人などほとんどないのではないかと思ってしまう。

 同じ地域の子供が通う小・中学校と違って、高校や大学への進学は同時に多くの「付き合いの浅かった友人」との連絡が絶える切っ掛けになっているのではないか。特に大学進学では距離もそれぞれ離れてしまい、何となく「近くにいるから」一緒に行動することの多かった者たちとは会う機会が無くなり連絡を取ることも無くなった。

 大学以降でも、たまたま知り合って何かで電話番号を交換して連絡を取り遊びに行ったりした「友人」は、転勤や仕事の場所が変わることでそれきり連絡を取っていないという例がいくつもある。確かにそれが住所録や携帯電話に電話番号として登録されているが、それを何かの時に一気に消してしまおうということを思ったことは無い。別に消さずに残ったままでも特に不自由や束縛を感じることも無いし、それを消さなければ自分が生まれ変われないという思いを持ったことも無い。

 ただ、古い住所録を書き換える時に新しい住所録に転載せず、結果として「消えて行った連絡先」というのはかなりの数になるだろう。 それを「リセット」というかと聞かれれば、それは「登録を外した」のであって「リセット」には当たらないだろう。リセットというのはやはり「初期化」であって、一部の変更や取捨選択の一つ一つをリセットとは呼べない。

 おそらく、昔は住所録のようなアナログ手段の更新時に「廃棄・廃止」していたものを、今はスマホなどデジタル手段に溜まったのをボタン一つで全部消せる時代になったことで、それらを一気に捨て去る時の気分が「リセット」という言葉で表されるのだろう。そう考えると、アナログ時代に一つ一つ行っていたものが、デジタル時代にはボタン一つで一斉にできるようになっただけ、ということに過ぎない。

 気分的な違いは確かにあるとしても、若い人達に「リセット症候群」が増えているとか、まして「昔には無かった」などと言うのは的はすれに感じる。それよりも、メールやラインで「直ぐに返さなければ」行けないとか仲間外れになるという、デジタル化による強迫観念の方をどうにかすべきなのだろう。

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