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2023年度<合格体験記>(7)(15:30~16:30)(富士山)(イタリア語)

2024年02月16日 23時00分55秒 | ●2023年度<最終合格体験記>
2023年度<合格体験記>(7)(15:30~16:30)(富士山)(イタリア語)

●ロシア語、イタリア語のレア2か国語合格2冠王

●植山先生
この度イタリア語全国通訳案内士試験に合格しました。1978年の大学在学中にロシア語で合格し、長年ロシア語のガイドをしてきました。今回、植山先生にレア2か国語の体験記をということを言われましたので、半生を振り返ってみたいと思います。
当時高校生の私は、鳥飼久美子という同時通訳者に激しく憧れました。進学は、絶対外国語学部と決めていました。さて、何科ということになりますが、公立高校ゆえ英語は好で得意であっても将来それで食べていくというレベルではありません。それに、受験勉強の苦しさから逃れたい、浪人はしたくないという一心で競争率の低いロシア語を選びました(のち、これを語るとロシア語ツアーの面白ネタになっています)。
ロシア語学科入学後は、あまりの難しさについていけず、後悔することしきり、英語への転科を考えました。が、1か月もすると段々引き込まれていくようになりました。
併行してイタリア語も学んでみたいと言う気持ちはありましたが、ロシア語が中途半端になるといけないと思い、辞めました。
3年生のときに初めてガイド試験を受けましたが、実力不足により、1次であっけなく敗退、翌年、合格しました。
1次は筆記、2次は運輸省にて面接(語学は大学の先生が試験官、もう一人は運輸省の職員が人物考査)、そして3次は地歴、一般常識の記述でした。2次の面接は今のようなプレゼンや外国語訳はなく、ロシア語が書いてある紙を渡され、読むように指示がありました。おそらく発音のチェックが主眼であったろうと思われます。1次の合格発表が葉書できて、駆け込みで通訳案内協会に地歴の薄い本を買いに行った思い出があります。当時の最終合格率は2~3パーセントであり、とても嬉しかったです。
この後、就職もしましたが、思うようにロシア語を使わせてもらえず、結婚と同時にガイドに切り替えました。ガイドの仕事はあったりなかったり、でもそれが家庭との両立につながりました。ちょうど息子が中学受験をするころには仕事をたまにやるという感じでした(自分であえて探さなかったという面もあると思いますが)。子育てはそんなに甘くはありませんでした。
突発の病気、特に中学受験に向けてはこどもと共に勉強する日々で、関心事はこどものことが中心でした。息子が大学に入ったころからソ連邦が崩壊後の社会が落ち着いて富裕層が現れたからかロシア語の仕事が忙しくなり、リーマンショックの前年には稼働日数が300日となりました。
ロシア語の仕事の量が陰りを見せた2019年年末、自分の住んでいる市のコミュニティセンターでイタリア語をイタリア人が教えていることを知り、門を叩きました。若
いころの夢、再びです。すでに10月から学習が始まっていたので、追いつくためにNHKイタリア語初級の半年分のテキストを買い、自習しました。この市の講座は趣味の人たちを対象にしているので進みが遅く、文法の最後が終わるのはいつなのか不安に思いました。
そこで慶応外語のオンライン上級で文法の最後のところの接続法、条件法を学びました。併行してオンラインの先生による日本事象英文300選をイタリア語に直すのを少しずつ進めていました。
そして2022年8月、初めてのイタリア語の全国通訳案内士1次試験に臨みます。ガイドとしての経験があったからこそ答えられる問題が多く、終了したあとは落ちた感じはなかったです。が、ロシア語の仕事も忙しく、結果が出た11月には2次試験まで残り1か月しかなく、文法をさっと終わっただけで会話の経験も皆無のまま試験に臨みました。
結果は、試験官の言っていることもぼんやりとわかる感じで、結果はやはり不合格でした。その後、あと1年、2次試験に集中すればいいんだという気持ちで日本事象英文300選イタリア語訳を常に携帯し、目を通しました。また、この1次試験合格の結果を持って、イタリア語のアシスタントとして採用してくれる会社があり、実践を積ませていただけることになりました。2次試験の半年前からはロシア語の仕事はどんな短時間でもイタリア語に影響が出ることを恐れ、イタリア語のアシスタントのみの仕事をしてきました。
2次試験直前には、ツアーで知り合ったお客様が毎日プレゼンを聞いてくれ訂正してくれたのがありがたかったです。こうして背水の陣で臨んだ2次試験でしたが、プレゼンは知っていることを並べただけの平凡極まりないものに終わりました。
雑煮という題でしたが、もっと深いテーマ、例えば鎖国などで30テーマ用意していたものがどれも当たらず、私のプレゼンは、“お餅が入っていて、そのお餅は粘り気のある米で出来ていて、関東では四角い餅、関西では丸い餅を使います。お雑煮食べにきませんか?”となってしまいました。
イタリア人試験官の目が“それで終わりにしちゃだめだよ!”と語っていたように思えたので、急遽、年末年始の話題で“除夜の鐘は108突くが、人間の煩悩は108あり、一つ突くごとに一つ煩悩が消えていくと言われている”と言おうとしたところで、ここで接続法を使ってもし間違えたら、隣にいる日本人試験官(ひたすら下を向いて、採点をしていました)に減点されると思いました。
植山先生に減点方式だと聞いていたので、ここで減点されたくないと必死になった私は接続法を使わないで言おうと仕切り直しました。
今度は正月の話題に飛び、“神社の入口には”と言いかけたところで“時間です”と言われ、もう合格は遠のいたと思いました。外国語訳も日本語がめちゃめちゃ速く、自分のメモもぐちゃぐちゃで判読できず、また、最後の“弾丸登山”といった言葉が聞き取れず、もう終わったと思いました。
振り返ってみるに、メモを取るよりもイメージで焼きつけて記憶に頼り、本当に重要なところだけをメモするのがいいのではないかと思います。最後の質疑応答は、去年と違って完璧に聞き取れ、その場が居心地がよくなったころ、“終了です”と日本人試験官に言われたので、“ご静聴ありがとうございました”とイタリア語で言い、イタリア人試験官には“いい夕べを!”と言われたので、にっこり笑って同様に返しました。
直後は、もしかしたら受かっているかもと思いましたが、時間が経つにつれ、どうしてもっとプレゼンの内容を展開できなかったのかと後悔ばかりしていました。もうこの試験は苦しいばかりでやらないと決め、試験から帰ってきたその日に、使った教材はお蔵入り、でも、ポンポン捨てる癖のある私が戸棚にしまったところが何か未練が感じられます。
が、これからは受験勉強にとらわれない勉強をする、アシスタントだってリスニングはガイドに求めるレベルが必要なのでそういう勉強をしたいと2次試験の翌日リスニング教材を申し込みました。合格発表の日は官報が出た報を受け、官報を開く手が震えました。
このときやはり自分の本当の気持ちを知りました。もう金輪際やらないと思っていた受験勉強も試験終了2~3日すると“やっぱりいつかは自分に合ったテーマがでてくるはず、想定外のテーマが出たとしても底力をつけていけばいつかは”という気持ちになり、来夏は振り出しに戻るけどやっぱり受けるということで長文読
解を始めていたところでした。今はかつてのお客様が日本の文化を知ることができて嬉しいと喜んで勉強の相手をしてくれています。
18才から始めたロシア語と同じ4年弱でイタリア語の資格が得られたことは思ってもみなかったことです。強く欲すれば夢は叶う、そう思います。日本事象英語300選、メルマガによる精神的な支えがなかったら実現しなかった話であり、植山先生には本当に感謝しきれません。ありがとうございました。 

●イタリア語(メルマガ、無料教材利用者)

●全国通訳案内士試験:1978年にロシア語に合格。 

【1】受験の動機
大学のロシア語学科在学中にロシア語の免許を取り、ロシア語の通訳案内士として仕事をしてきましたが、自分の住んでいる町のコミュニティーセンターでどうもイタリア語の講座をやっているらしいということを耳にし、一から新しい言語を学んでみたいという衝動にかられ、1週間に1回通い始めました。
やるからにはガイドの資格を取りたいと思い、挑戦することを決意しました。2019年の12月のことです。その後コロナ渦で講座は中止になり、自習となりました。その後再開され、そして初めて受験した2022年8月の1次試験に合格、今回は2次試験2度めの挑戦でした。

【2】第1次試験対策
(1)<イタリア語>(免除)
(2)<日本地理>(免除)
(3)<日本歴史>(免除)
(4)<一般常識>(免除)
(5)<通訳案内の実務>(免除)

【3】第2次試験対策
「日本的事象英文説明300選」をオンラインの先生に添削してもらって暗記に努めましたが、どうしても自分にとって弱いテーマだったりすると覚えきれたとは言えませんでした。
直前1か月は、30個のプレゼンを作り、友達のイタリア人に聞いてもらいましたが、当日出る問題はとてつもない広い範囲から出るかと思うと途方に暮れた気持ちでいました。

●外国語訳の日本文
富士山は世界遺産に登録されており、外国人観光客にもその景観の良さ、登りやすさで大変人気があります。富士山の登山客はコロナの行動制限がなくなってからは増えてきていますが、転倒や石の崩落、弾丸登山といった問題が指摘されています。
(日本文を読み上げるスピードがものすごく速く、”石の崩落”以降は抜け落ちて、しかも”弾丸登山”という言葉は聞き取れませんでした)

●上記をイタリア語試訳(植山)
Il Monte Fuji è registrato come patrimonio mondiale e gode di grande popolarità tra i turisti stranieri per la bellezza del suo paesaggio e la facilità di scalata. Il numero di alpinisti sul Monte Fuji è aumentato dopo la fine delle restrizioni per il coronavirus, ma sono stati segnalati problemi come cadute, crolli di pietre e l'ascesa "a razzo". 

●<条件>
A4の紙に長文で書かれており、読み取る時間も少なく、要点は、新婚旅行で来ていた二人が混雑する山小屋に泊まりたくないと言っているものでした

●<シチュエーション>
山小屋に泊まらず、深夜に登山したいと言っている、あなたなら通訳案内士としてどうしますか?ということでした。

●<条件><シチュエーション>に対するあなたの回答
深夜登るのは暗くて危険ですから今夜はゆっくりお休みになって明日朝登ることをお勧めします

●試験官との質疑応答
(試験官)テントを張るのはどうでしょうか?
(私)富士山は世界遺産なので、自然を傷つけることは禁じられています
(試験官)深夜、ガイドをしてくれる人はいますか?
(私)探してはみますがいないと思います。それに夜登るのは危険です。

●感想
頭から否定せず、一応探すと言ったところはよかったのではないかなと思います。面接はそれで終わりとなり、イタリア人試験官がにっこり笑って”良い夕べを!”と声をかけてくれました。プレゼンのできはあとから考えたら、お雑煮に入れるお餅は長寿のシンボル、おおみそかにはおそばを食べるなど、なぜ思いつかなかったのか後悔ばかりでしたが、最後まで諦めなかった、というか自然に気持ちがリラックスしてきて質疑応答がうまくいったのが決め手になったのではないかと思われます。

【4】メルマガ、動画、教材、セミナーなどで役に立ったこと
「日本的事象英文説明300選」の教材、メルマガで気持ち的に励まされました。

【5】ご意見、ご感想、ご希望
1次試験を受験した2022年8月、題材は、新宿の再開発についてで、長文のすべてが読み取れたわけではありませんが、ロシア語の通訳案内士として経験のあるところでしたので、素直に解答を選ぶことができました。
また、日本に関する問題も長年仕事をしてきたので勘が働き、答えを導くのに苦労はいりませんでした。が、元々イタリアと深い関係があったわけではないので、イタリアに関する基礎知識はなく、その部分は一応は解答しましたが、ほとんど捨てたような感じです。
終わったときは、落ちた感触はありませんでしたが、ロシア語の仕事も忙しく、発表までの間、何となく勉強してはいましたが、切羽詰まったものはなく、いよいよ11月終わりくらいになって、会話の経験もないので12月の2次試験は無理だ、試験には行かないと決め、来年までには準備しようと事務局に“今年2次試験を受験しなかった場合で来年2次試験だけ受けることはできますか?”と尋ねたところ、無効になるということだったので、来年の下見がてら2次試験に出かけていきました。
会話の経験もないものですら、試験官の言っていることがぼんやりしかわからず、適当に答えた次第です。結果は当然だめでした。が、この1次試験合格の結果をもって、イタリア語のアシスタントの仕事ができるようになりました。アシスタントの仕事が結構入るようになり、多くのイタリア人の方と知り合うことができました。
ロシア語とイタリア語の仕事の合間にもオンラインの先生に添削してもらった「日本的事象英文説明300選」を暗記するようにしました。また、最後の1か月は30個のテーマにしぼってプレゼンを作り、仕事で知り合ったイタリア人のお客さんにイタリアとのオンラインでの会話をしながら聞いてもらい、添削してもらいました。
なんとかそれを覚え、2次試験に臨みました。当日、私に課されたプレゼンの課題は、”雑煮“でした。食べ物の話題は普通過ぎて用意をしていなかっため、想定外で気力がなくなり、思いついたことを脈略なく言っただけで、時間切れとなってしまいました。
<外国語訳>問題は、”弾丸登山“という面接官の日本語が聞き取れず、まるまるその部分は落としました。”コロナ渦の制約がなくなった今“という文章を訳す課題の部分も良い訳とは言えずごまかした感じです。が、トラブル問題については、これまで仕事で培ったトラブルの経験と、去年ほとんど聞き取れなかったものが100%聞き取れたこともあって、質疑応答が楽しくできました。
試験場に入ったときには、緊張のあまりドアを半開きで入ってしまって注意されてしまい、もはや合格はないと思いましたが、試験場を後にするときには、イタリア人試験官が愛想よく送り出してくれたので、もしかしたら?という気持ちになりました。
それでも発表までの50日間は、不合格であることを覚悟し、来夏に向けて長文読解を始めていたところでした。あくまでも基礎になったものは「日本的事象英文説明300選」です。
終わって感じたのは、<外国語訳>問題で出題された弾丸登山は初めて聞く言葉であり、日ごろから世間がどうなっているかを知ろうとしていなかったのがいけなかったと痛切に思いました。新聞で気になった話題は集めておくべきだと思います。

【6】今後の抱負
今後はロシア語とイタリア語、2か国語で忙しくなりますが、大好きなインバウンドの仕事に少しでも貢献できればと思っています。
いつもめげそうになるとハローの合格体験記を読んでは励まされていました。お世話になりまして本当にありがとうございました。

以上



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