与党の新総裁が決まった。当初は「与党内の改革」を打ち出し、2つ前の政権下で起きたいくつもの「事件や疑惑」への解明・再調査を匂わせていた新総裁だったが、やがて「再調査は必要無い」と変化?したのは、結局2つ前の政権担当者の支持を得るための方策だったと受け止められた。さらに前々政権・前政権を支えた勢力の後押しを受ける形で、「派閥の人数の足し算」という勢力争いに乗って与党総裁へと昇ることになったようだ。
確かに既に「いくつかの改革案」を示されているが、過去数年間の「不可思議な事件」については実態解明は進められないまま「既に調査済み」という形の「徹底した説明」が行われるのだろう。また、前々政権時代の経済政策を「評価する」形を取らざるを得ない以上、その政策の多くを引き継ぐことになりそうだ。既に「第3次○○政権」と揶揄する批評も出ているそうだ。
実質的にそうなるかどうかはもう少し様子を見ないと分からないだろうが、自らの派閥勢力が強くはない以上、支持してくれた「大派閥?」への配慮が見えるたびに「第3次○○政権」と揶揄する声は無くならないのだろう。いずれにしろ、結局は「どの政策が選ばれたのか」は分からず「大派閥にとって御し易い人」が選ばれたという印象は否めない。支持した派閥側は「党人事と大臣ポストの獲得」を通して、自らの勢力維持・発言力維持に努めるということだろう。
結果として憲法に基づく「必要な国会議員数により求められたコロナ対策議論のための臨時国会召集」は開かれないまま。新総裁においても、「与党総裁決定に続く首班指名の臨時国会」がそれに答える臨時国会なのだという理屈を押し通すこととなった。「首班指名のための臨時国会」は「コロナ対策のための臨時国会召集」の請願が無くとも「総裁の交替による首相交替のために政府・与党が求める臨時国会」であり「一定数の国会議員の臨時国会開催要求に基づく招集」ではない。しかし、それでも与党は「憲法には、召集する臨時国会の目的については規定していない」ので、その要求に基づく臨時国会を「首班指名のための臨時国会」として開催できるのだという。
結局、「野党議員が憲法に基づいて要求した臨時国会召集を、与党の総裁交替と政府首班指名のために流用した」形になったのだが、それで憲法は守られているという「解釈」だ。以前にも野党側の開催要求を無視し続けた挙句に「国会解散」のためにだけ開催し利用したということがあったが、今回はそれよりも酷いと言えるだろう。「臨時国会の召集義務を定めた憲法の規定」は「開催期日についても開催目的についても書かれていないので、開催目的に沿う時期を逸しても良いし、開催要求の目的を無視して他の目的に沿わずとも問題のない規定である」と言い切る形となった。
それで良いのなら、「臨時国会の要求は与党が望むときに与党の望む目的でのみ可能」ということになるし、憲法はそれを認めているという主張となる。与党側が望まない臨時国会の召集要求があっても、「与党側で何か臨時国会を開きたい時まで待って、別の目的で開けば」その要求に応えたことになるということになる。あるいは、臨時国会と言うのは「与党側が望まない時期に、望まない目的では開く必要が無い」と憲法に定められているという解釈になるらしい。
今後は、これが「正しい憲法解釈」として受け継がれていくのだろうか?。つまり、我々の憲法は「政府が望まない時期に望まない目的であっても、一定数の国会議員からの要求があれば臨時国会を開き議論に応じなければならない」と規定しているのではなく、臨時国会の開催時期も目的も政府が好きに決定できるよう委ねられ「実質、与党以外の人々にとって意味のない規定として形式的に定めているに過ぎない」との ”新解釈” を学校で教えるようになるのだろうか。まぁ、そのように主張する人々を国民が支持するのであれば、結局はそれで良いということなのだろうか?。そのような政府・政治家とそれを支持する国民が作る「国」を、諸外国はどのように見ているだろうか?。