愚ダメ記、真誤付き、思い津記

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衣替え

2021-10-01 | 日記

鷹の観察が最終日となる日、「10月1日は衣替えの日」と車のラジオから流れて来た。最近の中学高校では夏服の制服を変える日をはっきりと定めず、生徒自身の感覚に任せている所が多いと聞いているが、自分達の頃には何月何日とはっきり決まっていた。

 ところが、自分としては毎年・毎回その「衣替えの期日」をきちんと覚えておらず、登校途中に周囲の生徒の服が変わっていることに気付くということも何度かあった。冬から夏の時には所謂「学ラン」を脱げば夏服になるので忘れていても周りに合わせられたが、夏から冬の時にはそうは行かず一日自分だけ周りと違った服装で過ごすしかなかった。高校に上がる頃には中学生の兄弟の衣替えで母親が気付き、「今日から衣替えでしょ」と言って制服を渡してくれるようになったが、自分では相変わらず「衣替えに気付かない」ということが多く、心配になって家の前を通りかかる別の学校の生徒の服装を観察したこともある。

 今思えば、それなりに季節感のある「衣替え」の味わいをもう少し感じ取っても良かったのに、と思う。また先生達はおそらく「明日から衣替え」と注意していただろうに、そんなことは耳に入らないほど「先生達の言うことを重んじない生徒」だったのだと思う。実際、教科内容以外で教員達の発言することに、自分としてはほとんど意義を見出せなかったことを覚えている。「まぁ、何という生徒だったのか」と思う反面、「自分の興味以外のことには力を注ぐ気がなかった」ことも自分なりで良かったと思い出すこともある。

 そんなことを思い出すと、「衣替えの日が自由なのも、すこし寂しい」などと自分勝手に思ったりする。実態は曖昧になって行っても、衣替えという言葉は「ある一定の期間を指す、季節感のある言葉」として残って行って欲しいと感じる。鷹の渡り観察は今日で終わり、これからはヒヨドリの渡りとそれを襲うハヤブサの狩りに興味が移って行く。いつの頃からか、今の自分にはこれが「季節の節目」となった。

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