愚ダメ記、真誤付き、思い津記

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会議

2021-10-02 | 日記

ある民間団体が運営する施設の会議に、その施設利用者の一人として出席することになった。会議メンバーには施設の目的に関連する各団体の体表などが名を連ねていたので、自分は彼らの発言の最後に一言だけ利用者としての意見・要望を言えばいいと思って座っていた。

 やがて施設代表の挨拶と議長による議案説明が終わり、続いて議事ごとに質疑応答となったが発言者が誰も出て来ない。しばらく沈黙が続いた。これまでにも仕事上の会議だけでなくいろいろな会議に出たことがあるが、このような沈黙を何度も経験したことがある。出席者全員に意見が無いからではなく、おそらく自分が最初に発現することを嫌う、というか遠慮する?という気持ちがそうさせているのだろう。

 私としても同じ気持ちは持っているのだが、しばしばそれは一分二分以上も続き、何度も繰り返すうちに10分以上を沈黙に費やしてしまうこともある。かと言って必ずしも議案に賛同しているわけでない場合もあって、最終的には様々な意見が飛び交い長引いてしまうこともあり、一体最初のあの沈黙は何だったのかと思わされることもある。

 基本的には、自分の時間を割き、大体これくらいと提示された会議予定時間を空けて会議に参加しているわけで、年を経るごとにその意味不明の(というか、誰が最初に発現するかの探り合い?)の沈黙を耐えられなくなっている。また、議案に疑問を持ったままで沈黙のまま「賛成したことになる」のも不本意なので、結局、当初の心づもりとは反対に最初の発言者となってしまった。

 施設の運営にも直接関係しない利用者の立場で真っ先に発言者となってしまったことに自分の中では違和感は残ってしまったが、沈黙の時間をじっと耐えるよりはまだましだった。特に直接的な損得の生じない場面では、この国の会議は往々にしてこうなるのだろう、と思いつつ、「無駄な会議が多い」という良く聞く話を思い出す。もしかすると、その「無駄という意見」の大半は「参加者が会議を有効に利用しようとしないで座っているだけ」のメンバーから発せられたのかもしれない。どうやらこの国は、仕事上もそれ以外も「会議を有効利用できない国」なのだろうか。

 無くても良い会議ならば無くすべき。しかし、たとえ自分にとって損得に関係しない会議でも、機構上の決定に必要な会議であれば議事進行に協力し「持っている意見は早めに出す」とならないものか?。賛成にしても反対にしても。まして、会議が長引けば、自分達の拘束時間も長くなると分かっているのだ。会議の目的によっては「短ければ良いというものじゃない」場合もあるが、いつもいつも、あの意味不明の沈黙だけは何とかしてもらいたいと感じられてしまう。

 

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